第4話:医療殺人⁉ モルヒネの夜明け
父が交通事故に遭ったとの知らせが届いたのは、平穏な日常のただ中でした。幸い、命に別状はないという連絡に、家族全員が胸を撫で下ろしました。医師の診断では骨折もなく、軽い打撲と擦り傷だけとのことでした。しかし、念のため入院し、痛み止めとしてモルヒネが投与されることになりました。私たちは医療を信じ、父を安心して病院に任せました。
ところが、父の入院生活は想像以上に短いものでした。わずか7日後、医師から伝えられたのは信じがたい言葉――「お父様はお亡くなりになりました。」
突然の別れに家族全員が言葉を失いました。事故から数日間、父は元気そうに見え、会話もできていました。入院当初の状態から、命に関わるような兆候は見られなかったはずです。なのになぜ、こんなにも突然亡くなったのでしょうか。
疑念を呼ぶモルヒネの影
父の死因を尋ねると、医師は「高齢による自然死」と説明しました。しかし、その説明に納得することはできませんでした。事故直後は意識がしっかりしていた父が、なぜわずか1週間で命を落とすことになったのか。家族の頭には無数の疑問が浮かびました。
特に気になったのは、投与されていたモルヒネについてです。父が入院中、痛みを訴える様子はほとんどありませんでした。それにもかかわらず、医師は「予防的な意味」でモルヒネを使用していたと説明しました。痛みがなかった父に強力な鎮痛剤を投与する必要があったのか――その判断に対する疑念が消えることはありませんでした。
カルテの不備と曖昧な説明
私たちは、父の治療経過を確認するため、病院からカルテの開示を求めました。しかし、その内容は驚くべきものでした。カルテにはモルヒネ投与の具体的な理由や用量、経過観察の記録がほとんど記載されていなかったのです。さらに、父の容態が急変した日の記録には矛盾があり、医師たちの説明も曖昧で一貫性がありませんでした。
家族として、私たちは強い怒りと失望を感じました。医療現場での透明性の欠如、そして患者や家族への説明不足――これが父の命を奪った「医療殺人」の一因ではないかと考えざるを得ませんでした。
医療殺人の現実に直面する
この事態を放置するわけにはいきませんでした。同じような悲劇が他の家庭で繰り返されないよう、真実を明らかにする必要がありました。私たちは医療専門家や弁護士に相談し、カルテや治療記録の精査を進めました。その結果、父に投与されたモルヒネの用量が高齢者にとって危険なレベルであったことが判明しました。
さらに、モルヒネの使用が適切であったかを判断するための診断記録が欠落していることも分かりました。これにより、病院側が治療方針を曖昧にしたまま、安易にモルヒネを使用した可能性が浮き彫りになったのです。このような行為は、医療ミスや過失では済まされず、「医療殺人」として認識されるべき深刻な問題です。
家族としてできること
この経験を通じて、私たちは家族が患者の命を守るためにできることを学びました。
カルテの内容を詳細に確認する
記録に矛盾や不備がないかを確認し、医師に積極的に質問することが重要です。治療方針について納得するまで説明を求める
病院側の説明に不明点があれば、セカンドオピニオンを活用するなどして、適切な治療が行われているか確認しましょう。医療機関に透明性を求める
家族として、医療現場の透明性を追求し、不正や過失を見逃さない姿勢が必要です。
医療現場への問いかけ
「医療殺人」という言葉は決して誇張ではありません。病院や医療従事者への信頼が崩れることで、患者や家族の人生が大きく狂わされる現実があります。だからこそ、私たちは医療現場に対して高い透明性と説明責任を求めるべきです。
モルヒネの使用が適切であったのか、治療方針が正しかったのか――これらの問いに正面から向き合うことで、初めて医療の質を高めることができるのではないでしょうか。
未来への希望
父の死は、私たちにとって大きな悲しみであり、二度と取り戻すことのできない喪失です。しかし、その悲しみを無駄にせず、医療現場の問題を広く伝えることで、同じような悲劇を防ぐ一助となりたいと願っています。
読者の皆さまにも、医療現場での問題に目を向けていただきたいと思います。「医療殺人」という言葉が未来に不要となる社会を共に築いていきましょう。