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自由エネルギー原理への批判と反例をまとめてみた
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序論
自由エネルギー原理(Free Energy Principle, FEP)は、脳科学者カール・フリストンによって提唱された包括的理論であり、「あらゆる生物は自由エネルギーを最小化するように振る舞う」という大胆な主張で知られています。ここで言う自由エネルギーとは、統計的な予測と実際の感覚入力との差異(すなわち“驚き”の大きさ)を上限づける情報理論的な量で、驚きを減らすことはすなわち生物が自分の環境内で存続するために必要な条件を満たし続けることを意味します。この原理は当初、大脳皮質の予測符号化理論を統一する枠組みとして登場し、やがて脳の働きのみならず心の働き、ひいては生命現象全般を説明し得る「全ての生命の組織化原理」とまで称されるようになりました。FEPは「脳の統一理論」を目指すのみならず、生命体が秩序を維持してエントロピー増大(無秩序化)に抗うメカニズムを記述する理論としても位置づけられています。この壮大なヴィジョンにより、FEPは神経科学・認知科学から人工知能、ロボティクス、哲学に至るまで幅広い分野で注目を集め、研究者たちに大きな影響を与えてきました。
しかし、その射程の広さゆえに、自由エネルギー原理は支持と熱狂だけでなく強い懐疑と批判も招いています。一部の研究者は、FEPが「心についてのあらゆることを説明しよう」とするあまり、その主張は最初は突飛(「途方もない」とすら)に感じられると述べています 。実際、「生命や宇宙のあらゆることを説明できる原理」を標榜するFEPの広大な説明範囲そのものが、理論的な警鐘であると指摘する声もあります。本稿では、自由エネルギー原理に対する最新の反例や批判的研究を、神経科学、認知科学、人工知能、ロボティクス、哲学といった関連分野ごとに概観し、大学卒業程度の専門知識を踏まえつつ一般読者にもわかりやすい形で解説します。まずFEPが各分野でどのように応用・展開されてきたかを述べ、次にそれに対して提起されている理論的・実証的な異議を概観し、最後にそうした批判を受けてのFEPの今後の展望について考察します。
自由エネルギー原理の応用分野
神経科学において、自由エネルギー原理は脳の予測符号化理論と深く結びついています。フリストンらは脳をベイズ推論マシンとみなし、感覚入力に対する予測とその誤差を階層的に伝達することで知覚や行動を実現すると説明しました。これは**能動的推論(アクティブ・インフェレンス)**と呼ばれる枠組みに発展し、脳が自らの内部モデルを用いて行動を選択し予測誤差(すなわち自由エネルギー)を将来にわたり減らそうとするプロセスとされています。例えば、視覚や聴覚の知覚、運動制御、意思決定など多くの神経過程が、この原理の下で統一的に説明できるのではないかと期待されています。また精神医学においても、統合失調症や自閉スペクトラム症などで予測誤差の重み付け(精度)が異常となっているという仮説が提唱されるなど、FEPに基づく解釈が試みられています。
認知科学では、FEPは認知と行動の一般理論として注目されました。人間や動物の意思決定・学習・注意など幅広い認知現象を、環境に対する内部モデルの更新と行動選択(能動的推論)による自由エネルギー最小化として説明しようという試みです。さらにFEPは、エナクティブ(作用的)認知科学や生態学的アプローチとも接点を持ちました。近年の研究では「自由エネルギー原理は脳ではなくエージェント(生物)と環境の全体に適用すべきだ」とする指摘もあり、脳内表現よりも身体と環境の相互作用に着目する立場との統合が図られつつあります。例えば、生物が環境から意味を引き出す(環境を意味的に捉える)能力を形式的にモデル化できるかどうかについて、FEPが応用できるかが議論されています。
