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2024年の終わりに、楠クリーン村の歴史を振り返る
こんにちは。楠クリーン村の高田です。気が付けば、2024年もあと数日となりました。
年越しから年明けは、1年の中でも特に好きな行事です。慌ただしい日々が静かにゆっくり閉じていき、新しい年に向けて、無意識的にも意識的にも区切りをつけて再び日常に戻る空気感。とても好きです。
楠クリーン村は鶏がいるため、基本的には大晦日であれ、元旦であれ、鶏の餌やりをして採卵をして出荷をするという仕事があります。
なので仕事をしてると言えばしているのですが、忘年会があったり、お餅つきをしたり、保育園がお休みの息子と鶏観察に励んだり。
いつもと違う雰囲気でゆったり過ごせる時間が幸せです。毎年楽しみにしている箱根駅伝もあるし!
今年は、2022年からコツコツ建築を進めてきた集会所がおおむね完成し、活用をスタートしたということで、いつもと一味違う1年でした。
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6月に初めて店開きイベントを開催し、11月には新米と芸術の秋祭りというイベントも開催することもできました。
店開きを境目に、次はこれもやりたいあれもやりたいと、色々なことが頭に浮かび、脳の思考回路がリニューアルされた感覚があります。
実際に集会所を使ってみて、こんな雰囲気になるんだ、とわかったことの影響が大きいと思います。
店開きが終わった頃、お客様に「楠クリーン村は第2章に突入したって感じですね」と言って頂きました。 なるほど、第2章!
新しいステージに入った雰囲気を感じ取ってそう言って下さったのだと思い、とても嬉しかったです。
そして、うむ、とちょっと考えた後に「いや、第4章かもしれません」とお答えしました。
私も夫も、楠クリーン村に来て10年目。どうやら私たちの仕事は、第4章に突入しました。
2024年の締めくくりに、せっかくなので、ざっくりと第1章から第4章の紹介をしてみたいと思います。
■第1章 茶畑再生編(2007年~2010年)
第1章は、私たち夫婦が楠クリーン村に来る前のお話です。2007年から2010年にかけて、しばらく耕作されていなかったお茶園を再整備する「茶園再生」をしました。もともと楠クリーン村のお茶園は「東二ノ瀬茶園」という名前で、近隣に住む約20人の農家さんたちが、通いながら管理している広ーいお茶園でした。
高齢化や収入低下により年々耕作する農家さんが減っていき、2005年には最後まで栽培していた方が辞められました。その後の栽培管理を、私たちが継承しています。
お茶の商品化が実現したのは、2010年頃のこと。現在、たくさんの方にお楽しみ頂いているお茶は、ここからスタートしました。
お茶園再生当時の責任者が虫がいない畑というのは不自然であることや農家自身の体調に影響があることに違和感を覚え、殺虫剤や防虫剤、除草剤等の農薬・化学肥料を使用しない栽培方針に決め、今もその方針を引き継ぎ、さらに深めながら、茶園を管理しています。(現在は有機肥料等も含め使用しない、無肥料・無農薬栽培)
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■第2章 自給自足編(2011年~2013年)
茶園の管理をはじめた当時は、通いながらお茶園を管理していたそうですがが、農と暮らしは近くにあってこそ真価を発揮するという考えから茶園内での生活環境整備(自給自足)にチャレンジし始めました。
この頃、よくメディアに取り上げて頂いたためか、良くも悪くもこの時期の印象が強い方が県内には多くいらっしゃいます。
良くも悪くも…というのは、当時なんとなーく漂う閉鎖的な雰囲気もあったようで(実際そうだった模様)私が代表になってから「若い者が山に籠って何しとるんか?」「宗教団体だろ?」と詰められる経験をたくさんしたので、この印象は根強いんだなと肌で感じています。(宗教団体ではないんだよね?っていうのは今でもよく言われるし、今も検索ワードには残念ながら「楠クリーン村 宗教」と出てきます。涙)
逆にアグレッシブで面白いね!他にはない活動だね!と言って下さる方も当然いました。
そんなわけでおそらく近隣の方たちを中心にやや不安にさせてしまっていた自給自足編ですが、私はこの頃に大学生インターンシップとして参加して、サバイバル感がめちゃくちゃ面白い!!!と感じました。やっと働き、暮らす場所を見つけた!と、心の中で何度ガッツポーズをしたか、わかりません。
2013年、大学3年生の終わり頃に初めて訪れ、1日目の仕事は「風呂づくり」。
「インターン生たちが来る前に風呂を作っておきたかったんだけど、間に合わんかった。手伝って!」と言われた時には、農業するのかと思ったら風呂つくるんか!とたまげました。
とにかくやれることは何でもやるスタンスで、セルフビルド・牛の放牧・ソーラーパネルの設置などを行いながら、農業をしていました。ちなみに夫は、私が到着した次の日にインターンシップ生としてやってきました。当然当時は、見知らぬ他人同士。
■第3章 事業化編(2014年~2023年)
私が楠クリーン村を目掛けて移住してきたのは、大学を卒業した2014年の事なので私が本格的に関わっているのは第3章からになります。
