欽天四化派の紫微斗数の的中率が高い5つの理由
1. 男女の星が明確に区別されている
欽天四化派の紫微斗数(以下、欽天四化という)は明確に男星、女星が区別されています。
※欽天四化で用いる星の男女の別
男星 : 天府、天機、太陽、天同、天梁、貪狼、文昌、左輔
女星 : 紫微、太陰、武曲、巨門、破軍、文曲、右弼
(注)廉貞は丙年生まれの人は女星で、それ以外の生まれの人は男星
どなた様もお生まれの年によって、4つの生年四化が上記の男星、女星のいずれかに付きます。
たとえば乙年生まれの女性の場合は、
天機に化禄(天機A)・・・男星
天梁に化権(天梁B)・・・男星
紫微に化科(紫微C)・・・女星
太陰に化忌(太陰D)・・・女星
の4つの星がいずれかの宮に入ることになります。
もし、命宮にたとえば天同、太陰Dがあるようなつぎのような場合ですが、男命の場合は、太陰は女星なのでそれはみなくて天同をみることになります。
星曜派や飛星派の紫微斗数では男女星は区別しませんので、命宮に生年Dがあれば自分に固執し囚われる人、ネガティブ思考の人と判断されることが多いです。
しかし、欽天四化の場合は太陰は女星で、太陰Dは母親や妻がそのような人と判断し、自分(この命盤の男性)はあくまで天同でみて温厚で柔和な感じの人とみるわけです。
このように性格性質をみる場合は、とくに自分の星が異性の星かに着目するようにしなければなりません。
同様に、つぎのような女命の場合も天機Bは父親や夫とし、リーダー的なややきつい性格の人とみます。
自分自身は太陰の星なので、女性らしい優しい人となり天機Bでみるのと大きく性格性質は異なることになります。
2. 生年M+自化M ⇒ 事象発生
わたくしの生徒様(女性)のおひとりですが、その方の子女宮がつぎのようになっていました。
欽天四化では生年M(※)に自化M(※)があると、中国語で「一定」といい、日本語では「定まっている」、「決められている」ということで、非常に高い確率で何か?が発生することになります。
※生年Mとは生年A、B、C、Dのことで、自化Mも自化A、B、C、Dのことです。たとえば、生年Aに自化Bもこれに該当。
また、生年Mは先天で「体」、自化Mは後天で「用」、体と用で何らかの事象が発生するというのが欽天四化の原理原則です。
上図の子女宮は貪狼がA-Dで破れています。
官禄宮の天機もD-Dで破れています。
この女性のご主人様は、大命が子女宮のこの女性が30代のとき交通事故で他界されました。
因みに子女宮も官禄宮も意外(事故怪我)をみる宮です。
欽天四化はこのように生年四化と自化の組み合わせで、「何が発生するか?(顕象)」、また「なぜそれが起こるのか?(隠象)」をみていくとても優れたロジックがあります。
論理的な命術と言われる所以です。
3. 我宮(六内宮)と他宮(六外宮)
欽天四化では12宮をつぎのように2分類します。
・我宮(六内宮)・・・命宮、財帛宮、官禄宮、疾厄宮、田宅宮、福徳宮
・他宮(六外宮)・・・兄弟宮、夫妻宮、子女宮、遷移宮、奴僕宮、父母宮
この2分類の概念はとても重要です。
では、この概念の根拠は何かということですか、つぎの図をみてください。
命宮の三合である、命宮、財帛宮、官禄宮は100パーセント我宮です。
命宮と疾厄宮も100パーセント我宮であり、その疾厄宮の三合である疾厄宮、田宅宮、兄弟宮も我宮と考えてもいいのですが、問題は兄弟宮です。
兄弟宮は、まず、読んで字のごとく兄弟姉妹や友人知人のこと、そして自分との関係をみる宮です。ですから、兄弟宮は我宮(六内宮)ではなく、他宮(六外宮)に分類されます。しかし、かなり我宮(六内宮)に近い宮であることはご理解いただけると思います。
では、福徳宮はどうして我宮(六内宮)なのか? ということですが、それは、つぎの河図(先天)に由来します。
1の命宮、6の疾厄宮、11の福徳宮は100パーセント自分の宮です。
