第1話:医療殺人⁉ 突然の別れ
その夜、母はいつも通り眠りにつくはずでした。しかし、彼女の体に異変が起きたのは深夜。高熱と息苦しさに襲われた母を見て、家族はただならぬ事態だと悟りました。迷うことなく救急車を呼び、緊急搬送された病院の明るい照明の下で、私たちは医師に母を託しました。
「大丈夫です、治療を進めますので安心してください。」
医師のその言葉を信じ、私たちは一時の安堵を得ました。しかし、それは始まりに過ぎなかったのです。
母はその夜、集中治療室で適切な処置を受けているはずでした。点滴が施され、酸素吸入が行われ、私たちは母が回復に向かっていると信じて疑いませんでした。しかし、7日後、突如として母の容態は急変しました。病院からの電話が鳴り響き、「今すぐ来てください」という医師の一言が、家族の運命を大きく変えることになるとは夢にも思いませんでした。
到着した病院で告げられたのは、母の死亡宣告でした。「信じられない」という言葉では表現できない衝撃。涙を流すことさえ忘れるほど、心は混乱していました。確かに入院初日は元気ではなかったにせよ、会話もできていた母が、なぜこんなにも突然命を落とすことになったのか。その理由を医師に尋ねると、彼らの回答は曖昧なものでした。「年齢による自然な経過」「持病の悪化」などと言われましたが、私たち家族は納得できませんでした。
母のカルテを確認すると、そこには驚くべき事実が隠されていました。医師による適切な説明があった形跡がなく、重要な処置についても記録が曖昧でした。さらに、あるはずのない薬剤が使用された形跡があり、それが母の急変に繋がった可能性が示唆されていました。痛み止めとして投与された薬――それは強力なモルヒネでした。母がそのような薬を必要としていたのか、誰も説明してくれません。
私たちは、母の死に関する情報を集めるため、病院関係者に質問を重ねました。しかし、返ってくるのは曖昧な回答ばかり。「治療は適切だった」と繰り返す医師たちの態度に、次第に疑念が膨らんでいきました。そして、浮かび上がったのは、医療ミスが隠蔽されている可能性です。
ここで考えざるを得ませんでした。これは単なる不運な事故ではなく、医療現場のずさんな対応が招いた『医療殺人』なのではないか?
母の死をきっかけに、私たちは医療システムの闇に気づかされました。病院側が守ろうとしているのは、患者の命ではなく、自らの評判と利益であるかのように感じられたのです。カルテの記録は不完全で、医師たちの言葉は一貫性に欠けていました。病院内での内部調査を依頼するも、具体的な回答を得ることはできませんでした。
さらに調査を進めると、同じ病院で似たようなケースが過去にも起きていることが分かりました。いずれも高齢者であり、救えるはずの命が失われています。痛み止めや鎮静剤が過剰に投与された可能性、そして医療行為の適切さに関する疑問が、数多くの遺族の間で共有されていました。
母の死を無駄にしないためにも、私たちは真実を追求する決意を固めました。弁護士や医療専門家に相談し、カルテや治療記録の精査を進める中で、浮かび上がったのは驚愕の事実でした。母に投与されたモルヒネは、適切な用量を超えていた可能性があり、それが心肺機能を低下させた原因と考えられます。
これが「医療殺人」でないなら、何なのでしょうか?私たちが声を上げなければ、同じような悲劇が繰り返されるのではないか――その思いが、私たちの行動を後押ししました。
医療殺人に立ち向かうために、私たちができること
この物語を通じて、私たちは読者の皆さまに訴えかけたいのです。医療現場で何が起きているのか、どのようなリスクが潜んでいるのかを知り、疑問を持つことの重要性を理解してほしいと願っています。高齢者が医療ミスや不適切な対応の犠牲になるケースは少なくありません。しかし、それを「仕方ない」として見過ごしてしまえば、悲劇は繰り返されます。
私たちは声を上げるべきです。医療機関や医師に対して質問をし、記録を確認し、必要ならば外部の専門家に相談することで、家族の命を守ることができるかもしれません。そして何よりも、医療現場の透明性を求める声を多くの人々と共有することが、未来を変える力となるのです。
最後に――母の死が教えてくれたこと
母が亡くなったあの日から、私たちの心には大きな穴が開きました。しかし、その穴を埋めるために、私たちは前を向くことを決意しました。この物語が、皆さまにとって医療現場の問題を考えるきっかけとなれば幸いです。「医療殺人」という言葉が過剰ではない現実を知り、共により良い未来を築くために歩みを進めましょう。