何もない人間🧑
僕の周りには、夢や希望で溢れてる仲間が沢山いる。
と言いたいところだが、
そうでもないのが現状。
周りにはなにがある?
聞かれて、「何もない」と答える。
自分には何もないと、
何もないとはどういう事なのかわからない。
僕の周りには、
時計がある。
ティッシュがある。
テレビがある。
机がある。というか今使ってる。
目の前にはガラスがあって、少し曇ってる。
ホコリは見えないけど、昨日太陽の光が入ってきた時、見えたからおそらくまだある。
あとは
ベットがあったり、エアコンから送られてくる冷たい風があったり、まだ返してないtsutayaのDVDがある。
何もないという人の周りにも同じように、中和されてるのか、されてないのかわからないような物で溢れてるのではないか。
もちろん、何もないというのはそういった有形のものばかりを指してるわけではないと知っている。
🟢🟢🟢
ある男の子がいたとしよう。
男の子は右手に窮屈に折られた千円札を持っていた。男の子は十一歳だ。千円があれば満たせる感情は沢山ある。
彼は二十二歳になった。次はピン札の千円札を持ってた。彼の目の前には、彼と同じ年代かもしくは彼より若いかもしれない男の人がいた。
その男はアタッシュケースを持っていた。彼はそのアタッシュケースに入っているものを知っている。
幾重にも重なり合うように積み重ねられた札束が入っている。
彼はその男と自分とを比べた。
そうせざる負えなかったんだ。
彼の右手にあるお金と男のお金。
彼は吐き捨てるように言った。
「僕には何もない」
彼はお金を見てそう思った。
🟢🟢🟢
何もないわけがない。
大人になるにつれ、手の中にある千円札の重さに気がつかなくなる。
もっともっとと本能が暴走しているかのように欲が駆け回る。
でもその千円は子供の頃にこれほどまでに価値があるものはないと思うほどの千円だったんだ。
大人と子供は違う?
いやそうではない。
子供が成熟したら大人になるだけだ。
価値基準はどんどん上がっていくかもしれない。
求める意欲もどんどん上がっていくかもしれない。
それでも、
周りの色が見えなくなったら、ティッシュの滑らかさや時計の短針長針の動きに興味を持たなくなったら。
何もないと思ってしまう
周りには多くの興味で溢れているのに。
家族の存在や感情の変化が分かり易いならそれでもいい。
周りにあるものの価値を忘れないで。
価値をつけられるのはあなただけだから。