人工知能(AI)とロボティクスの分野でも、自由エネルギー原理は新たな手法を提供すると期待されました。特にロボット制御において、能動的推論に基づく制御アルゴリズムが開発され、センサ情報から自己の状態と環境の状態を同時に推定しつつ行動を決定するフレームワークが提案されています。これは従来の強化学習や最適制御とは異なり、明示的な報酬関数の最適化ではなく予測誤差の最小化によって目標指向行動を生成しようというアプローチです。いくつかの研究は、ロボットのアーム制御やセンサフュージョン、ヒューマンロボットインタラクションなどにおいて能動的推論の有効性を示すプロトタイプを報告していますore))。さらに、深層学習との融合も模索されており、例えば生成モデルを用いたエージェントが環境モデルを学習しつつ計画・行動するような手法(世界モデルの一種)としてFEPを活用する動きもあります。またAIの安全性や目的関数に関する議論でも、FEPは「エージェントが本質的に従う原理」として注目され、人工汎用知能の振る舞いを制約する可能性について論じられることもあります。
哲学の領域では、自由エネルギー原理は生命哲学や認知の哲学における基礎概念を再検討する契機となっています。FEPは、生物と非生物の差を情報理論的に捉え直し、「生物とは自らの境界を維持しつつ確率的な予測に従って行動するものだ」という見方を提供しました。このため、自己と環境の境界を定義するマルコフ毛布概念(内部状態と外部状態の間で直接の相互作用を遮断する境界変数集合)や、生命体のオートポイエーシス(自己産出)との関係といった深い哲学的問題が浮上しています。さらにFEPは、確率過程に対する変分原理という数学的枠組みでもあるため、物理学のハミルトンの原理(最小作用の原理)との類似が議論されたり、科学におけるモデルと現実の関係(実在論 vs 道具主義の論争)に新たな事例を提供したりもしています 。哲学者や認知科学者の中には、FEPを「生物の特性を説明する第一原理」と評価する者もいれば、逆に「単なる便利な作り話(フィクション)に過ぎず、実在の機構を語ってはいない」という者もおり、この点で意見が分かれています。
以上のように、自由エネルギー原理は各分野で広範な応用と議論を生みました。しかし同時に、その極端な一般性ゆえの問題点が各方面から指摘されています。次節ではまず、FEPに横断的に投げかけられている主な批判点を概観します。
自由エネルギー原理への批判と反例の概要
自由エネルギー原理に寄せられる批判は大きく分けて理論的な批判と実証的な(または概念的な)反例に分類できます。理論的な批判としてまず挙げられるのは、自由エネルギー原理の主張があまりに一般的すぎて反証不可能ではないかという点です。FEPは「存続している系は驚きを抑えている(自由エネルギーを最小化している)」と述べますが、これは見方を変えれば「もし自由エネルギーを最小化できなかった系は存続しないだろう」という同語反復的な主張にも聞こえます。実際、FEPの最も控えめな解釈では「生物が存続するためには、自身の状態をある範囲に留め置かなければならない」という当たり前の事実をトートロジー的に述べているに過ぎず、これは「自明の真理」であるとの指摘があります。一方で、FEPを大胆に解釈すれば「生命や心のあらゆる現象が単一の数学原理から導出できる」と謳う理論になりますが、批判者はそのような「理論の万能さ」自体が信じがたいと感じています。要するに、「何にでも当てはまる理論は実質的に何も予測していないのではないか?」という懐疑です。実際、批評家たちは「何でも説明しようとする理論は、結局何も説明していないに等しい」という科学哲学上の教訓を引き合いに出し、FEPの有用性に疑問を呈しています。
関連して、FEPの科学的検証可能性も問題視されています。FEPは定性的には「生きている限りFEPに従っている」と述べるため、反証するには「FEPに従わない生物(しかし存続している)」を示す必要があります。しかしこのような生物は定義上存在しえないとも言え、理論を反証可能な形でテストすることが難しいのです。例えば、「ある生物が驚きを増大させる行動を取った」と観察されても、支持者は「それは長期的には驚きを減らすための行動だ」「内部モデルの事前分布に組み込まれた好み(好ましくない状態を避ける傾向)があるためだ」といった説明で後付けで整合性を取れてしまうと批判者は言います。これは理論があまりに柔軟で、いかなる結果も整合的に説明できてしまう(適応的説明の危険)ことを意味し、科学理論としての実質的内容が疑われます。
