紺野登の構想力日記#02
構想力は「ゼロ」を生み出す力(その2)
◇ 脳は言語の化身
前回は、構想力というのは、「ゼロから1を生む」のではなく、「ゼロ」を発見し示すことだ、という話をした。無から「有」を生むことの前に、まず「無」を見いだすことが何よりも大事なんだという話。
じつは、これはぼくたちの脳のありかたに深く関わっている。
ぼくがこのことに考えいたったのは、神経生物学、進化人類学のユニークな研究で知られる米国の神経学者テレンス・ディーコンの影響がおおきい。前回も書いたが、このディーコン博士が唱える説は深遠で、難しくもあるのだが、人間の進化と言語の関係について、脳と言語の「共進化」というきわめて魅惑的な論を展開しているところに強く惹かれる。
『ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化』(新曜社、1999、原書は『The Symbolic Species: The Co-Evolution of Language and the Brain』1997)の「第Ⅲ部 共進化」から、ちょっと引用してみよう。
第11章 言葉は肉体となりて
本章のタイトルは聖書の句(ヨハネ伝一章一四節)を引用したものだが、これには言葉の魔力は創造もし、破壊もするという古代の神秘思想がある。物の「真の名前」を知ることはその物の支配に通じるという考えは、多くの伝説にある。語が物を支配する自律的な力を私も祈りたい。私が聖書のこの不思議な文句を借りたのは、神の奇跡ではなくて進化を語るためである。それは科学で説明できるという理由で、劣らず奇跡である。
ここに奇跡とはヒトの脳の進化である。これが只事でないのは、この血と肉のコンピュータがヒトの心という驚くべき現象をつくりだしたことではなく、ヒトが言語を使用したことからこの奇跡的な器官ができたということである。これは比喩ではない。ヒトの脳に前例のない心的芸当を可能にした大きな構造的機能的革新が、語の力のような抽象的仮想的ななにかに対する反応として展開したということである。この奇跡を簡単にいえば、アイデアが脳を変えたのである。(『ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化』pp.373-374)
ディーコンはこのように述べて、「われわれをヒトたらしめた脳とはなにかといえば、非常にリアルな意味で、それは言語の化身である」と言うのである。つまり、ぼくたちの脳は、いわば無を満たそうとする言語ゆえに進化してきた。「脳=言語の化身」とは、いかにも謎めいた宣言だが、その意味するところは、同書で美しく解き明かされている。
ディーコンは同書で、言語を脳に寄生するウイルスにたとえてもいる。「言語をヒトの脳を宿主として寄生し繁殖する別の生命態と考えるのも有益である」と言うのだ。
もちろん言語はまったくヒトに依存しており、それ自身の代謝過程と繁殖システムをもつ別の生き物ではない。しかも生物とは全く形が違うから生命過程と深いところで類似性があっても、それは見えない。これはむしろウィルスと比較するとよい。ウィルスは必ずしも生きているというのではないが、それでも生命過程の密接な部分である。ウィルスは…(略)…どちらかといえば不活性の巨大分子の集合体であるが、それにもかかわらずその内的な情報は進化し、適応し、近年の疫病がまざまざと見せつけるように、とんでもない結果を引き起こす。
このように見ると、構築的と破壊的との違いはあるけれども、言語をウィルスと考えるのはそんなに突飛なことではない。言語は生命のないアーチファクトであり、音のパターンであり、粘土や紙の上の文字であるが、ヒトの脳の活動に入り込む、脳はそのパーツを複製し、システムに集成し、受け渡していく。言語を構成する複製情報に生命があるというわけではないが、それはヒト宿主との関係で進化する統合的適応的実体であるといえばよいだろう。(『ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化』pp.120-121)
新型コロナウイルスのパンデミックに世界中が怯えているいまこの時期に、こうした言説に触れるとかなりドギマギするけれども、同書の最後ではこんな風にも言っている。
ヒトは記号を使うただの種ではない。記号的な宇宙はヒトを逃れらない網に虜にした。記号的適応は「マインド・ウィルス」となってヒトに感染し、いまや抗しきれない力で、遭遇する万物万人を記号化しようとする。ヒトは記号ウィルスが世界中に蔓延する媒体になった。(『ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化』p.514)
ぼくはここ数年、知識生態学(ナレッジエコロジー)という観点を提唱しているのだが、そのベースのひとつにはディーコンの説く、いわば「記号の生態学」がある。
人間が記号を使ってコミュニケーションすること(記号論)と神経生物学を結びつけて、人間の社会を説明するという試み、というか企み。この理論戦略は、人工知能の問題ともおおいにかかわってくる。生きる人間のコミュニケーションと、人工知能の情報処理は、異なる。このあたりの話も、おいおい書いてみたいと思う。
