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自分の葬式をつくった話


「どうせ死ぬなら二度寝で死にたいわ」


私が好きな歌のひとつ。あいみょんの「どうせ死ぬなら」の冒頭の歌詞だ。


うつ病になってはや半年が過ぎ、学校も人間関係も何もかも上手くいかないまま大学の2年が終わろうとしていた。

この病気と向き合うことになって、死にたいなと簡単に考えるようになったことが増えたと実感している。

発言も暗くなり、外にもなかなか出ることができず、薬とぬいぐるみに頼ることしかできなかった。


だけども私は演劇だけは続けていた。


2024年3月の中頃、1週間の缶詰合宿があった。

各自で30分までの脚本を持ち寄り、参加者の中から均等に配役を決め、人の脚本を演じ、自分の脚本の演出をつけると言うまさに飲みサーと言う単語も出てこぬ、いわゆる"ヤバイ合宿"だ。

行くか迷った。

半年に一回あるのだが、就活などの関係で同期が多く参加するのは最後であることを考え、ぎりぎりまで考えた結果、キャンセル時期が過ぎてしまっていたので普通に行くことになってしまった。

劇団としての本公演の役者として千秋楽を乗り越えた4日後、1週間の合宿は始まる。

体力もくそもない。でも去年、間に2日しかない状況と比べれば幾分かマシだった。

私は今まで脚本を3つ書いてきた。


1つ目は人間がペンギンに生まれ変わった話

2つ目は部活が廃部する日の話

3つ目は新人芸人とブレイクが過ぎた大御所芸人との話。

2と3個目は同じタイミングの合宿で出した。
3つ目を書いていたら寝落ちをして、合宿そのものに遅刻をしたことを覚えている。

脚本とは通常、初めに決めるのは「観客に何を伝えたいか」だ。

私は師匠のような同期にそう教わっていた。

しかし脚本4つ目ともなると、
素人の私は何を伝えるかのストックがなくなっていく。

結局前日まで何も思い浮かばなかった。

しかし、1つだけ決まっていたことがあった。

自分の葬式をつくることだ。


そんな暗い意味じゃない、と前置きをしていても周りに気を遣わせそうだったので、相談段階でも友人に言えなかったのだが、要するにこう言うことだ。


私は「どうせ死ぬなら」と言う歌が好きだ。

カラオケに行けば毎回歌うほどの十八番である。

そんな冒頭の歌詞が私は大好きだ。


二度寝で死にたい____


その通りだ、と思っていた。

自分が死んだら、葬式は誰がつくるのだろう。

どのような葬式で、誰がきてくれるのだろう。

もし私が急死したら葬式の内容に要望も出せない。

私の葬式にはフラワーカンパニーズの「深夜高速」を流してと言えないまま死ぬ。

それはなんとなく嫌だった。


だから私は、1度目の葬式を自分の演劇の中でつくり見せることに決めた。


客入れには「深夜高速」を流し、

自分も役者に加わった。

2年間の役者としての目標かつ私が敵視していた良き友人と、
最後に一緒に芝居を作りたいと思ったのだ。

あの子が劇団を去ることを風の噂で聞いていたからだ。

あの子は、演劇経験者で私は未経験者だった。
同じ演出家から指導を受け始めてから私は何度もあの子に嫉妬した。
耐えきれずトイレに駆け込み涙を流すことも何度もあった。
嫌いだ、関わりたくない。惨めな自分を見るのが嫌だ。
そう思う日もあった。
だけどあの子は私を好きでいてくれた。
本公演の2ステ目、
本番前にあの子が舞台裏で静かに私に近づいて抱きしめてきた。
あの子は泣いていた。
その時、私はやっとあの子に心が開けたのだ。


そして、もう一つ気づいたことがある。

このままこの脚本を書けば、観客に伝えるのは「醜い私」と言うことになる。

つまり、「白詰草になれなかった私」だ。

私はあの花が好きだ。

小さい頃から幸せの象徴。憧れの花でもあった。

白詰草には花言葉が4つある。

幸運、私を思って、復讐、約束

しかし、
私はあの子に復讐したいとも思えないし、約束も守れない。
私のことを考えてほしいって承認欲求の塊で醜い私が、
ここまで生きてこれたのは幸運だったからでもない。
自分本位だったからだ。

だけど花冠の花言葉のように、私のことは忘れてほしくないから、

タイトルに「白詰草かもしれない」と書いた。

人に向けてではなく、自分のみに向けた脚本を書くのは初めてだった。

私の体力の限界から、私も演劇をしばらく休むことが決まっていた。

もしこの先もう2度と芝居ができなくなってもいいように、
悔いが残らない作品を描いた。

あまりにも書く時間が残されておらず、話の内容は大学の2年間で起きた出来事と得た知識のみを使って書いた。

事情は語れないが、この2年間本当にいろんなことがあったからだ。

そこで人生の全てではなく、大学の2年間を全て葬ってしまおうと言う思考になったのだ。

合宿は大体パーカーかジャージで本番も行うのだが、
今回私とあの子は、自分たちが好きなかわいいワンピースをお互いに着て、
好きなメイクをして舞台に立った。

深夜高速を流して、
脚本に連ねた大切な思い出に浸って、
大好きな格好をして、
芝居で喜怒哀楽を楽しんで、
好きなことをして、

大好きなみんなにそれを見てもらって、

自分が死んだら見れないからと作った葬式が、
自分の宝物になってしまった。

こんなにも自己中で詰め込みきれなかったあの戯曲が。


合宿の最後に、澤田空海理の「遺書」を聞いて、

私の合宿は幕を閉じた。

この先、いつ劇団に戻るかわからない。
あっけなく戻ってくるかもだし、
もう戻らないかもしれない。
そもそも最初からいるかもしれない。
なんもわかんない。無責任なほどに。

でも2年間楽しかった。ありがとう。

その気持ちでいっぱいだった。


「いい演劇ってなんだろうか」
 それを追求する私の師匠みたいな同期に
 申し訳なさを感じながら「いつか帰るよ」って
 無責任なことを言って、本当に私の2年間は終わった。

いい合宿だった。

いい2年間だった。

いい人生だった。

これで私は今度こそ2度目の人生を始める。


2回目の葬式を楽しみにしながら。


これは私の、ノンフィクションのエッセイだ。


Lyric
どうせ死ぬなら:あいみょん
遺書:澤田空海理


あの子と私。

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