「ダークルーム問題」と呼ばれる有名な思考実験的批判は、以上の点を端的に示すものです。この問題は、「驚きを最小にする生物が本当に存在するなら、なぜそれらは刺激の少ない暗い部屋に閉じこもって動かなくなってしまわないのか?」という疑問です。遊びや探索といった多くの生物に普遍的な行動は、短期的にはむしろ予測誤差(驚き)を増やすものであり、一見するとFEPに反するように見えます。支持者側はこの問題に対し、「生物には好ましい状態(例えば栄養や安全)への事前的な期待があり、それから大きく外れる状態を自主的に避ける傾向がある。暗い部屋に閉じこもる行動は生存に有害であるため、内部モデルに照らせばそれ自体が高い自由エネルギー(低い生存確率)を伴う」という説明をします。簡単に言えば、「暗い部屋に閉じこもるのは生物にとって望ましくないから驚きを最小化する行動にはならない」というわけです。このように「驚き」の定義を生物の好みに相対化することでダークルーム問題は解消できるとされますが、批判者はこの解決策に納得していません。というのも、その場合「生物は自分にとって望ましくない(生存に適さない)状態を避ける」ということをあらかじめ仮定しているに等しく、結局「生存する生物は生存に適した行動を取るものだ」という同義反復を言っているだけだ、という批判です。一方、もし事前の好みを仮定しないで純粋に「驚き(統計的な予測誤差)の最小化」だけで行動を決定すれば、生物は確かに暗所に籠もるような的外れな行動を取るだろうと予測されますが、これは現実の生物の振る舞いとかけ離れています。このように、ダークルーム問題はFEPに内在する「内容を具体化すると誤りになり、一般化すると自明になる」というジレンマを示したものと言えます。
さらに技術的・数学的な批判も近年提起されています。FEPの定式化は確率過程の厳密な数理に基づいていますが、その導出や用語の定義に不備やあいまいさがあることが指摘されています。その一例がマルコフ毛布概念や自由エネルギー補題に関する問題です。FEPでは、生物を「内部状態」と「外部状態」に分け、その間を「マルコフ毛布」と呼ばれる中間状態(感覚入力や行動出力など)が遮断していると仮定します。ところが文献によってこのマルコフ毛布の定義が微妙に異なり、同じものを指していない場合があることが指摘されました。また、マルコフ毛布を持つ系の運動方程式を変形して内部状態がベイズ推論を行うように見せるというFEPの主要な論法について、その変形には追加の仮定が必要であり一般には成り立たないことが示されています。実際、ある研究では具体的な反例を挙げて、フリストンが証明したとする「自由エネルギー最小化=ベイズ推論」の補題は額面通りには成立しない(文字通りには誤りである)ことが報告されました。また仮にその補題が限定的な条件で成立したとしても、その場合には内部状態の確率分布(変分密度)が定常分布と等しくなるといったきわめて特殊な条件を要求するため、実際の生物にそれをそのまま適用して「内部状態がベイズ推論をしている」と結論づけるのは正当化できないとも指摘されています。要するに、FEPの数理的主張を成り立たせるには暗黙の前提が色々と必要であり、それを満たすケースはかなり限られるのではないか、という批判です。
上記のような理論全般への指摘に加え、各分野固有の観点からも自由エネルギー原理には様々な反論や疑問が投げかけられています。以下、神経科学、認知科学、人工知能・ロボティクス、哲学の順に、それぞれの領域で議論となっている主な批判や反例を見ていきます。
神経科学における反例と批判
神経科学分野では、自由エネルギー原理は予測符号化理論と密接に関連しています。そのためFEPへの批判もしばしば予測符号化モデルへの批判と重なります。
まず前述のダークルーム問題は、脳の予測符号化モデルに対する素朴な疑問として提起されました。脳がただひたすら予測誤差を減らすだけなら、なぜ私たちは新奇な刺激を求めたり未知を探索したりするのか、という問題です。この点については、先に述べた通り「生物は生存に適した状態を維持するよう進化している」ことを考慮すれば矛盾はないとフリストンらは説明しました。しかし批判者から見ると、脳が何を「驚き」とみなすか自体を理論の側で恣意的に設定できてしまうため、この説明は理論を守るための後付けに感じられます。実際、FEP支持者は「驚きとはその生物の内部モデルに照らしてあり得ないことであり、内部モデルには生存に必要な欲求や価値観が織り込まれているのだから、生物は結果的に生存に有利な行動をとる」と述べます。批判者は「それでは脳が何を予測するかを好きなように調整できてしまい、どんな行動も正当化できるのではないか」と疑問視します。例えば、ある動物が危険を顧みず未知の環境に飛び出していった場合、支持者は「その動物の内部モデルには『未知を探索せよ』という高次の目標があり、それゆえにそれも自由エネルギー最小化の一環だ」と解釈できてしまいます。このように、結果から逆算して内部モデルを想定すればどんな行動もFEPと整合させることが可能であり、脳の具体的計算過程としてFEPを検証することが難しくなってしまうのです。
