私のバレーボール人生
わたしのバレーボール人生はとてつもなく勿体ないものでした。
自分で考える力があれば。もう少し頭がよければ。努力の仕方を知っていれば。成果主義であれば。。。
学校の成績も悪いし、努力仕方もわからない。物事の解釈もズレてたし、チームメイトとも仲良くできない。
小学生から始めたバレーの戦績は、どれも都道府県二位か三位。たまに、一位。
大学では、万年補欠。でも、ユニフォームすら着られない人が居ながら、ユニフォームは必ず着ていた。頭がよかったら、レギュラーになれてたと本当に思うし、キャプテンした四回生では、チームをもっとよい成績に導けたと思う。
そんな私が選んだ仕事は、高校体育教員。
もちろん、バレーボール部顧問。
ここでも、頭の悪さが炸裂。勝つために必要なことを考えられず、自分の経験を押し付ける指導しかできませんでした。
あのころの選手たちには、本当謝りたい。
結果、コーチ時代には監督に馬鹿にされ、選手には嫌われ、最悪なコーチでしたね。
これも、過保護過干渉の賜物だと思ってます。
全てを親の責任にするつもりは毛頭ないけど、自分で物事を考えられない、調べられない、なにかとズレた思考をする、あたりは、家庭環境や親の教育の影響が大きいのでは?と思っています。