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昼の喪失感について

注意:この記事にはパラレルコレクション樋口円香『ジャンク・ション』のネタバレが含まれます。読んでいない方はぜひ自分で読んでください。


私は円香Pを名乗っておきながらmerryもオイサラバエルもフリークス・アリーも読んでいないので本コミュの文脈や複線などは特に語れない、コミュ読みエアプ勢なのですがその分をパッションとフィーリングで補って思いの丈を話していきたいという記事となっております。というか半分くらいポエムのつもりで書く予定です。とはいえネタバレ自体はあるので嫌な方はブラウザバック推奨です。




ここからネタバレ有

皆さん、挫折したことや辛いことから途中で逃げるような体験をしたことはありますでしょうか。私の解釈的には今回の円香の世界線はそういった状況に陥った円香が描かれているということになっています。私は今回のパラコレの世界線は「なにかしらの理由でアイドルを諦めた世界線」であると考えていて、透はまだ続けているものだと思っています。理由をつけるとしたら『高架下』の最後のナレーション的なところの「ほどほどで息をしている 無難に 過不足なく うつくしいもの、とは 程遠い場所で」というセリフから「うつくしいもの」=透 という風に解釈するというようなことになりますが本ブログではその部分を前提ということにして話をさせていただきます。

「終わり」のタイミングについて

最初にうっすらと挫折と逃げについて触れましたが今回私が語りたいのはそういった部分についてということになっています。これに近い例として卒業式が挙げられます。私が思うに卒業式の最中やその日の夜に喪失感を感じることは少ないと思います。喪失感を感じる瞬間というのは卒業式が終わり、夜が明け、朝が来て当たり前の日常に戻るとき、そこに何年もあったはずの仲間がおらず、本来あるはずのやるべきことが消失し、忙しくなくなり楽になったはずがどこか空しいような感覚になる、あの瞬間であると私は思います。これはあくまで偏見なのですが過去を振り返る系統のエモというのは夕方が多いように感じます。夕方というのは一日の終わり、その日を振り返る時間であるとともに明日への期待を膨らませる時間であります。それに対し、昼間というのはふつうの人がなにかしらの活動をする時間であり、なにかを成すべき時間でもあります。その時間に活動をせずに歩道橋の上で黄昏ている状況というのはなにかを成せなかったという証左となるわけです。さあ、そのときに円香はなにを思うのでしょうか。アイドルにかけた時間に対する後悔なのかプレッシャーから解放された安堵感なのかは分かりませんがアイドルに対する未練がないということはあるのでしょうか。先ほど例に出した卒業式とアイドルを辞めるということの違いは「期間を満了したかどうか」の違いなのだと思います。途中で何かを辞めてしまった経験がある人は分かると思いますがやりきれなかったものがあるときの後味の悪さというものはかなりのものであります。現役の時は「辞めたい」と言っていたのにいざ引退すると部活が恋しくなるというのは部活あるあるだと思います。

さて、樋口円香が一度辞めたアイドルに復帰することはあるのでしょうか。結論から言うと私は復帰しないものだと考えています。もっと言うなら復帰できない方が嬉しいと思います。一般的に何かをやめるとき、それに愛着があるほど辞めるのが難しいしやり直したいという気持ちも強くなるものだと思います。しかし、それに伴いやり直せなくなっていく、というのが樋口円香なのだと私は考えています。円香は自分の言葉を「軽い」と評している(G.R.A.D.編)。なぜ自分の言葉を軽いと思ったのかというと彼女の人生においての苦労が少ないということに起因していて、苦労に溢れている無名アイドル(通称ギン子ちゃん)の言葉の重さ、足踏みの力強さを羨むような描写さえ見受けられます。この場合、ギン子ちゃんが苦労している理由はギン子ちゃん自身にあるわけではなく円香を始めとする周りの才能に押しつぶされそうになっていることなわけです。その点、円香は本来才能に溢れていてやろうと思えばいくらでも仕事をもらえるような立ち位置にいるのですが、そんな円香もある人物の才能に困らされています。お察しのとおり浅倉透です。円香がアイドルを始めた原因であり、仮に円香がアイドルを辞めるとしたら原因は透しかいないでしょう。もっと言うと円香は透に並ぶ、もしくは追い越すことを自分の中で諦めたという形になるでしょう。今回のパラコレの世界線の私なりの認識はそんな感じです。最初、「笑っておけばなんとかなる」などと言っていた円香が挫折してアイドルを辞めるまでに至るというのは円香自身の意識の変化の現れであると思います。円香にとっての「アイドルを辞める」という決断の重さは彼女にとっての「アイドル」への覚悟の重さに比例するものであるわけです。高く飛ぼうとするほど落ちたときに痛くなるわけですね。パラコレを通して描きたかったものは完全に地面に落下してしまった円香なのではないかと私は考えます。仕事で失敗したとて、オーディションに負けたとて円香は情熱という燃料で飛び続けられます。しかし、円香も人間なのでときには何かにぶつかって落っこちてしまうこともあります。そんなとき、やりすぎであろうが痛かろうが誰かが手を掴んであげなくてはいけないわけです。今回、掴むことができずに落ちてしまった円香が復帰するというのはすなわち元の飛んでいた場所まで戻るということと同じ意味をもつのですが、それは元の位置が高ければ高いほど大変で、そこに至るまでの道のりは途方もなくなってしまうわけです。それをもう一度することへのハードルの高さは自分が積み上げてきたものの大きさであり、他のアイドルが積み上げてきたものへのリスペクトでもあります。アイドルを通して円香が感じたことの中にそのようなことがあると私が嬉しいという話です。

人は皆課題を抱えて生きていくものだと私は思います。アイドルであればライブのためにレッスンを重ねたり努力に追われるわけですが、それはアイドルを辞めたとて逃れられるものではありません。円香はアイドルを続けるためにしなければならないことがあったように、一般人になってもなにかをしなければならないのでしょう。要するに円香がアイドルとしての物語の幕を閉じても彼女の物語は続いていきます。そこにある違いは我々Pがその物語を観測できるかの違いです。本来の世界線では円香の物語を最後まで見届けられるように「……頑張ろう。お互いに」



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