次に、神経科学における実験的検証の難しさも指摘されます。FEPは脳全体の振る舞いを包括的に説明する枠組みですが、その予測は定性的・抽象的であり、具体的な神経活動パターンの予測に落とし込むのが容易ではありません。例えば「視覚野のニューロンは自由エネルギーを最小化するよう活動する」という主張から直接、測定可能な発火率やシグナル伝達のパターンを導出することは困難です。実際の神経科学の実験では、研究者はより具体的なモデル(例:ある視覚刺激に対する予測誤差が特定の細胞集団の発火として表現される、など)を構築し、その予測を検証しています。これらの個別モデルはFEPの精神に沿っている場合もありますが、FEPそのものが唯一のモデルというわけではなく、他の理論(例えば強化学習モデルや最適制御モデル)とも競合しています。批判的な神経科学者は「FEPというラベルがなくとも、人間は以前から脳を情報処理システムとしてモデル化し予測と誤差の概念を用いてきた。FEPはそれを大げさに一般化しただけではないか」と指摘します。実際、「脳は予測を行い、それを更新する」というアイデア自体は広く受け入れられており 、Jeff HawkinsのようにFEP陣営から遠い研究者ですら独自に同様の考えに至っています。そのため批判者は、FEPは既存の予測脳モデルに新規性をほとんど加えていないのではないか、と疑っています。これは神経科学者で哲学者でもあるPaul Thagardの批判にも表れており、彼は「自由エネルギー原理は結局のところ以前からある予測処理理論と大差なく、特に新たな実証的裏付けが提示されていない」と述べています(Thagard, 2022)。要するに、「看板(用語)が変わっただけで中身は同じではないか」という批判です。
また、脳の計算メカニズムとの対応にも疑問があります。FEPでは数理的には変分推論(ベイズ推定)が中心的役割を果たしますが、脳神経回路がどの程度までこれに相当する計算を実装しているかは未解明です。予測符号化モデルでは、誤差を計算するニューロンや予測を生成するニューロンの存在が仮定され、いくつかの神経生理学的所見(例えば視覚野の反応抑制やミスマッチ陰性電位と呼ばれる脳波応答など)がその枠組みで説明されています。しかしこれらはあくまで限定的な状況での検証であり、脳全体が常に自由エネルギー最小化計算をしていると直接示すものではありません。例えば脳の安静時活動やスパースでランダムな発火は、必ずしも即座に予測誤差最小化に結びつかないように見えます。こうした現象について、FEP支持者は「内部モデルの予測に合致するノイズであり、将来の予測精度向上に役立っている」などと説明しますが、批判者にとっては仮説の域を出ません。総じて神経科学の立場からは、「FEPは脳の振る舞いに関するひとつの観念的なまとめ方だが、具体的な神経機構の理解には直接貢献していない」とする評価がなされることがあります。
認知科学における反例と批判
認知科学や心理学の分野では、自由エネルギー原理に対する批判は意味の問題やエージェント性(主体性)の問題として表現されることが多くあります。
まず指摘されるのは、FEPが生物と非生物の区別を曖昧にしてしまうのではないかという懸念です。FEPの形式に従えば、振り子やサーモスタットのような単純な非生物システムですら「自らの典型状態を維持する」(=統計的な安定性を保つ)という点で自由エネルギー原理に従っているように見えてしまいます。実際フリストンら自身も最近では「生物の生存と振り子の安定には本質的な差はない」と述べており、「まるで認知的であるかのように見える単なる物理現象と、生物の認知との間に有用な一線は引けない」という立場をとっています。これに対し、多くの認知科学者や哲学者は不満を表明しています。彼らは「それでは何でもかんでも“推論をしている”ことになってしまい、認知現象の特殊性が失われるではないか」と問いかけます。例えば岩石や恒星でさえ、統計的には一定の状態を保つ(岩石は形を維持し、恒星は寿命を全うするまで燃焼を続ける)ため、FEPの枠組みに入れてしまえば「岩石も自己の予測を維持している」「恒星も周囲との相互情報量を減じている」などという極端な解釈も可能でしょう。批判者はこのような状況を揶揄して「汎推論主義(パンインフェレンシャリズム)」と呼び、FEPの解釈が拡散しすぎて有意味な主張をしていないと批判します。
