重松清『その日のまえに』(文春文庫)
帯の惹句「これは泣く!!」って、ちょっと間違っていないだろうか。
まず、この文庫は短篇集である。
クラスで好かれていない女の子が難病で死を迎える「ひこうき雲」。
かつて夫を亡くした教師が以前の教え子と不思議な交流をする「朝日の当たる家」
癌の告知を受けた中年男性が幼いころ友だちが溺れ死んだ海を訪れる「潮騒」。
シングルマザーと高校生の息子が癌の検査に向き合う「ヒア・カムズ・ザ・サン」。
余命宣告を受けた妻とその夫がかつて暮らしたアパートを訪れる表題作「その日のまえに」。
以上の4篇が独立した短篇であり、そのあとに続く2篇、「その日のまえに」の妻が実際に亡くなる「その日」。さらにその後日譚である「その日のあとで」には、前述の登場人物たちがゆるやかに絡んできて、全体的に連作短篇集の体裁をとっている。
正直、読んでいてつらくて仕方なかった。確かに涙をこぼすシーンも多いけど、それより死が短篇集全体にべっとり張りついていて読み進めるのが苦しかった。自分も30代のときに父を癌で亡くしているため、小説内にリアリティは確かにあったし、「死を迎える者」のかたわらにはたいていの場合「死を看取る者」がいる、という視点も現実だ。実際ぼくがその立場だった。また、ぼくは妻との二人暮らしのため、とにかく「妻が死んじゃう話」にはめちゃくちゃ苦手なことがわかった。妻が入院した時期のことを思い出すだけで胸が掻き毟られる。
だからこそ、帯の「これは泣く!!」って的外れではなかろうか。
もちろん、物語のなかで人が死ねばつらいし、涙がこぼれる。でもこの小説は、ただ泣かせるために書いているわけではないと思うのだ。あくまで「死と向き合う人間とそれを見まもる人間」というモチーフが全篇を貫いている。
しかし、ふつうの短篇小説集の中に、このどれかの短篇がふっと挿入されていたら、そのテーマの重さが印象に残ったと思うのだが、すべての短篇が「死」を扱っているために逆に重さばかりが際立った感があった。
一体どうしてこんな形式・内容の短篇集にしたのかといぶかしんでいたところ、あとがきを読んで判明。当時、作者の恩師の方が急死し、その気持ちに向き合うため、この短編集を編む際、最後の「その日のあとで」から逆算する形で、本来は収録されるはずだった短篇をはずし、順番を入れ替え、あるいは改稿して、この「全篇、死がテーマの連作短篇集の体裁」を調えた、とのことだった。
それは重くもなるわ。小説家というのは己の内部と向き合うためにそこまでするんだなあ、という好例かもしれない。