無名な自分がスペイン2部のクラブに入る話
お久しぶりです。
スペインに来て早15年。そろそろこういうありきたりなタイトルの話をしてもいいんじゃないかなと思って久々にnoteを開いてみた。
需要があるか知らんけど。
さすがに15年を1回で書き切るのは無理なので何回かに分けて書いていこうかなと思う。
スペインへ行くと決めた時
大学4年の時、教育実習を終えてはっきりと「海外へ行こう!」と思った。
実は私は中高の体育の免許を持っている。ただ教育実習を終えて自分には教師は向いていないと感じた。体育の先生はきっちりして厳格という雰囲気が合わなかった。
まだこの時はスペインかイギリスで悩んでいた時でもある。(ぶっちゃけ今後のことも考えるとイギリスで英語学ぶべきと考えただけ)
ただ自分がなりたい指導者像はスペインのスタイルだったし、最終的にスペインに行くことを決めたのが7月ごろだった。
スペインへ降り立つ
大学へは行ったが自分の成績は下である。
高校の成績も下から数えた方が早い。英語なんて壊滅的に悪かった。
今でも親兄弟には「なんでお前がスペイン語話せるかわからない、日本語も怪しいくせに」と言われる始末である。
そんな中でスペインへ降り立った自分のスペイン語ボキャブラリーはHola,Gracias,Comerぐらいだった。(今思えばマジで勉強しておくべきだった。ただテスト勉強を前日からしかしない自分には、「行けばどうにかなる」と意味のない自信しかなかった)
スペインの洗礼
スペインへ行った時(そんな状態で)どこで指導できたんですか?
と聞かれる事がある。
無かった。アテもツテも何も無い。ただ単身で乗り込んだから。
ただ現実はそんなに甘くなくて、クラブ1つ見つけるのも一苦労だし、第一スペイン語話せないアジア人を誰が迎え入れるっていう話。
洗礼ではなくただの無謀なだけだった。
それでもこのままじゃヤバい!スペイン語本気で勉強せな死ぬ。
と思ったね。
ここから人生最大の自主勉強が始まる留学初年度だった。
サッカーはどこへいった!?
初年度は勉強したね。スペイン語の動詞の活用の多さに唖然としながら、女性・男性名詞?はぁ?とか思いながらとにかく勉強。
でもそれだとメンタルやられるから息抜きにサッカー始めたんや。プレーヤーとして復帰。
指導者ちゃうで。
遊びではやってたけど18歳以来の復帰。しかもスペイン社会人は90分が当たり前。ブランクもあったし、一から体作り直してスペイン8部でデビュー🇪🇸
スペイン語の猛勉強にサッカー(プレーヤー)が加わった留学初年度になった。
留学初年度は指導のしの字もできなかったなぁ。ただスペインに来て、この空気に触れて興奮しっぱなしの1年だった。華のある1部だけじゃなくて、アマチュアリーグまで時間さえあれば観に行って。スペインサッカーに感化されまくり。
そしてそのままスペイン2年目を迎えるのであった。