自殺に失敗して、今思う事は
こんにちは、高卒君といいます。
名前の通り高卒であり、それにより日本社会で苦汁を舐めてきた私です。
他の記事やブログなんかにも書いているんですが
私は低学歴ドロップアウト組でしたので、当然その頃は収入も苦しく
生活や人生が本当に無意味と感じ、嫌だった時期が長くあったんです。
人間って言うのは、多くの人が辛い事に直面すると結構【死にたい】って思う事がよくあると思うんですよね。
私の場合、そんな何も変わらないただその日を無為に生きながらえる日々が続き、まともな職も見つからないまま。
考える事と言ったら、本当に毎日【死にたい】の一言だった気がします。
何故死にたいと思ったか?
実際死んでも何もないし、生きてても何もない。
寧ろ無駄に苦労して生きる事になんの意味があるのか。
自分はたかだか毎日6000円を苦労して貰うために生きてるのか?
それだったら死のほうがお得だろ。
と、そんな事ばかり考えていましたね当時は。
人間は面倒な生き物ですから、楽しみが無いと生きていられないんですよね。
すぐ死にたいって言ってしまいがちです。
その上実際問題、この世の中で本当に辛い時に助けてくれる人って殆ど皆無なんですよね。
その上当時は、人が助け合えるほどネットインフラも整ってなかったし。
クラウドファンディング的なもので、生活が苦しいです。
マジで助けてくださいなんて方法も簡単には出来なかった。
まあ、でももし助けてくれる親切な人がいたとしても、ほんの僅かな助力で根本的には何の助けにもなっていなかったり。
そもそも地獄真っ最中の本人には、人の助けなんて感じられるほどの余裕はないんですよね。
世界でたった一人。
誰の目にも留まらず。
意味なく生まれ、勝手に朽ちる。
そんな気持ちになるんですよ。
所謂、鬱に近い状態ですね。
まあ、まともな栄養も取れずに扱き使われ、夢も希望もないまま
支払いがあったりすればそれもしょうがないんですけど。
はっきり言って、まるで地獄のような日々を過ごした人は大体こんな心境を味わっている筈です。
それでも夢が、とか。
それが楽しい、とか。
いつかきっと、とか思える人は大丈夫なんでしょうけど。
私は正直駄目でした。
日銭で安いもんを食べながらただ闇雲に生きてる日々に。
なんの希望も持てなくなって行ったんです。
そんなある日、私は遂に死ぬ事を決意しました。
このなんの意味もない毎日を、もう終わりにしよう、と
選んだ自殺方法**
当時は完全自殺マニュアルなんて本が流行り、練炭、排ガス引き込み、硫化水素、飛び降りが楽なんてよく言われ。
あちこちで自殺が起こる時代でしたから、私でもなんとなくのやり方は知っていたつもりでした。
兎に角死ぬに当たって、痛いのとか、怖いのとかは嫌だったんです。
出来る限り楽に逝きたい。
兎に角それだけを考えていました。
そうなると手軽なのはやっぱり練炭自殺ですよね。
室内等、密閉空間で練炭等の物を燃やすと、酸素がなくなり
かつ不完全燃焼によって無臭の一酸化炭素が発生します。
それにより、気づかないうちに簡単に人は死んでしまうらしいのです。
よく火事なんかで亡くなってしまうのはこれが多いらしく。
と言っても当時の私は恐怖を消すための睡眠薬なんて買えなかったし、当然他の練炭や、七輪、そんな器具なんかも買えなかったので。
何でもいいから密室でモノを燃やせばいいんだと考えました。
段ボールのゴミと倉庫でくすねた養生テープ、そしてライターを持ってトイレに籠りました。
その後隙間を養生テープで目張りし、段ボールに火をつけました。
もう終わりだな、そんなことを考えながらトイレの床でうずくまって。
そして数年前に学生時代の友人が首を吊って自殺したことを思い出しました。
唯一の友の自殺
その友人は当時からお金の無かった私に、お昼を毎日驕ってくれたりする人で。
勉強はとてもよく出来て、全国模試で上位になるような人でした。
彼も別にお金持ちではなく、高1の頃からバイトをしているような人で。
お互い家が宗教の関係でめちゃくちゃな所が、確か最初に意気投合した理由でした。
私もそんな彼に紹介してもらい、同じところでバイトをして自分でお金を得るようになったんです。
彼とはほぼ毎日一緒でした。
まあ、彼がいないとお昼とかおいしいコンビニのご飯が食べられないんでね。
