美しかった日のこと。
書きはじめたら、まるで短編小説みたいになってしまいました。
もしよければコーヒーとクッキーと一緒にどうぞ。
待ち合わせに行く間、電車の中で私は自分の指先を見つめて、片方の手でその白い指先にふれた。冬の朝みたいな、血の気の引いた冷たい指さき。
そんな指先を持てあましながら、真っ黄色の銀杏の下の椅子に座った。しばらくぼうっとして、既読にならないメッセージを見た。
『おはよう』そう声をかけられて、はっと顔を上げると友人が立っていた。
『あ、え、いつから』
そう聞いたら、北国から始発で来たという。デニムのジャケットにデニムのパンツ、薄茶色のローファー、薄青のサングラスをかけて、イタズラっぽく笑っていた。
約束を反故にしない人だというのはわかっているのに、毎回初めて待ち合わせている高校生みたいな反応をしてしまう。
前日に結構な重さのメッセージを送ってしまい、バツの悪そうな深刻そうな顔をしていたからだと思うけれど、全部わかっている、というような声でその人は言った。
『眩しいね、黄色い』
そう銀杏を指さした。よくよく晴れた日。
眩しさはよく晴れ渡った冬の空のせいだけじゃなく、と思ったけれど口を噤んだ。
ぐるりと美術館を囲む列に並ぶ。モネはやっぱりいいよね、と思いながら、ここ最近のことを聞く。私はその人をリアルタイム日記帳のようにしているけれど、会うまでの数ヶ月間のその人についてのことを何一つとして知らないから、「天気は?」とか「普段何しているの?」とか、聞けるだけ聞いて情報を更新する。
普段もう空は鈍色ですよ、初雪が降ったことや、まだ積もらないことを朝の光が目に痛いくらいの中で聞いた。
開館して、思ったより早く行列は砂時計の砂が落ちるように建物に吸い込まれていく。国立西洋美術館の前庭にすら入るのが数年ぶりだと気づいて告げると、心底驚いた顔をしていた。
最初にその人をここに連れてきたのは私なのに、もうきっと、わたしよりずっとここに来ているその人の横顔をじっと見つめた。
モネ展はやっぱりよくて、こちらの感情を素手で掴んで揺さぶってくる。会場は混んでいたけれど、人の流れは早くて、我々は流れに取り残された水鳥みたいに長いこと部屋に佇んでいた。
「あ、この絵とこの絵」と小さく声が出て、私は柳と、黄色いアイリスの絵の前でしばらく動けなくなった。自分の、中学生の頃に見てからずっと好きだった、常設にもある絵がそこにいて、中学生の私に訴えかけた時のまま、それを受け取った時の感動のまま、そこにあったことが、驚きで、嬉しかった。
深い水の色の中に、ぽっかりと浮いた睡蓮の花、幾重にも枝垂れる、柳たちの怖くなるほどの美しさ。
その人は絵を近くだけでなく、遠くからも見る。後ろで手を組んで、絵と同様に美しいと思う。
最後まで見終えて「もう一度戻っていい?」と聞かれて「もちろん」と返して戻ったり、常設展への入り口で私が「常設見てもいい?」と聞けば「もちろん」と言ってもらったりしながら、観て回る。
常設の人の少なさと、変わらずに在ってくれた絵たちをひとつひとつ眺めて、「この絵が好きだったの」とか呟いてほんの二言三言やりとりして、またそれぞれ好きな絵に向かう、という時間が、近く、遠く、昔のようで、未来のようで、永遠のようだった。
常設展の最後の方ではもうお腹がぺこぺこで、ご飯を食べることにした。
「何が食べたい?」と聞かれて、普段子供が食べたいものを第一にして、自分一人の時はけっこう適当、としていたら何を食べたいかわからなくて逡巡した。「パンフレットとってくるから、決めておいて」と言われて、一人、どうしよう?と考える。
文化会館の2階にある、洋食屋さんが目に入る。赤い階段をのぼりたくて、でもちょっと気後れするような。でもこの機会じゃないと私はきっと二度と行かない、と思って戻ってきたその人に告げると、「いいね」とあっさり決まった。開店直後でも満席で、30分ほど待つと言われたけれど、「話していたらすぐだよ」と座って並ぶことにした。15分も経たないうちに、通された。赤い絨毯、向こうの窓は金色。