◇ この世界は不完全
このように型破りな発想と大胆な論理展開ゆえに、(ぼくにとっては構想力というものを考えるときの最強の師ではあるのだが)共著書『構想力の方法論』では、ディーコンと直接対峙することを避けた。
しかしこの「構想力日記」ではたびたびそこに切り込んでみたいと思う。
ディーコンは、世界(自然)が不完全であることにより、あるいはまた何らかの「不在」があるからこそ、生物や人間は進化するのだという。じつはそこに言語も絡んでくる。
そもそも私たちの進化というのは、「無」や「不在」を満たそうとする力のあらわれで、そこに進化の秘密のメカニズムをディーコンは見いだそうとする。
つまり、私たちは「無ゆえに創造する」のだというわけである。
何やら禅問答のようであるが、これが、ボストン大学医学部で教鞭をとる碩学、ディーコン博士がたどり着いた一つの真実なのである。
著書『Incomplete Nature: How Mind Emerged from Matter』(2011、「不完全な自然」邦訳なし)のなかで、彼は、車を動かす車輪と車軸と軸穴の関係を例に、この「無ゆえに創造する」とはどういうことかを説いている。
車輪の運動を考えてみると、車輪を回転させているのは、車輪と車輪をつなげる車軸だ。したがって車輪の中央には、軸を通す軸穴(軸受)が空いていなければならない。
この構造について、ディーコンは、「車輪は軸穴という物理的実体のない無ゆえに運動でき、車輪をバラバラにしてもどこにも軸穴は構成部品としては残らない」(『Incomplete Nature: How Mind Emerged from Matter』p.161)と言い、車輪は軸穴という「無ゆえに動く」のだと唱える。
なるほど、と思う。
物理的実体のない「無」、「空」によって、物が動く、駆動されるということだ。
車輪というものの成り立ちを考えてみれば、最初は丸太を円盤状に切って、その真ん中に穴を空けたものだった。ディーコン説にしたがえば、この空けた穴の「空」こそが、進化へのイノベーションだったということだ。
「無」や「空」を生み出したからこそ、車輪が動き、車という文明がこの世に新しく生まれた。
構想は英語だとimagination、「想像」と同じ意味になってしまう。しかし、「無」ー「言語」ー「創造」ー「進化」という関係のなかで、構想力とは何か?という問いに照らしてみれば、「無」や「空」こそが構想の核なのだということになる。
◇ 無用の用
このディーコン説は、古代中国の思想家、老子の書物『老子』にも同様の内容が示されている(ディーコンは『老子』を引用している)。
三十輻共一轂。當其無有車之用。(『老子道德經』第十一章)
「車輪は三十本の輻(や)が一本の轂(こしき)に集まり、轂の中央にある無の空間があってはじめて車輪の回転が可能となる」というのである。
これに続いて、「挺埴以為器。當其無有器之用。鑿牖以為室。當其無有室之用。故有之以為利、無之以為用。」とあり、粘土をこねて作る器もその器の内側に何もない空間があってこそ器としての用を為す、家も戸や窓をくりぬいてできているがその家の内部の何もない空間こそが家としての用を為している。
この格言を聞いて、セオドア・レビット教授の「ドリルと穴」を思い出す人は多いだろう。『マーケティング発想法』(1968)の冒頭に出てくる有名なマーケティングのエピソードだ。
曰く、ホームセンターなどに、ドリルを買いに来る人が、本当に求めているのは、(たとえば直径6ミリの)”穴”である。
どうしても僕らは「モノ」にとらわれて顧客の真に求めるものが見えなくなってしまう。
これを引き継いだのが、昨年亡くなった、「破壊的イノベーション」の提唱者、クレイトン・クリステンセン教授の提唱した「ジョブ理論」だ。
顧客は何のためにモノやサービスを買う(雇う)のか。それは「片づけるべきジョブ(Jobs To Be Done)」、つまり日曜大工で棚を吊るのに必要な穴を空ける仕事があるからだ、というメッセージである。そこにある「穴」を見出すことがイノベーションの起点になるのだ。
こうして、何もない「空」や「無」が、今も構想力の原点としてイノベーションの役に立っているというわけである。(つづく)
紺野 登
多摩大学大学院(経営情報学研究科)教授。エコシスラボ代表、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、一般社団法人Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『構想力の方法論』(日経BP、18年)、『イノベーターになる』(日本経済新聞出版社、18年)、『イノベーション全書』(東洋経済新報社、20年)他、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、12年) などがある。
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