茶園を再生し、暮らしの自給率向上へのチャレンジを深めてきたクリーン村。最大の問題は運営資金の確保でした。いくら自給自足を目指していても、資金不足の状態で継続的な活動を営んでいくことは、難しい。
2014年からはマルシェへの出店、卸販売をして下さる方への声かけ、現在も続く購入予約の仕組み「トラスト」の充実、あるものをきちんと売る(ブルーベリーや山菜、お茶など)ことをはじめ、自社商品の開発製造、パッキングの委託業務、オンラインショップ運営、展示会への出店、大学やイベントでの講師等、やれることはなんでもやってきました。
同時に庭先で飼うことから始めていた養鶏の事業化や、お茶生産の品質向上、畑の土壌改良など色々ありましたね…。
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詳細は割愛しますが実は移住直後に当時の代表が退職し、私は仕事を始めて半年後に代表就任となってしまいました。
右も左もわからない、農業も素人、経営も素人、人としても未熟極まりない状態だったのでカオスそのものだったと思います。(当時支えてくれた方に心から感謝…!サポートしてくれた人たちがいなかったら、とっくに心が再起不能な状態になっていました)
そういう中で、若者(23~28歳くらいのメンバーだったでしょうか)10人前後で運営していて、新しく人が入る、今度は人が辞める、そこにインターン生や海外研修生も加わり、トラブルや問題には事欠かない毎日。
収支の安定化が急がれ、毎日は忙しく全力疾走。振り返ると極めてハードでした。
前に進んでいる気もするけれど、サバイバル感いっぱいのインターン時代を振り返ると、当時感じていた面白さはどこか遠く、懐かしさすら感じるような…
私たちは向かいたい方向に果たして向かっているのだろうか、そんなことも頭をよぎる時期でした。
■第4章 調和編(2024年~)
子どもが産まれる前後(2022年頃)から仕事にかけられる時間が急速に減り、さほど仕事の役に立てないというもどかしさがありましたが、そのおかげでゆっくり考える時間が取れました。
色々と考えた結果、とにかくこの山で生きることを大事にしたい、という思いが込み上げてきました。
事業化を考えるにあたり、山のことよりも、なんだか外に向かう意識が強くなりすぎていたようです。
この山で老若男女が集い、自然と共に生きることを遊ぶように学びながら、助け合ったりチャレンジを支えあえる関係性が多様な形で広がっていけばよいな、と思いました。
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子どもが産まれたことで、わが子に「生きるって面白いよ」って伝えられたらいいなと、シンプルな考えに落ち着いたことも大きかったです。
もちろん戦争や格差、食糧危機のこと、すでに大きな影響が出始めている気候変動のことなど、考えることは山ほどあり、それに向けて起こしていきたい行動も山ほどあります。
そのことに目を向け行動しながらも、やっぱり楽しく面白く生きていく、朗らかに繋がっていく、そういうことが大事だなと思うようになりました。
はじめたばかりの頃は、頭でっかちだったなーなんて思ったり。
最近は、仕事を通して出会う人たちとの関係性も変化してきたように感じています。
こういう人たちが集う場になったら楽しいだろうな、と思える人たちとの出会いがたくさんありました。何か大きな成果を残すことよりも、そういうことが一番心に残るものだな…と実感。
第1章~第3章を踏まえて、第4章は以下のことを大切に!と思っています。
これは2025年~2026年の目標でもあります。
1.手を広げてきたことを見直す
当時たくさんの人でやっていたことを、今は少人数でやっている
無理をしている状況なので、長く続けられる形に整えることを目指す
最優先は何か、と考えた時に「お茶を一番大切にしたい」という気持ちが確かにあることを再確認 しました
⇒2025年はお茶の収穫をお休みし、2026年に新パッケージで再販予定です!
2.暮らしの自給率向上ができる余白を確保する
やはり私や夫にとって、自給自足に没頭していたサバイバル期はとても楽しかった。
できないと思っていることができた瞬間は忘れられなかった!
事業化も当然のことながら大切だけど、そういうチャレンジができる余白がなければ楠クリーン村じゃないよね!という気持ちの再確認
3.これまでやってきたことが調和するような事業
何かを売るということのために、外に出ていったり、依頼を頂いた仕事をすることに注力していたが
まずはクリーン村に来てもらうことを目指す
それが自分たちにとって自然な形で事業にもなり、訪れる人たちの体験や発見など面白さにもつながる可能性を感じるから
集会所の活用が、鍵となりそうです。
これからは「お茶×自給×事業」の調和を根底に据えながら、新たな方向性に向かう心づもりですが
何もかも落ち着いてはいなくて、まだまだしばらくは渦中です。
はてさてどうなることやらー。楽しみに見守って頂けますと幸いです。
皆さま今年もお世話になりました。良いお年を!
長文を最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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