この問題をより専門的な観点から指摘したのが、相互作用の非対称性に関する議論です。生物が環境と相互作用するとき、単なる物理的システムと決定的に異なる点の一つは、主体が自律的に自分の振る舞いの様式を変えうることです。生物は自分にとって有利なように環境を変化させたり、自分の内部状態を適応させたりすることができます(例えばビーバーがダムを作ることで環境を変える、あるいは人間が寒冷地で代謝を高めるなど)。このように主体と環境の間には一方向的な働きかけの非対称性があります。ところがFEPの元となる数理モデルでは、内部状態と外部状態の相互作用は対称的かつ固定的に扱われています。具体的には、前述したマルコフ毛布の仮定の下では内部と外部の間に直接の相互作用はなく、相互の影響は統計的に定常な(対称的な)結合を通じてのみ起こります。ある批判的研究 は、この「相互作用の非対称性」を欠いたモデルでは生物の主体的な振る舞い(センサモーターループの自律性)を記述できないと論じました。言い換えれば、FEPの数理が適用できる系は非常に特殊で、生物らしい振る舞いを示すシステムはそこから外れてしまうのではないか、という指摘です。
実際その研究では、単純な線形確率システムにFEPを適用するための仮定を詳細に検討し、内部と外部の結合にソレノイド(循環的)成分があるとFEPの前提が崩れることを示しました。そして、生物のセンサモーター的相互作用には必ず何らかの循環的・非定常な要素(自ら環境を変化させ、その変化が将来の入力に影響するというループ)が含まれるため、FEPは生物らしい自律性や適応性を持つシステムには適用が難しいと結論付けています。このような批判に対し、FEP支持者側も反論を試みており、相互作用の非対称性を組み込んだ拡張モデルの可能性や、非エルゴード的(履歴依存的)な環境でのFEPの適用などについて議論が進んでいます。しかし少なくとも現時点では、FEPが想定する条件は現実の生物システムには厳しすぎる可能性が示唆されています。
また、歴史性と創発の問題も認知科学者から提起されています。生物や認知システムは、固定的な確率分布に従うだけでなく、時間とともに内部構造やふるまいを変化させることがあります。発達や学習、進化などによって生物の振る舞いのレパートリーは拡張し、新たな状態やスキルが創発します。ところがFEPの基本的な枠組みでは、生物はあらかじめ規定された「予想される状態の集合」に留まり続けると仮定されます。批判者は「この枠組みでは、生物が本質的に予測不能な新しい振る舞いを獲得するという現実を捉えられないのではないか」と指摘します。例えば、ある動物がまったく新しい環境に適応してこれまでにない行動パターンを見せる場合、それは単に既存の予測分布の中に収まる驚きの低減では説明しづらいかもしれません。いくつかの批判的論者 は、この点でFEPは生命の持つ開放性(open-endedness)を扱い損ねていると論じています。これに対し支持者は、内部モデル自体が階層的・動的に変化しうることや、メタな時間スケールで驚きの基準(好みや目標)が変わり得ることを挙げ、FEPはそうした変化を包含できると反論します。しかしながら、このレベルになるともはやFEPは非常に一般的な枠組みにとどまり、具体的な記述力が損なわれるとの指摘もあります。
まとめると、認知科学・心理学からの批判は「自由エネルギー原理は生物の主体性や意味をうまく説明できていないのではないか」という懸念に集約されます。生物が環境から世界の意味を引き出し、自律的に振る舞う背後には、FEPだけでは捉えきれない原理やメカニズムがあるのではないか、という問いかけです。
人工知能・ロボティクスにおける反証と課題
人工知能(AI)やロボティクスの分野では、自由エネルギー原理や能動的推論に基づく手法が提案されつつも、その実用上の課題や限界が指摘されています。
まず、実績と有用性に関する疑問があります。FEPは理論的には汎用のAIエージェント設計原理を提供するかに思われましたが、現状の主流なAI技術(深層学習や強化学習など)と比べて顕著な成果をあげたとは言い難い状況です。多くのAI研究者は、予測誤差最小化という視点自体は共有しつつも、FEPという包括的枠組みに依拠するよりは、タスクに特化した損失関数の最適化や大規模データからのモデル学習に注力しています。批判的な見方をすれば「FEPを使わなくても、結局ベイズ推論や確率的制御は既存のAI手法に組み込まれている。あえてFEPと銘打つ必要がない」と映るわけです。実際、能動的推論によるロボット制御の実験例は報告されているものの、それらはまだ小規模なプロトタイプにとどまっており、例えば人間レベルの複雑なタスク解決や、大規模知覚認識といった場面でFEPが決定的な威力を示した例はありません。このことから批判者は「FEPは理論的には雄大だが、実用にはあまりに一般的すぎて役に立たないのではないか」と指摘します。
