誤解の発端となった人は、どういう気持ちで過ごさなければならないのか?

かつて「豊川信用金庫事件」という、デマがもとで取り付け騒ぎが起こり、大量の預金が引き出されたという騒動があった。

警察によってデマが伝わる過程が解明されたという点でも、非常に珍しい事件だからこそ、後世に語り継がれているのだけど。


「デマの発端となった冗談を言った人は、その後、どのような気持ちで過ごさなければならなかったのか」

ということが、私は気になる。


私は内耳の神経に病気を抱えていて、ごく初期のうちは祖母と同じ耳鼻科の先生に診ていただいていた。

祖母にしたら私のことが心配だったのか、先生に私の病状を聞いたようだ。先生も勝手に他の患者さんの情報を話せないので

「神経の病気ですね」

と簡単に説明したようなのだ。

祖母の世代の人は「神経」という言葉を、「精神」「精神状態」などを表す言葉としても使っていた世代なので、祖母は私の病状を

「気にしすぎ、大げさ、神経質」

なのであると、思い込んでしまったようだ。


先生と祖母とのやり取りをまったく知らないで、先生を信じて治療に通っていた私は、

「病気病気と気にしていたら、怠け癖がついてしまう」

「なんでも病気のせいにして、ふさぎ込んでいるのが良くない」

という祖母の叱責もまた、まじめに受け取ってしまって、とてもしんどい日々だった。


結局、私が入院して手術を受けることになって、初めて

「どういう病気にかかっていて、なぜ手術が必要なのか」

という情報を、祖父母や両親が整理して共有することになる。


それまでは、皆が断片的な情報や思い込みに基づいて、善意による助言を、バラバラに行っていたのだ。


どこかで行き違いが起こっており、どの助言をどう信じたらいいのか?

それは、まずは患者である私が、一番に考えるべきだったと思う。


でも、いっぽうで、善意により間違った助言をしてしまった人は、その後どういう気持ちで過ごさなければならなかったのかなと、今となっては思うのだ。


1つだけ良かったことは、この経験があるからこそ、私の身内の間では

「素人判断と素人予測は一切しない」

という風潮が生まれたことだ。

最近、弟が病気になったとき、両親は恥や希望的観測などはおいておいて、ためらわずに病院に連れて行ったし、弟から重要な相談があったときほど、ともかく医師のいる場で話し合うという姿勢を貫いていることは、よかったことだと思う。

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河野陽炎|田舎の一人プロダクション
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