「短編小説」青年Kの悩み
青年Kに訪れたのは高校最後のビッグイベント、卒業。
高校を卒業するに伴って、青年Kには大きく2つの道が示される。
言わずもがな、就職か進学か、である。
本人の思考の裏で就職と言う文字が進学より先に浮かんでいる辺り、青年Kの本来の希望は就職にあるのかもしれない。
しかし、物事の決断においてその結果に至った理由は、恐らく膨大な環境理由があるだろう。
単純に就職したいから。
大学に行きたいから。
等と言う思考経路は本来なら存在し得ない。
就職するのは、もしかしたら親の負担になりたくないからかもしれないし。
勉強が嫌いだから、大学に行く理由がないから、頭が悪いから等、いろいろな理由がまるで作り立てのりんご飴のように溶け合わさり一つの決まった結論を導き出したに過ぎない。
それは「就職」という答えがあって、そこへ向けた理由づけに過ぎない。
先程のりんご飴で例えるなら、最初は砂糖を溶かすだろうがそれはあくまでもりんご飴になると言う決定へ向う工程でしかない。
人は結果を既に決め、そこへの理由づけを行う事がままあるのだ。
「おい、木村。何ボケっとしてる。次はお前の番だろ、進路面談するぞ」
青年Kは温く、使い古した木材の臭いがする廊下で惚けながら、教室の扉を開けて次はお前の番だと促す教師の顔を見た。
木材と僅かな金属で構成された教室に、茶びたカーテン越しから夕日が差し込む。
シチュエーション的にはこれ以上ないほど高校生の男女の告白場所にもってこいだろうが、今は無駄に温められた教室と、元体育会系大学出のむさくるしい男子教員と二人。
現実とラブコメアニメの差をむざむざと知らしめられた気分である。
「で、木村。単刀直入に聞くが本当に就職でいいのか? お前の頭なら進学も十分考えられるだろ?」
青年Kはそんな教師の質問と言うより誘導尋問への回答は幾度も行った筈で、今更内容の全く同じ問いに答える気にはなれなかった。
「木村、俺はな。正直勿体ないと思ってるんだよ。就職なんてまだまだ後でいつでもできる。だが大学は後から行くのは大変だぞ? 今だからこそだ。今はやりたいことが無くても進学して、大学に行ってからでも何か見つける事は出来るだろ? それとも家庭の事情か? 奨学金だってあるんだし、お前なら地方の国立ぐらいいける。それなら学費なんて大したことはない、就職して働いた給料1年分もかからんのだぞ? どうだ、進学ーーーー」
「先生は……就職なんてしたことないようなもんでしょう? だって教師になる為に大学に行って教師になってるんだから。つまりは進学以外のアドバイスが出来ない、だから進学を進めるんだ」
高校教師に科せられた理不な業務。
それは不良生徒に適当な注意を促す事より、品行方正学力優秀な生徒に舐められるよりも、モンスターペアレンツをなだめる事よりも何より辛い仕事が、この進路相談ではないだろうかと青年Kは思う。
高校から就職していない教師に就職を希望する生徒の面談等時間の無駄だ。
ほぼ就職活動もしていない、社会経験と言っても学校しか知らない教師。
最早教師と社会に出ていない高校生との間に何の違いがあるのだろうか。
もしこの教師が社会に出ているというのなら、それは自分たちも同じ筈だ。
コンビニへの買い物、スーパー、カラオケ、飲食店、バイト。
社会を生きているのだから、社会に出ている。
強いて上げるなら家賃、光熱費、税、役所手続きか?
それをやったら社会に出た人として認められるのだろうか?
「木村……」
教師は青年Kから視線を外し俯くと、自らの膝を軽く握って徐に口を開いた。
「先生の社会経験が少ないから、就職を考えるお前にはこの時間は無駄だと。そう言いたいんだな?」
「まあ、そうなります」
青年Kは嘲るように答えた。
「しかし言うがな木村、俺は大学も一回しか行ってないぞ。ここの教師、と言うかほとんどの教師が一度しか大学へ行っていない。そんな人間がよく進学などと勧められるなとは思わんのか?」
「それは……し、就職の経験が無いじゃないですか、先生は。だから先生に就職を勧める手立てがないと、そう言いたいんです」
青年Kはいつもなら論理的にあらゆる揚げ足取りで人を論破してきた自負があるが、よくよく考えればこの担任とは体育以外HRでしか会わない為か、そこまで多く会話したことが無いのを思い出した。
「教師は公務員だがな、一般企業と同じ就活をする。志望して、試験を受けて、面接をして、内定を貰って。就職経験と言ったが、日本人の殆どがたった一か所の職場で生涯を過ごす事も少なくない。つまりだ、お前は職場を転々と変えて定職につけない人間のアドバイスが欲しいのか? それともキャリアアップのためにどんどん給料を上げて、外資系に勤め、最終的に独立した人間にアドバイスが欲しいのか? どれだけの高校生がそんな人間にアドバイスを貰えるのだろうな」
畳み掛けるような教師の理論に、青年Kは二の句が継げなくなっていた。
たかが教師、所詮脳味噌まで筋肉だと考えていたのは自分の若さ故か。
教師の内から盛り上がる三角筋でパンパンの白いTシャツが嫌に蒸し暑い。
青年Kの中で少しずつ、自らが紡ぎ、組み上げてきた就職理論が崩れていくのが分かった。
就職。
いつでも出来る。
ならばゆったりとした大学生活で、バイトでもしながら将来を誓い合うことも無い彼女と一時の恋愛ごっこもいいだろうか。
単位が取れない、卒論が書けない等と馬鹿な振りをしながら連日飲み歩くのもいいだろうか。
実際両親には進学を勧められもしていないし、就職を喜ばれるという事もない。
どちらかに決まればそれは息子の新たな門出の一つとしてそれなりに喜んでくれるのだろう。
ここまで来て自分の理論を崩されてしまった事を悔やみ、反抗的になるのも得策ではない。
そんな理由で将来を左右するこの選択を間違えてしまうのも馬鹿らしい。
つまるところ、所詮は自分の18年という人生経験が、10年差のこの教師に負けたという事だろうか。
どちらにせよ、結果的に、散々な事を脳裏で叫んだがこの進路面談。
意外と役に立ったと言う訳だ。
前言撤回、これはそう、最後に社会人として、真摯に謝罪するのが大人への第一歩か。
青年Kは小さく口を開いた。
「すみません、浅はかだったかもしれません。進学、します」
青年Kの言葉にほっと安堵の表情を浮かべ、まるでガンプラのように組まれた両腕を解くと教師は笑顔で青年を見やった。
「いや、そうか! よかった。お前らをどれだけ進学に導けたかが俺の給料に効いてくるんだよ。」
「え」
「あぁ、なぜこれを今言ったのかって? 折角お前の固い就職意志を崩して、進学に導き、更にはいい教師という名の名誉まで得る可能性があったのにと」
呆気にとられる青年Kをよそに、夕日に反射した白い歯を見せながら教師は言った。
「お前が社会とはなんぞやみたいな顔をしていたからな。これが、社会さ」
前言撤回だ。
了