次に、具体的な計算上・設計上の問題も浮かび上がっています。能動的推論に基づくロボット制御アルゴリズムの研究では、従来法との比較でいくつかの欠点が指摘されました。その一つは状態推定のバイアスです。標準的な能動的推論では、内部モデル内で状態と観測の同時推定を行いますが、この推定値に系統的なズレが生じうることが報告されています。また、制御入力(アクション)が内部モデルの中で暗黙的に扱われるため、明示的な最適制御の解析手法が使いにくいという指摘もあります。ある研究グループはこれらの問題に対処するため、「アンバイアスド能動的推論コントローラ」と称する改良手法を提案し、標準的手法の限界を克服できることをシミュレーションと実ロボット実験で示しました。この例が示すように、FEPに基づく手法にも細部での改良が必要であり、現状のままでは従来手法に対して決定的に優位とは言えない状況です。
また、AI研究者の視点からは、FEPのゴールである「自由エネルギー(予測誤差)の長期的最小化」は、強化学習における報酬最大化や目的関数の最適化と本質的に違いがないのではという指摘もあります。強化学習ではエージェントが累積報酬を最大化する方策を学習しますが、FEP支持者はこれを「将来の驚き(=負の報酬)を最小化する問題」とみなせると説明します。しかし批判者は、それならば従来の強化学習フレームワーク内で同じことができ、無理にFEPという枠組みに置き換える利点が不明瞭だと指摘します。むしろFEPに独特なのは事前モデルの存在を仮定する点ですが、複雑な環境ではそのモデルをエージェント自身が学習しなければならず、結局これは生成モデルの学習という従来からある課題に帰着します。現状のAIでは、大規模なデータから予測モデルを学習するディープラーニングが著しい成功を収めていますが、FEP流の手法がこれと競合する成果を出した例は多くありません。
さらに、人工汎用知能(AGI)や人工生命の文脈では、FEPの持つ哲学的含意――すなわち「目的関数を持たなくともエージェントは自主的に生存に向かう」というような示唆――に対する批判があります。AI安全性の研究者スティーブン・バーンズなどは「FEPはトートロジーなので、AGIの目標を規定するのには役立たない」といった趣旨の論をオンラインで展開しています。彼の主張によれば、FEP上でいかなる挙動も「何らかの内部モデルによる自由エネルギー最小化」として再解釈できてしまうため、望ましい振る舞いを保証するような制約条件をFEPから直接導くことはできないというものです。このような批判は公式な学術論文というよりブログやフォーラムで散見されるものですが、一部のAI研究コミュニティではFEPに対し冷ややかな見方があることを示しています。
まとめれば、AI・ロボット分野でのFEPに対する評価は、「理論的には興味深いが、実際的価値がまだ示されていない」という慎重なものになっています。現状では、FEPに基づくアプローチは他の方法と比べて特段の優位を示しておらず、むしろ解決すべき技術的課題(計算コスト、スケーラビリティ、モデル設計の難しさなど)が目立つという指摘がなされています。
哲学的な批判:自由エネルギー原理の理論的限界
哲学の観点から、自由エネルギー原理にはいくつかの根本的な疑問が提示されています。既に前述した反証可能性の問題や汎推論主義への懸念は哲学的批判の一部ですが、ここでは他にも指摘されているポイントを整理します。
第一に、FEPの位置づけ:事実の記述か道具的仮説かという問題があります。FEP支持者の中には、「脳は文字通り自由エネルギーを計算し最小化している」と受け取れるような言い方をする人もいます。一方で批判者や一部の支持者は、「FEPはあくまで道具主義的なモデル記述法だ」と考えます。つまり、「生物がまるで推論しているかのように見なすための便利な仮説」であって、実際に生物内部でそのような計算が行われていると主張するものではない、という立場です。もし後者の立場(道具主義)を取るなら、FEPは経験的内容というより解析ツールに近くなり、それ自体を真偽で評価するのは的外れになります。しかしそうすると、「FEPは生物について新たな洞察を与える理論だ」という最初の魅力的な謳い文句は後退し、単なるモデルの記述言語でしかなくなるとの指摘もあります。この問題は実在論 vs 道具主義の古典的対立とも言え、現在FEP研究者の間でも「FEPモデルは実在的記述か、それとも有用なフィクションか」という議論が活発です。批判的論者は、FEPを実在論的に解釈すると上記のような数々の矛盾が生じるため、結局は道具主義的フィクションと認めざるを得ず、それは理論的インパクトを大きく減じるものだと主張します。
