【提言】欽天四化派の紫微斗数を学ぶ人に
いま、欽天四化派の紫微斗数(以下、欽天四化という)を学んでいる人、これから学ぼうかと考えている人に申し上げたいことがあります。
それは何かといえば、学ぼうとする動機は何であれ、ご自身のことを徹底的に欽天四化で分析していただきたいと願っています。
最初は基本的なことしかわからないと思います。
それでいいのです。
最初から欲張らないことです。
当然、いろいろと疑問点や判断に迷うことが出てくると思います。
それがさらなる勉強の意欲につながります。
学びが段々と深まるにつれ、曖昧であったものや解釈がわからなかったもののほんとうの姿かたちがみえてきます。
自分の真実の姿がみえてくることに、感激と一種の怖さを感じます。
そして、あるとき思い知ることができます。
「自分の人生はすでに(生まれる前から)決まっていたのだと・・・」
そして、そこからです。
自身の魂の設計図ともいうべき紫微斗数の命盤をどのように活かしていくのか?
その活用の仕方によって今後の人生が大きく変わってくると思います。
もっといえば、来世のことも左右するようになるはずです。
あくまで私見ですが、わたくしは欽天四化は最高の人間学であり貴重な実学であると思っています。
自分の人生に有効かつ有意義に活用してこそ学ぶ価値があるのではと信じています。
ところで、尊敬するある方がおっしゃっていました。
人間はなぜ生まれてくるのか?
その方の答えは、
「魂を磨くため」
自分の魂の向上発展のために生まれてきたのだと・・・
わたくしはこれに無条件に賛同します。
では、どのようにして魂を磨いていくのか?
これもある宗教家の方が言われていたのは、家族を含めた周りの人の言動が彫刻刀であると・・・つまり、人間は社会生活を営む上でいろいろな方と日々接しています。
その人たちとの関係のなかで、ときには夫や妻が兄弟が、あるいは友人や会社の上司、同僚の人たちの言動が自分の魂を磨く彫刻刀の役目をしていると。
わたくしはこれを聞いて深く納得しています。
そして、魂を磨いて向上させるためには何がもっとも大切か?
と問われれば、わたくしは「許す心」、「寛容さ」ではないかと思っています。
キリスト教の人たちはそれを「愛」と考えていると思いますが、日本人にはどうも愛という言葉はしっくりこないですね。
宗教の世界ではいろいろな修行がありますが、それはその道の専門家の方にお任せして、わたくしたち一般人は、できるだけこの「許す心や寛容さ」を常に保持しておくことが大切ではないかと思っています。
さて、本題に戻します。
欽天四化の命盤は12宮でいろいろな方との関係をみていくことができます。
これは八字に較べて優位性があります。
自分の魂の設計図のどこに問題点があるのかがわかるようになっています。
その問題点がどこにあるのかをよくよく認識することが大切です。
自分に厳しい人は周りの人にも厳しさを求めがちです。
また、人は自分のことはさておいて周りの人の評価をするのが好きです。
それも長所より短所に目が行きがち。
ちょっと難しいことですが、できるだけマイナスな点は見ないようにしてプラスの点をみてあげる。
そのために、寛容さが必要になってきます。
これは小学校の優秀な先生が子供の教育をしていくような感じですが、夫や妻でも兄弟でも、友人や上司、同僚との間でもそれができれば魂の向上は間違いないと思っています。