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「接待を伴う飲食店」に感じるぼやき

コロナ禍で何かと話題になる「接待を伴う飲食店」をはじめとした夜のお店さんたち。
市民権を得ているかどうかは別として、そこで働く人たちも労働者なんだよなあ。

かつてキャバクラに連れて行ってもらってすごいなと思ったことがある。

20代半ば、そのころは福祉系のお仕事、対人支援職についていた。
その仲間たちで飲みに夜の街に繰り出し、最後はキャバクラに行った。

今もそうだけど、そういう場が苦手なので訪れるたびに「恐縮」という言葉がぴったりな態度になってしまう。
もちろん会話だって自分から切り出せるものではないのだけど、そちらのお姉さんたちの会話のつくり方のまあ自然なこと。いろんなお客さんがいるだろうに、相手に合わせて話をはじめたり耳を傾けたり。

帰りにみんなで「あのお姉さんたちってカウンセラーだよね」「あの態度って傾聴だよね」と職業に絡めて冗談も入りつつ、結構まじめに語った。

プロフェッショナル云々を語るつもりはなく、あの場所で助けられている人、あの場所を必要としている人、あの場所で弱みを見せている人たちもいるんだろうなって。

働く人たちがいるってことは、同時にその恩恵を受けている人たちがいるってことだ。

何かの発生源であるからといって、同時にそのリスクが高いからといって、またその雰囲気に絡めて、一方的に疎ましい目で見られるのはどうなんだろうって思ってしまう今日このごろ。

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半田孝輔|ライター・編集
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