第二に、FEPと他の物理法則との関係があります。フリストンはFEPをしばしば物理学の原理(例えばエネルギー保存則や作用極小原理)になぞらえて説明します。特に、「自由エネルギー原理はハミルトンの原理(最小作用の原理)に似ている、あるいはそれを拡張したものだ」との言及が文献に散見されます。しかし哲学者からは「その類比は正確ではない」という批判が出されています。最新の研究では、ハミルトンの原理とFEPの関係を詳しく検討し、強い解釈(両者は同等であり同じ現象に適用される)を採ると矛盾が生じることを示しています。すなわち、ハミルトンの原理は本来可逆・保存的な系(ラグランジアンが定義できる系)に適用されるもので、摩擦のある開放系(生物など非平衡開放系)には適用できません。一方、FEPはそうした摩擦的な非平衡系(生物)を対象としているので、もし「FEP=ハミルトンの原理」と主張すると論理的に無理が生じます。このジレンマを避けるには、「FEPとハミルトン原理は形式が似ているだけのアナロジー(弱い解釈)だ」と位置づけるほかありません。この結論自体は穏当ですが、批判者は「しばしばFEPが物理の深遠な原理と同等と誤解されてきた点」を問題視しています。要するに、「FEPには物理法則のような普遍妥当性が備わっている」という印象を与える説明は行き過ぎであり、正しくは「数学的構造が似ている部分もある」という程度に留めるべきだという指摘です。
第三に、FEPの概念装置そのものへの疑問があります。例えばマルコフブランケットの概念について、先の技術的批判とも関連しますが哲学的にも議論があります。マルコフブランケットは「システムを内部と外部に分け、それらを統計的に分離する境界」として定義されます。
しかし実際の生物に明確なマルコフ毛布境界を設定することは難しく、どの変数を内部・外部・毛布に分類するかは解析者の都合に依存する部分があります。批判者は「結局のところ、どんなシステムでも見方次第でマルコフ毛布を定義できるのではないか」と問いかけます。もしそうだとすれば、「全てのシステムはマルコフ毛布を持ちFEPに従う」という主張は空虚になってしまいます。この点、フリストンらも議論を重ねており、たとえば細胞膜のような物理的境界をマルコフ毛布と見做す例や、エージェントを階層的にマルコフ毛布で包み込んだ集合(ニッチ構築まで含める)を考える例など、様々なモデル化が試みられています。しかし明確な結論は出ておらず、「マルコフ毛布は分析上の仮説に過ぎず実在の境界ではない」という批判と「しかしそれでも有用な概念だ」という反論が平行線をたどっています。
以上のように、哲学的批判はFEPの基礎に立ち返った問いを投げかけています。それらをまとめると、「自由エネルギー原理は非常に興味深いアイデアだが、それを文字通り生命の原理とみなすと自己言及的・循環的になりがちである。むしろ道具的なモデルとして慎重に位置づけるべきではないか」というものです。批判者たちは、FEPを巡る議論を通じて科学理論の射程や統一的説明の限界について再考することの重要性を示唆していると言えます。
自由エネルギー原理の今後:批判を踏まえた発展の可能性
これまで見てきたように、自由エネルギー原理は各方面から様々な批判にさらされています。しかし批判は必ずしも理論の終わりを意味しません。むしろ、それらを糧に理論が洗練される可能性もあります。では、FEPは今後どのように発展しうるでしょうか。
一つの方向性は、理論の精緻化と前提条件の明確化です。技術的批判に応える形で、最近の研究者たちはFEPの数理定式化を見直し、暗黙の前提を明文化しつつ理論を修正しています。例えば先述のマルコフ毛布の不備に関しては、異なる定義間の関係性を整理しなおしたり、非対称な相互作用を許すような拡張を模索したりする試みがあります。またエルゴード性(十分長時間が経てば状態分布が定常になるという仮定)についても、生物システムでは近似的にしか成り立たないことを踏まえ、メタステーブル(準定常的)な動的環境に対応する理論拡張が検討されています。こうした技術的改良が進めば、FEPはより限定された条件下ではあるものの、厳密に成立する原理として再定式化されるかもしれません。実際、批判を行った研究者自身「これらの問題点は、自由エネルギー原理の背後にあるアイデア全般を追求する価値がないことを示すものではない」と述べ、理論の改良の余地を認めています 。
