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宮部みゆき『名もなき毒』(文春文庫)
「毒殺事件」と「サイコパス」の2つのストーリーを主軸とする社会派ミステリ。この小説における「毒」とは、犯人の使用する「毒物」であり、「土壌汚染」であり、人間の内面に住む「怒り」である。「名もなき毒」というより知らず知らず人間をむしばむ「見えない毒」の恐ろしさを感じた。
小説としては序盤から終盤までずっと面白い。さすがの筆力でぐいぐい読ませるリーダビリティ。とあるキャラクターのモンスターじみた造形力。
であるのに、「真犯人」が判明したところで正直なところ肩透かしを食らってしまった。そこまで充分に面白かったので期待を持ち過ぎたのもいけないのだが、フーダニットとしてもこじつけが強いと感じたし、ホワイダニットとてしてはそこまで描かれてきた人物像とは乖離していると感じた。特に「犯行の動機」はテーマを立たせるために強引さが目立ったし、「薬物の処理」に心理の一貫性がない。
作者はおそらく、「2つのストーリーが混然一体となり、2人のキャラクターが会話する」ところを頂点に持ってきたかったのだろうが、半面、その「ストーリーのための犯人象」のような気がしてしまった。
しかし、これはぼくが個人的に引っかかった点であり、この幕切れすんなり受け入れられればそこまでの魅力は充分すぎる小説。
「社会」を描こうとしても「ミステリ」でなければ、読んでもらえないのが「社会派ミステリ」としてのジレンマなのかもしれない。
あと、主人公は、大企業の広報という立場でしかないのに、「おいおい、そんなところまで首をつっこんでいくの?」と思わざるをえない場面は散見し、「素人探偵という設定」を成立するのは難しいのだろうな、と改めて思った。
探偵と言えば、よく読むと「探偵役」が何人もいて、推理と捜査のリレーで真相に近づいていくのは、作者の意図的なものだったのだろうか。