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餘部鉄橋の思い出
餘部山陰本線 鎧駅と余部駅の間にある橋梁で1912年(明治45年)開通し2010年7月16日に100年間の運用を終えた 全長310.59メートル高さ41.45メートルの鉄製トレッスル橋である
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2006年12月にマイカーで出石城址に出かけ こうのとりの郷公園に立ち寄り見学後 176号線経由で餘部へ向かって撮影した画像です 帰途は浜坂経由で9号線で福知山経由舞鶴自動車を利用して帰宅しています 一人で運転したが500キロメートルは越えていた
最近になり100年間鉄道輸送を支えてきた余部橋梁の画像発見し掲載しています 大半の画像は何が原因か消滅しています ブログでは閲覧できますが 古い資料とともに余部橋梁の歴史をふりかえり広く知っていただくため掲載することとしたい
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見上げた餘部橋梁 青空のもとまるで橋梁工事の美術作品であると感じさせられ日本の建設工事の高度な技術を感じさせられる
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上品で信頼できる骨組を見ているとみで100年間 人間社会に真摯に尽くしてきたのですよと 餘部橋梁は私に語っているようだった 長い間お疲れさまでしたと語りかけてしまった
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余部橋梁は 2014年に 明治末期に 東洋一の橋梁として建設され また適切な補修により一世紀にわたりほぽ建設当時の姿を残した土木遺産として 土木学会選奨土木遺産に認定されている 登録銘は 旧余部橋梁である
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新しくかけ替えられた余部鉄橋は鎧駅と餘部駅との駅間にある橋梁で1912年(明治45年)3月1日に開通 2012年7月16日に運用を終えた 全長310.5メートル 高さ41.5メートル の鋼製トレッスル橋梁であった
新橋梁建設にともない餘部鉄橋は 空の駅として再生されたと報道されている旧橋梁跡と 展望施設の余部クリスタルタワーから日本海や港を展望できる施設がある
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