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無視できの備忘録 #15
なんとか一曲目がかかる場面が書き終わった。なんとか前半で入れ込みたかったけど、入れられるスペースがなかった。作ろうにも作れなかった。なので後半に二曲がやってくる。
あれ、今回音楽劇ですよねぇ、って思っている人はまだかからないと思いソワソワするのが目に見えているので、上演時間60分経過しても一曲もかからないとしても大丈夫ですということだけお伝えしておこう。
しかし歌唱シーンは過去の回想に紛れ込ませたわけだが、ここに出てくる桜、楓、拓真。関係性の危うさ。誰が誰を想い、その想いを理解し、理解しながら視線をそらし、凝視し、という得体のしれない温度感の場面が見えているのだが、こればっかりは役者が台本を読んだ上でどうアプローチするのか、読みあわせで確認し、それが大きくずれるものなら軌道修正するぐらいで考えているが、それは演出ががんばることなのでいったんスルーする。
歌唱シーン前の桜と楓、あるいは桜と拓真、あるいは楓と拓真の関係性をどう作るかも考えないといけない。全ては関連して一つとなる。場面を抜き取るのではなく全体の芝居としてどうなのかが見えていないと不正解の芝居になる。過去の自分、現在の自分、それが大きく違う人物に見えてしまってはいけない。だが同時に人間なんてものはその時代その時代で全く異なる人格、行動を起こすこともあるので、全否定は出来ない。違う人物になってもそれが観ている側に理解、共感が起きればいいのだ。
台詞の数としてはなんとか絞りに絞ったつもり(歌もあるのでそこまで長々と場面を作ってしまうとあとあとに響く)だが、それなりに文字数、ページ数を使ってしまった感はある。そして書きながら、歌ったあと、次のシーンに向かうのにどうやって終わらせればいいんだよという葛藤が起きたことも備忘録として残しておく。もう一回そういう気分を味わうことは決まっているのだ、何せこの作品では2回歌うシーンが出てくるのだから。
とはいえ、ミュージカル作品、私はあまり観に行ったことがないのだが、そっちのジャンルでは一曲どころのはなしではないからどう作っているのだろうか、気にはなる。
ちなみに私の記憶に残っているミュージカルは銀河劇場で上演された『アメリ』である。映画自体は好きで、時折見返す作品、ああいうタッチの作品も今後書いてみたいのだがいつか書けるだろうか。オドレイ・トトゥのような女優を見つけられたらそれも叶うのだろうか。わからないが。
残すところ25ページ、ただ、歌唱シーンのことを考えるとやはりもう少し短くしたい。台本上、(歌唱)と一行で書いているが実際はフルサイズ歌うと4分から5分程度のボリューム。歌唱シーンmaxで2曲計上しても多分120分は切るだろうとは思ってはいるが読み合わせで135分とか大記録を出すわけにはいかない。基本的には読み合わせは相手の芝居を受けて自分が考えてきた芝居の軌道修正を行ったりで探り探りになり、ト書きも私が読み上げるしで、それなりに尺を超えることは想定内の話なのだ。
あまりに分数が伸びすぎるとこれに音響、照明、音楽が加わり、間とか書かれている分も影響して更に伸びるので、それを時間内に収めるには読み合わせで叩き出してもいい分数が確実に存在する。それを越えてはだめなのだ。