足尾探索記(エスネコ視点)3

どうも、エスネコです。

今回も前回に引き続き、足尾銅山の探索記です。

詳しくはこちらの記事で。

 本山駅も一通り近場を見終えたので、間藤駅に戻る。右目に足尾銅山の労組を据ながら記憶に新しい道を歩く(詳しい話は相方の記事へ)。一度通った道も、見る角度が異なれば見える物が変わる。見る対象は変化していないのに、見えるものは変化している。同じ場所でも、見方を変えれば楽しめるものが際限なく現れる。
 さっき通ったときには視界に入らなかった街並みを味わいながら歩き、あっという間に間藤駅に着いた。が、わ鉄にはフリーパスが適用されず、乗車料金が発生する。ここでも使えると思っていたと相方が愚痴っている。後悔しても後の祭り。少しでもケチるため、銅山観光の施設がある通洞駅まで歩くことになった。
 旅の思い出としては、印象強い物が残り易い。それでも、道中もなかなかエモい雰囲気がある。大半の人は、こんな風景を気にも止めないのだろうか。かくいう自分も超人的に考えながら見ているわけではない。自分なりの楽しみ方ができていれば良いと思う。
 建物の少ない田舎道が続いた後、歩行者専用の橋を渡りちょっとした住宅街に入る。そのまま歩き続け、蝉が溌剌とする森の中を経て開拓地へと出る。少しくには途中地点の足尾駅がある。足尾駅にはいくかの保存車両があり、休憩がてら相方が入念に写真を撮っている。
 日陰て水分を摂り、再び歩き始める。
 今度は左手に街が、右手には線路がある。街の段差がエモい雰囲気を醸し、好奇心のような、子どもが宝物を見つけた時の心が踊るような、そんな気持ちが湧く。高低差がある土地に人が住むと、階段や坂、多重構造の家ができる。そんな構造物には、人の生活感や風化の錆が加わっている。

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 二階から今僕が立っている場所へと出られる家もある。一階建てのものは屋根が足元にあり、奇妙な感覚だ。階段を降れば、興味が満たされ、また興味が湧くものを見つけられる。そんな気がする。だが、この旅には時間制限がある。名残惜しさが山のように積み上がる。それが自分の中で発酵し、憧れへと変わっている様もまた面白い。
 道中、お寺や稲荷さん、教会の連なる所も通った。実はこの教会、後々調べるとそこそこな歴史があることがわかった。国の有形文化遺産にも登録されているらしい。詳しいことは相方の記事を参照願いたい。

通洞駅に着いた。

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