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関西本線 加太越中在家信号場の思い出

中在家信号場は関西本線 柘植駅 加太駅 8.9キロメートル間の25‰の急勾配区間に設置されていたスイッチバツク式の信号場だった
1971年101月12日に訪れ柘植駅を通過し加太隧道を経て中在家信号場で下車して加太駅までドラフトフトの音を聞きながら築堤の線路のそばを歩き撮影したと記録が残っている  中在家信号場は1928年営業開始し 2019年に廃止されている その間東海道本線が災害等で不通となったときには 東海道本線の列車が運転されたこともある 現在では信じられないことだが

この区間に関心をもった きつかけはあべの橋から近鉄特急で大和上市駅経由で大台ケ原に向かいバス停から日出ヶ岳を経由し大杉谷を歩き桃の木山の家で一泊し宮川沿いに下山し宮川ダム湖の船を利用し紀勢本線で松阪へ向かい急行くまの号で亀山から関西本線で京都駅まで利用したことがあり関心があったからだその後 名古屋駅から天王寺までも利用している

加太駅

加太駅の駅名のルーツは鹿伏兎とされている 明治29年 12月営業開始 鈴鹿川が山間から流れ出て幾瀬も小川が山間から落合いこの付近から川幅が広くなることから(河太)と名付けられたと考えられている


                                       

山間の急勾配区間を山中に溶け込み白煙を上げてドラフトの音力強く牽引する蒸気機関車の迫力ある姿を眼にしてその迫力に何度も魅せられた  





下り勾配では動輪も快音を残して下っていった
上り勾配の補機を連結した列車


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