人間は三位一体でできているといわれますが、わたくしは命宮は霊体、疾厄宮は肉体、福徳宮は魂ではないかと考えています。
福徳宮はしたがって自身の精神的なことをみる宮であり、この福徳宮が我宮(六内宮)であることには、どなた様も異論はないと思います。
・・・・・・・
さて、これを踏まえて大切なことはここからです。
欽天四化では男女の星が明確にわかれていることは先にお話しました。
その男女星に生年四化が付いていれば、それが自分の星であったり配偶者の星であったりします。
その自分の星や配偶者の星が我宮(六内宮)にあるのと、他宮(六外宮)にあるのとでは大きく意味が異なってきます。
わかりやすくいえば、我宮(六内宮)に自分の星があれば、十分にその星を用いることができます。
また配偶者の星が我宮(六内宮)にあれば、自分と配偶者との縁は厚いとみることができます。
但し、配偶者の星は他宮(六外宮)である夫妻宮にあるのは吉です。
たとえば、生年四化が付いた自分の星が奴僕宮や子女宮にあれば、第一義的にはそれは友人・知人・同僚や子供・部下などの自分以外の人をみることになります。
同様に、配偶者の星もそれらの宮にあれば、正式な夫や妻とはみれなかったり結婚しても夫婦関係が不安定になります。
欽天四化派の紫微斗数ではいかなる宮に生年四化が付いた星があるかが、命盤の良し悪し、引いては先天福分の厚薄が如実に表れることになります。
4. 生年四化は「因」で、自化は「縁」
高校の物理で、「質量=エネルギー」であると習った記憶があります。
相対性理論の「E=mc²」はあまりにも有名ですが、占いの世界でこのような概念が登場してくるとは思いもよらなかったというのが正直なところです。
欽天四化は、生年四化と自化の関係をエネルギーの変化でとらえます。
たとえば、生年Aに自化A、B、C、Dがあれば、それぞれつぎのようにエネルギーの変化をみます。
最後の質能の変化の「能」とは機能、効能の意味の能です。
180度変化するような意味にとらえていただければと思います。
生年Aは先天で、生まれながらに天より与えられていたモノ(エネルギー)です。
それが後天で時期刻限が来ると、自化が発生し、先天より授かっていた生年Aに何か変化が生じるという現象です。
身近な例で、たとえば肉料理でご説明します。
何も調理していない冷蔵庫から出したばかりのステーキが、生年Aに自化なし。
生年Aに自化Aの同象自化は、たとえば、レアが好きな人にウェルダンのお肉を出してしまい、再度、肉を焼き直すようなものです。最初に焼いたウェルダンのお肉は無くなることになります。(料理ではほかの人が食べれはOKですが・・・)
ビフカツにしたりすき焼きにして食べるのは、さしずめプラス作用の質量の変化で生年Aに自化BやCの作用です。
質量の変化でA+B、A+Cはプラス作用でこの宮自体はいいのですが、反対に生年Bや生年Cの宮はマイナス作用が出やすいことになります。
つまり変化は、単にこの宮だけにとどまらないということで、相互に作用をし合っていることになります。
先の例では、たとえばビフカツならパン粉、すき焼きならネギや豆腐などの他の具材が使われてそれらが減ってしまうことになります。
ハムにしたり、ベーコンにしたりするのは、最後の生年Aに自化Dの質能の変化になるでしょうか・・・
このように物理で習った法則も、身近な例でお話するとご理解しやすいと思います。
欽天四化は、このようにロジックがしっかりと確立しています。
科学の世界は、1+1=2 で、数理は万国共通、使い方を間違わなければ、どなた様も同じ結果を導くことができます。
欽天四化派の紫微斗数の的中率が高い理由の一端はここにあると言えます。
ついでに、わたくしが考えている開運法をご紹介申し上げておきます。
わたくしは、生年四化は「因」で、自化は「縁」であるとも考えています。
