ナレッジ・マネジメントの復活?
衰退していたKM
ナレッジ・マネジメント(Knowledge Management:KM)のブームは1980年代のリエンジニアリング(業務プロセスの抜本的再構築)の嵐とともに世界に広がりましたが、その後関心は衰えていきました。衰退の原因の多くは、人間の暗黙知(言語化困難な不定形な知識)を形式知に「翻訳」することの限界、組織的な知識の活用よりは「知識の管理」と捉えてしまったこと。そしてITへの過剰な依存にありました。KMがいわば細々としていった一方、その際に生まれた知識創造などのコンセプトは急速に広がり、現在のイノベーション経営などに繋がっているわけです。
さて、そのナレッジ・マネジメントは特定ニーズのある産業や企業では重宝されてはいたのですが、再び注目されているようです。たとえばRT InsightsなどのAIやビッグデータなどのメディアでも「ナレッジ・マネジメントの復活(Resurgence of Knowledge Management)」が大きなトレンドのひとつとしてとりあげられています(7 Predictions for Insight Apps and the Future of Search)。これによると、いまナレッジ・マネジメントはCEOのアジェンダの上位に位置づけられています。
その背景には3つの要因が考えられます。
KM復活の要因とは
第一の要因はいうまでもなく、新型コロナウィルスの影響です。この伝染病の世界的な大流行が続き、働き方に劇的な変化が訪れ、同時にzoomやMiroなどのツールの普及が相まって、リアルタイムに知が共有できるようになった。確かにF2F(フェース・トゥ・フェース)の方が知の共有と創造に有効なのは明らかです。しかし、それは毎日ではない。必要な時以外はリモートで、というスタイルは、F2Fのコストが激減することで生き残り、メタバースなどの活用でさらに広がるでしょう。
第二の要因は、職場・組織がこれから経験する大転換。たとえば、団塊世代の大量退職、これは世界での「大退職」時代と言われてますね。多くの組織で前の世代の有効な知識が失われる、という事態はKMの最初のブームのときにもあったことです。それから多様性の進展。性差や人種、言語の壁を超えた職場や組織文化が、より高度で複雑なコミュニケーションを要請し、KMのサポートを要請するでしょう。
そして第三には、いうまでもなくAIの浸透です。身近なところでいえば、通訳ソフト、コールセンターでのアバターとのやりとり、いろいろな言語処理(論文骨子の作成支援など)、ツールが広がっています。でもこれらは氷山の一角でしょう。シンギュラリティを騒ぎ立てることもありませんが、論理的処理能力に限ればAIは、はるかに高速です。
KMをいかに活用するかが日本の復活につながる?
以上のような背景で、ナレッジ・マネジメントは地味ですが、じわじわ復活しているようです。2018年にはナレッジ・マネジメントシステム(Knowledge Management System)の国際規格ISO30401が発行されるなど、KMを経営システムに統合するための枠組みは整ってきています。
ところが、日本では、1990年代で止まっている印象があります。理由としては企業が暗黙知偏重で、とくに過去の暗黙知を温存したまま工業社会型現場主義に安住してきたことが大きいかと思います。これはこれからの企業や組織の変化にうまく合いません。そういった格差・ギャップが、コロナでさらに広がったといえます。
イノベーション経営システム(Innovation Management System)の重要性も叫ばれていますが、企業・組織全体でみれば、KMのシステムは組織的な知識創造、つまりイノベーション活動の中枢を支えるもので、両者は統合されていくべきものだといえます。
バックオフして(ちょっと引いてみて)、より大きな「ビッグピクチャー」でみれば、いま世界は極めて混沌とした時代にあり(筆者はそれをVUCA2.0と呼んでいます)、20世紀に培ってきたさまざまな考え方、たとえばそもそも知識とは何か、といったようなこと自体も問われているのがこれからの私たちの挑戦となるのではないでしょうか?
そういった視点から、エッセー(小論)を投稿してみました。関心のある方はご覧下さい。(下記リンクより)
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