味は感動する感じではなかったけれど(失礼)それでも嬉しかった。数ヶ月分の近況をまた聞いて、知らない間に大きな事故に遭っていてフォークを落としそうになるくらい驚いたり、生きていてくれてよかった…と思ったり。もしこの人が死んでしまっても、私には連絡一つこないんだよな、と思ったり。逆も。毎回「私より先に死なないで」と言っているのが、リアルだね、と思った。
お昼ご飯を食べて、恵比寿の写真美術館か、松濤か?と尋ねたら、しばらく考えて、恵比寿に行きましょう、と決まった。
アレックソスは一回行ったらとてもよくて、「すごくいいんだよ!」と熱弁していたもの。恵比寿まで電車に乗って、眠気にうとうとしていたら、おもむろにトートバッグから冊子を取り出して渡してくれた。売り切れで買えなかったシサムのパンフレットだった。
ありがとうと受け取って、うれしく読み始めて、私も持ってきていたデデデデのパンフレットを取り出して渡す。
パンフレットは到底読みきれそうもなく、そして午後の日差しはやわらかく車内を満たして、やっぱり眠たい。
ふっと隣から香りがして、
「香水、つけてる?」と聞いたら、『日による』
「今日は?」『つけてる』「これはなんの香り?」『木の香りのやつ』
香水の銘柄まで聞いたのに覚えられなくて、「そう」と小さく答えてうつらうつら眠ってしまった。かすかな、木の香り。恵比寿。
「アレックソス」と「現在地からのまなざし」を観て、頭の奥が糖分を欲していた。
前から行きたいと思っていたカフェTOPに入りたい、と言うと『もちろん』と返された。
いつも満席で、断念していたのに、その日はなぜかすんなり入れた。はじめて入るカフェは、天井も高めで、ところどころ木の家具が置かれて、展示で興奮した頭を鎮めるのにとても居心地が良かった。
いいなぁ、でも思い切りが必要だなと思いながら、メニュー表の一番上にある季節のパフェをじーっと見る。
もしかしたら、もう二度とここにはこないかもしれない、と思って一番食べたかったそれを選んだ。
その人も、同じものを、あとコーヒーはブラックでと言って驚く。パフェ、食べるの?コーヒー、飲むの?と聞いたら、トレーニングを切り替えてから、コーヒーを飲むようになったと言う。集中力が上がって効果が上がるから、と笑っていた。数ヶ月前まで頑なにコーヒー辞めてたじゃん。と吹き出しそうになる。でも一緒にコーヒーが飲めるようになって、嬉しかった。
わたしは砂糖とミルクを、と店員さんにお願いして、隣の席を見ると海外の方できっとおじいちゃんおばあちゃんのご夫婦。仲良しそうで、デザートを二人で食べていた。りんごのコンポートも、タルトもきらきら。美味しそう。
運ばれてきたパフェを見て、思わず「か、かわいい!うつくしい!」と小さく叫ぶ。写真を撮っていたら隣のご夫婦が『それはかわいいね!』と言ってくれたので、そちらのもかわいいですよとお礼を言った。
「上のっているお花は食べられますからね」と店員さんに教えてもらって、長いパフェスプーンで食べた。洋梨、ミルクアイス、マスカット、マカロン、紅茶のゼリー。体が斜めになって「くぅ〜!!」と言うほど美味しかった。
コーヒーも、ちゃんとおいしくて「おいしいね!これはおいしいね!」とはわはわしながら食べた。ぱっと見厳つく見えるその人とパフェの組み合わせが可愛くて笑った。わたしの3倍のスピードで食べ終わっていて『これなら、あと10杯は食べられるから、食べきれなかったらもらいますよ』と言われて丁重に断って全部食べた。
ひと心地ついて、色んな話。今日みた展示のこと、感情のこと、大脳と辺縁系の話、写真絵馬のこと、枠の話、写真について、生活、他者と生きること、生きづらさについて。
気づいたら日が暮れていて、3時間くらい話していて、まだ話せそうだったけれど「そろそろ出ようか」とどちらからともなく席を立った。
恵比寿はクリスマスムードで、東京タワーが見える!と立ち止まる。何秒まで手持ちで行ける?と言われて1/8かなーと撮った。現像から上がった写真はぶれていたけれど、思ったよりは写っていた。
ぎゅうぎゅうの山手線で倒れそうになりながら息を潜めた。乗り換えの新宿駅で降りて、パンフレットを渡してくれた。あと、haruka nakamuraの写真集が返ってきた。
ちょっと考えて、『海のうた』を手渡した。
その人はありがとう、と受け取って、それをトートバッグに仕舞った。
またいつか会う、という遠い約束を残して、わたしは今日も生きている。