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真剣になるには練習がいる
今日のほぼ日の糸井さんの言葉は、なんだかよく分かる気がした。
だいたいのことは、それでいいのである。
ただ、ぼく自身、それなりに長く生きているのだけれど、
じぶんとしては「真剣になるのが遅すぎた」
という気持ちはちょっとある。
と言うのである。
さらには、
実はね、「真剣になる」ってことは、
愛するとか、学ぶとかと同じように、練習のいることだ。
とも言っている。
実はこれ、今まさに、ぼくがやっていることだなと思っているのだ。
今、ぼくは「真剣になる」練習をしている。
この練習はまだまだ当分の間、やり続けなければいけないものだ。
そう言う感覚が少し前から、ぼくにはある。
だからなのか、今日の糸井さんの文章にはすごく腑に落ちるところがあった。
糸井さんは「僕」じゃなくて「ぼく」って書くんだな。