いろんな話をしたり、喧嘩に強くなる方法を考えたり、筋トレに明け暮れたり、部活を勝手に作ったり。
高3になり、私は学校にあまり行かなくなったり、授業に出なくなったりしても彼とはよく話しました。
私は大学になんか行けるお金はないし、奨学金を返せる気もしない、ましてや特待生も無理な不良です。
でも彼は本当に頭が良くて。
だからお金なんかで諦めて欲しくなくて、私は「お前は大学行った方がいいよ」なんて応援していました。
その後彼は多分奨学金か何かで大学に行ったんですよね。
創価大学です。
知る人ぞ知るってやつですね。
国立に普通に行ける人が何故そこなのかも、知っている人は知っていると思います。
ある宗教を幼いころからやらされていると、そこに行くことこそが至高という教育を埋め込まれますから。
それから1年後、珍しく彼に誘われ二人でカラオケに行きました。
私は低賃金ながらも社会人だったので、いろんな話を聞いた気がします。
でもその時の彼はどこか変な笑い方をするようになっていました。
気持ち悪いと、正直思ったのをまだ覚えています。
人は変わるんだなと、そんなことを漠然と考えながら、とにかく彼の笑い方が気持ち悪くて、他の事はほとんど覚えてません。
最後に彼は「俺はフランス語に今挑戦してるんだ、○○君は××を頑張って! お互い勝負だね!」
といって、駅で別れたのが彼との最後でした。
その一年後、彼の番号から電話が入り「おう!どうした?」と出てみると
知らない男の声で
「○○さんですか?兄は首を吊って自殺しました。履歴から一番連絡を取っていたようなので、連絡しました。祈ってあげてください、では」と。
意味が分かりませんでした。
でも、いろんなことが頭を駆け巡り。
弟? ほんとに? 弟なんていたのか? 自殺?
なんで。
あの笑い方は、もしかして無理をしていたのか?
俺が大学なんて進めなければ。
私は仕事をしていた倉庫で、気づけば涙を堪えることが出来ませんでした。
そして、友人の死を確かめる事も。
葬儀の事も、墓の場所すら。
何も教えてもらう事が出来なかったのです。
苛立つぐらい、暑くて、青い空の日でした。
自殺出来なかった自分の生きる道
気付けば、焦げ臭い臭いともうもうとした黒い煙の中。
私は激しく咳き込み、大量の涙を流していました。
煙です。
不完全燃焼だか、完全燃焼だか分からないけれど、とにかく自分で燃やした段ボールの煙が目に染みて。
呼吸も苦しくなって、今度は身体的な地獄を味わう事になりました。
涙は友人の死を思い出したことではなく、煙がただただ痛かったんです。
気付けば必死に自分で張り巡らせた養生テープの目張りを剥がし、その場から逃げ出そうとする自分がいました。
ただただ苦しくて。
苦しい。苦しい。
逃げたい。
生物の本能でしょう。
死にたくないという。
焦っている自分に情けなくて。
やっと黒煙の満たすトイレから抜け出した私は、激しく目をこすり、咳き込みながら
新鮮な空気に安堵していました。
笑えます。
何をしてるんだと。
死ぬ勇気もないんだなと。
情けなさと、悔しさで、笑いと涙がたくさん出ました。
死ぬのは大変です。
生物の本能を乗り越えなければならないのですから。
そして思ったんです。
自殺した友人は、それでも死ぬくらい、辛かったのかなと。
こんな日々で、俺に生きろって言うのかよって。
僕たちは生まれたから仕方なく生きている
自殺に失敗した情けない私は、それからも随分と長い辛い日々を過ごしました。
やけくそで、プライドも捨て、いろんな人に泣きついて、誰にも助けてもらえなくても。
それでもとにかく動き、行動して。
這い上がり、這い上がり、それでも這い上がり。
普通になって、今度はもっと高みを目指して。
今では普通のサラリーマンをしながら、副業もしています。
当時、自殺した友人と交わした口約束が何だったか、今でも思い出せないのですが。
私は彼を忘れません。
そして、言ってやるんです。
「とりあえず、俺の勝ちだろ?」って。
そしたら彼はこう言うでしょう。
ーあの時助けてあげたから、引き分けじゃない?
P.S 後にも先にも唯一の友へ
俺、あれから随分と酷い事もしたんだ。
たとえ、俺が地獄行きでもさ、神にも歯向かって
天国に行って、お前に会うよ。