無名な自分がスペイン2部のクラブに入る話②
スペイン2年目
猛勉強のおかげでなんとなくスペイン語が聞けるくらいまでにはなった。ただ話すのがきつかった!
とにかくレスポンスに時間がかかってしまう。
スペイン語を聞いて、頭の中で日本語変換→理解→言いたい事を日本語で考える→スペイン語変換→話す。めちゃくちゃ遅かったと思う。
当時一緒に住んでたルームメイトはマジ神だった。こんな自分を受け入れてくれた事もだけど、話を聞いてくれてたもんね。ただそのせいで当時はコロンビア訛りスペイン語でよくpoquititoとか言ってたなぁ…
ちなみに自分はスペイン3ヶ月目からシェアハウス暮らしです。
指導できる場所を探して
サッカーしながらサッカー単語なんかも勉強できて、少しはマシになったと自負して探した。文字通り足を使って。
それでも門前払いされることの方が多かったけどね。
でもそんな中話を聞いてくれるクラブもいくつかあって、頑張って拙いスペイン語で説明するわけよ。どう伝わってたんかは知らんけど。
ライセンスの壁
「指導者ライセンス持ってる?」
話を聞いてくれたクラブに言われたこと。
そりゃそうだ。
何処の馬の骨かもわからんこのアジア人がサッカーを教えたいと言ってきているのだからある程度の保険はほしいよな。
当時は日本人も少なかったし、指導者をするアジア人なんてほとんどいなかったから、簡単に指導の現場に立つという事はさせてくれなかったのかな。それとも単に断る口実だったのか。
ライセンス受講
スペインの指導者ライセンスを取得するためには、当時はサッカー協会と指導者学校(日本でいう専門学校)の2択だった。
レベル1〜3で日本でいう所のB、A、S。
レベル1で17科目。
戦術論やコーチングなどの実践形式から解剖学、教育論などの座学まで幅広い科目が指導者ライセンス講座にあった。
元々スペインには指導者ライセンスを取得するために行ったわけだが、スペイン語の勉強に1年を費やした。
おそらくレベル1に受かるには十分ではない語学力だった事は間違いない。
普通にネイティブスペイン人でさえ4、5科目追試になっていた。
それを2科目の追試で乗り切れたのだから自分を自分で褒めていい結果だったと思う。
(今でもその成績は残ってるが他の科目もギリ及第点だった)
そんなわけで見事試験には合格して残す所はインターンを控えるのみになったわけだが、クラスメイトはインターン先が自分がプレー又は元々自分がプレーしていたクラブというのが8割以上占めていた。さて、自分はどうしたものかと考えていた所、手を差し伸べてくれたのが、自分が現役復帰をしたクラブSan viatorの代表を勤めていたドン・ミゲル氏だった。
ミゲル「コタ!行くとこないなら俺が提出書類の現場監督欄にサインしてやるからな!」
私「でも指導者ライセンスレベル2以上持ってる人じゃないと…」
ミゲル「はははっ、俺は3を持ってる!問題あるか?ニヤっ」
私(ただのおじいちゃんじゃ無かったんだ)
「マジで!?じゃあお願い」
そんなこんなで、無事インターンを終え全ての書類を提出したことで、やっとレベル1の指導者ライセンスを手に入れたのだった。