仏教の教えの大原則のひとつに「因縁果報」があります。
「因」は「縁」に触れなければ、「果」は発生しません。
「因」を現世で変えるのはかなり難しいと思いますが、「縁」を良き方向に変えていく、あるいは極力発生させないようにするのは可能だと思っています。
それには昔から言われている積徳や修行などの善行です。
さらに神理の勉強をすることは大切だと思います。
自化がひとつもない方にいままでお目にかかったことはありません。
自化がなくても、宮から宮に飛ばす交易四化は必ず発生します。
「縁」は意識して、「よき縁」に変えていくように努力するです。
いい人と付き合う、よい場所(いい人が集うところ)に行く、いいと思う行動をする・・・。
そうすれば、自化のマイナス作用を軽減していくことはできるのではないかと思っています。
5. 寿命は変えることはできない
欽天四化を台湾の陳老師よりご指導いただいて、これまで驚くことが多々ありましたが、そのひとつに12宮のひとつである “奴僕宮(交友宮ともいう)” の象意のことがあります。
日本で習った星曜派の紫微斗数では、奴僕宮は桃花宮で異性縁をみる、友人知人、同僚、一般大衆、偏財(投資投機)をみる宮として、かつ他宮でもあり、それほど重要ではないなと思っていました。
一般的な紫微斗数の書物でも、奴僕宮のことに割いているページ数は、他の宮に較べても少ないように思います。
しかしながら、欽天四化派の紫微斗数では奴僕宮を生死宮ともいい、寿命をみる宮として特別視しています。
ですから、奴僕宮とその対宮である兄弟宮に自化はないほうがいい(自化があるとそれだけでやや健康面に問題の意)のはご理解いただけるものと思います。
一般的に健康や生命に関わることは疾厄宮ではないのですか? というご質問があるかと思います。もちろん、疾厄宮も身体健康にとって非常に重要な宮ではありますが、生死に関わる決定権は奴僕宮にあるということです。
この理由を説明するのは、長くなりますのでここでは差し控えますが、わたくしのこれまでのブログ記事(「復刻・紫微斗数は神様の黙示録」等)をよく読まれるとそのあたりのことに触れている記事はあるはずです。
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さて、鑑定で、「自分は何歳まで生きられますか?」と、寿命のことを聞かれる方がおられますが、わたくしは「それは解ってもお答えしません」と申し上げています。
理由は、寿命だけはいくら努力しても変えられないからです。
神理の教えで、わたくしたちは、生まれるときに神様から「何年何月何日までの寿命を与える」と決められてこの世に生まれてきているそうです。もし、寿命を変えられるとしてもそれは神様だけにしかできないことです。
ですから、変えられないものを知ったとしても、それが100歳というなら「よかった!」と安心できるかも知れませんが、「50歳ですよ」といわれて気分のいい人はいないはずです。
寿命のことは知らないのが賢明です。
ただ、変えられることはあります。
それは「死に方」です。
楽に死ねるか、苦しんで死ぬことになるのかは、生前の行いに大きく左右されるようです。
わたくしはお迎えが来るとき、「自分の人生はよかった!」と心より思えて、周囲の人に合唱して「ありがとう!」といえるようになりたいと強く願っています。
少し話がそれてしまいましたが、欽天四化派の紫微斗数は、自分の寿命は生まれる前から決まっていることを教えてくれる冷徹な命術でもあります。
どなた様も健康には留意する必要はありますが、寿命にはあまり関心を持たないほうがいいということです。
最後に申し上げたいことは、生死に関わることはいくら的中率が高くても、まだ存命の方について軽々しく云々することは、厳に慎まなければならないことは言うまでもありません。
きょうもお読みいただき、有り難うございました。
田中宏明