また、他の理論枠組みとの統合も重要な展望です。認知科学におけるエナクティブアプローチや生態心理学とFEPを融合させる研究が進みつつあります。FEPを単に内部計算のモデルと見るのではなく、エージェント-環境システム全体の記述に用いることで、相互作用の非対称性や主体性の問題に対処しようという動きです。具体的には、「自由エネルギー=自己組織化の情報理論的指標」という捉え方を推し進め、ヘルムホルツ的な受動的知覚モデルではなく、ギブソン的なアフォーダンス理論やオートポイエーシス理論と両立する形でFEPを再解釈する提案があります。これにより、FEPを生命の他の側面(代謝や進化など)と接続する道が開け、理論の持つ説明力に新たな深みを与える可能性があります。
さらに、実証的応用研究の進展もFEPの将来を左右するでしょう。例えば神経科学では、脳の特定のネットワークがどの程度FEP的な計算を行っているかを検証する精密な実験(脳活動計測とFEPモデルのフィッティングなど)が今後増えるかもしれません。AI・ロボット分野でも、能動的推論を大規模システムに適用し、その性能や振る舞いを他手法と比較評価する研究が期待されます。もしそこで他手法では得られない洞察や利点が確認できれば、FEPの実用上の価値が実証され、批判も和らぐでしょう。逆に言えば、具体的な成功事例を積み重ねられるかがFEPの命運を握っているとも言えます。
また解釈の整理も今後の課題です。哲学的論争となっている実在論vs道具主義の問題については、FEP研究コミュニティ内でも近年合意形成が進みつつあります。多くの研究者は、「FEPモデルは生物システムを解析するための便利な描像であり、それ自体が生物の意識的戦略というわけではない」という中庸的な立場に落ち着き始めています。このように理論の位置づけを適切に限定することで、「FEPは何でも説明できる魔法の鍵ではないが、多様な現象を統一的に議論できる有用なツールである」という現実的な評価が定まってくれば、過度な期待も不必要な反発も減っていくでしょう。
最後に、自由エネルギー原理は批判との相互作用自体が学際的な対話を生んでいる点も見逃せません。FEPに対する批判研究の多くは、神経科学者、物理学者、哲学者、AI研究者などのコラボレーションで生まれています。このような学際的な議論を通じて、従来は分断されていた知識領域同士が交流し、新たな視座が開ける効果も生まれています。たとえ最終的にFEPそのものが修正・解体されるとしても、その過程で得られた知見や統合的思考法は今後の科学に資するでしょう。
結論
自由エネルギー原理(FEP)は、脳から生命一般に至る壮大な説明野心を掲げた理論であり、この10~15年で驚くべき勢いで学際的影響力を持つに至りました。しかしその反面、理論の曖昧さや検証困難性、過度の一般性といった点について数多くの批判が提起されています。神経科学者は「FEPは脳の具体的データと乖離していないか」と問い、認知科学者は「主体的な意味や創発を説明できているのか」と疑問を呈し、AI研究者は「結局実用上どんな利点があるのか」と挑み、哲学者は「それは科学的内容を持つのか、それとも便利な比喩なのか」と論じています。それら批判は時に辛辣でFEPの核心を突くものですが、その存在によってFEPが単なる流行りの仮説で終わらず、より緻密で有意義な形に鍛え上げられるチャンスも生まれています。
現時点では、自由エネルギー原理が真に「生命・心の統一原理」として定着するか、それとも「興味深いが限定的な理論」に留まるかは定かではありません。重要なのは、賛否双方の議論から学びつつ、理論を発展させていくことです。FEPが提起した大胆な仮説とそれに対する批判的検証のプロセス自体が、我々の認知と生命に関する理解を深める契機となっています。今後、自由エネルギー原理がどのように洗練され、あるいは別の理論へと昇華していくにせよ、その軌跡は「脳はなぜ、いかにして驚きを減らそうとするのか」という人類の根源的問いに答える旅路の一部であり続けるでしょう。
参考文献
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