【ふくゐろよ もう一度】
おはようございます!!
これまで懇親会のことをFacebookで書いたことはほとんどなかったのですが、今年50日しかお酒を飲まない!と宣言したのでちょくちょく報告をあげていかないと達成でき無さそうで(笑)
今回が今年2回目。いいペースです☺
週に一回のペースで飲んでいきます。
今回は塩谷さんにお声がけいただき、古町のプロジェクトについて。
持続不能を持続可能へ。
いろいろ案は出ましたが、 なんとか「ふくゐろ」さんを復活させてその味と文化を次世代に伝えられないかなと。
週に一度だけ復活させてあとは若手のチャレンジショップに?とかいろいろと案が出ました。
これからちょっと練っていきたいと思います。
ふくゐろの小黒さんともいろいろお話しさせていただき、みなとまちの歴史等も教えていただきました。
開港150周年と言いますが、確かに海外目線ですね。新潟港の本当の歴史ってどうなっているんだろうか。
ということで一緒にいらっしゃった須田登夢さんから早速調べていただきました!ありがとうございます!
以下登夢さんが、調べていただいた内容。
「新潟の湊としての歴史は文献記録上927年に蒲原津なる越後国津が登場しており、現在の基礎はここから発展しているものと思われます。
しかしながら黒崎地区にある「緒立八幡神社古墳」は位置や特徴から当時水運や水上交通を掌握した権力者の墳墓とされているため、信濃川水系における湊の歴史は古墳時代前期である4世紀前半が根拠上最古の水運のようです。
緒立八幡神社古墳より以前の湊文化を示す資料が現存していないため根拠上はこの4世紀前半が最古となりますが、この時点で水運を掌握した者が権力者として敬われたというのであれば、水運の重要性はこの古墳より前の時代に築かれたことになります。
具体的にいつからという策定は遺跡や文書の発見無しではついに不可能なほど古いものでした。
現状の結論と致しましては、 新潟の湊文化は最低でも1,600年以上前には発生しており、 約1,100年前には公の港湾としての機能を開始していた、ということです。」
海外目線での開放が150年前、
行政目線での開港は1095年前、
文化目線での開墾は1600年。
ということになりますかね。
登夢さん、素晴らしい考察をありがとうございました!!
本当に奥が深いみなとまち新潟の歴史。 私たちがしっかりと勉強して次世代に伝えていきたいと思います。
古町の歴史も一緒ですよね。川湊の歴史と共に発展してきた経緯を「ストーリー」にしてお送りしたいと思います。
背景大事。
詳細は事業計画を書いてからまたご報告いたします。
本日はここまで。
それでは本日もよろしくお願い致します!!