フランス映画「最強のふたり」は日本にも存在する。【個々の関係性から生まれる暮らしとふくし】
私はちょうど一年くらい前から淡路島と東京を行ったり来たりしている。
きっかけは淡路島江井のまちに住む愉快な仲間たちの存在である。
木村さんと久保田さんだ。
この2人の関係性と、2人に気持ちよく巻き込まれている人々の集合体(私を含む)は言語化することが難しい。「the 暮らし」すぎるからだ。
言葉にしたらなんとなくそこに枠線が生まれてしまう感覚があり、noteにすることを躊躇う。
しかし、木村さんと久保田さんの自称PR担当である私は、木村さんと久保田さんの関係性にどうしても光を当てたい。2人の関係性を可視化させることは誰かの暮らしのヒントになると自負しているからだ。
この記事は、どうしても普通の暮らしのほんの一部を切り取ったキラキラインスタグラムのような”表面感”が出てしまうと思う。
どうか、想像を膨らませながら読んでいただき、気になったら一度淡路島江井のまちに遊びに来てほしい。
淡路島版「最強のふたり」
みなさんはフランス映画「最強のふたり」を観たことがあるだろうか。
ネタバレにならない程度にあらすじを紹介したいと思う。
観たことがない方はぜひ一度、最近会えてない「あの人」と会う口実がわりにでも観てほしい。(口実はあればあるほどいい)
私は19歳の頃から障がい福祉の現場に携わってきて、”ヘルシーな暮らしとふくしとは何か”ずっと自問自答してきた。この映画にはそのヒントがたくさん隠れている気がする。とはいえ、映画の中の世界のような(ノンフィクション映画ではあるけれど)なんとなく日常に落とし込むことができていなかった。
そして、淡路島に来て、実在する「最強のふたり」と出会う。
久保田さんと、
まずは少し久保田さんと木村さんの紹介を勝手ながらにしたい。
そうでなければ話は始まらない。
久保田さんは身に纏うものはマルだらけのマル兄さん。
元々建築デザインの学校に行っていたこともあり、DIYのセンスがありすぎる。今、私が淡路でお世話になっているお家も久保田さんとお友達がお線香工場をDIYして、超絶おしゃれ空間が出来上がったらしい。そしてとにかく、周りの人を巻きこむスキルがすごい。
木村さん
そして、木村さんはのほほん優しいお兄さん。
いつも何かと感動している気がする。真のボーイな心の持ち主。
2児のパパ。
私と会うと必ずどっかによじ登って「見て〜」「見て〜」を連呼する元気はつらつボーイくんと、イチコロで心を奪われる天使な娘ちゃんがいる。そして、しっかり者で縁の下の力持ちである奥さんは私の女性ロールモデルだ。
そんな木村さんは遠位型ミオパチーという進行性難病を発症して今は車椅子生活をしている。(遠位型ミオパチーという言葉が馴染みがない方はこの機会にぜひ調べてみていただきたい。)
陽気すぎるふたり
そんな久保田さんと木村さんはいつもケラケラ笑っていて、とにかく陽気だ。陽気すぎてこちらも気が狂いそうになる。ナチュラルにお笑いコンビを結成しちゃっている。そして、常にgood vibesの波紋をコミュニティ全体に振動させている。
また、2人を見ていると「青春」は若者のために作られた言葉なのではなくて、暮らしの中で一生存在し続けていくものであることを改めて実感する。スピーカーから嵐のカイトという曲が流れてきたら急に「やばい、泣けてきた。。」って2人で大号泣し始めたり、最近絶交するかと思うくらいの喧嘩したわ(笑)とか報告してくる。可愛い。
そんな2人の関係性は、「ふくしとは一体全体なんなんだ?」と考えさせる。
仲間が困ってたら助け合う、ただそれだけ
パーソナルアシスタントってなんなんだー!
まずは少しだけ、まだ日本では馴染み深くない方もいるであろう”パーソナルアシスタント”という仕組みについてちょびっと紹介したい。
(専門家でも何者でもない私が説明するのは億劫なので、一般社団法人プラス・ハンディキャップさんのメディアから一部抜粋させていただきます。)
既存の福祉サービスでは、まずヘルパーとして働きたい人は重度訪問介護事業所に登録をする。資格を取る。そして、介護を受けたい人と条件や場所がマッチしている時に初めて、「初めまして」の顔合わせをする。
その点だけを比較しても、パーソナルアシスタント制度とは角度が異なる。
素人の私からみても、パーソナルアシスタント的な動きは日本ではまだ浸透しきっていないように感じる。
しかし、私の仲間たちの間ではこの仕組みがすごく自然な形で回りはじめようとしている。
暮らしに溶け込むふくしっぽいもの
今現在、木村さんは自分のヘルパーとして相方の久保田さんを推薦して、久保田さんが木村さんの手助けをしている。
全国ホームヘルパー広域自薦登録協会というところに”形式として”久保田さん=介護する人、木村さん=介護を受ける人として登録をし、木村さんが久保田さんから福祉サービスとしての介護が受けれる仕組みを回しているのだ。
これは先ほど紹介したパーソナルアシスタント制度っぽい。
そして2人の間には、支援する側/される側の境界線が見えないのだ。
忙しそうなふたり
そんな2人の毎日は忙しい。
久保田さんはとにかくアウトドア。
木村さんを連れて外に出まくる。木村さんが久保田さんのやりたいことを手助けしてたりする。
木村さんは長年インドア派だったらしく、疲れたときとかやりたくない時は何かと「障がい者なんだから優しくしてよ〜(笑)」っていって休憩する。
そんな感じで、2人は仲間たちとみんなでお米育てたり、お家の隣に広場作ったり、バーベキューしたり、海で浮かんだり、先週は餅つき大会をしていた。
ふと思ったがこの文章だけを見ると、福祉とは支援を受ける人が主体的にやりたいことを決めることが大事なのではないか!その意向にヘルパーが寄り添うことが正なのではないか!とアンチテーゼを受けるかもしれない。むしろさまざまな考え方がない方がおかしい。一方で、木村さん、久保田さんの間で醸成された2人だけの1対1の関係性の中で決められたことは、2人の中でしか判断されてはならない。私は社会的な「正しさ」と個々の関係性の中に存在する「配慮」は異なると考えるからだ。
また、なんとなく社会的に”福祉サービス=ふくしそのもの”であるように捉えられがちな気がする。しかし、福祉サービスは豊かな暮らしをする上での一つの手段でしかないことを久保田さんと木村さんはそのニヤニヤ具合から教えてくれる。
そして、彼らの存在があることで、
”繋がりと仲間が人の好きを拡張させ、人生を豊かにさせる”
と私はより一層信じることができる。
結局みんな実践済みだった
仲間と一緒に一生遊んでたいから、お互い困っていたら助ける。
これが根本にある。
これはめちゃくちゃ普通のことだし、多分全ての人が実践している。
隣にいる人が「困った〜」モヤモヤってなっている時、自分が100%ハッピールンルンでいることはできない。
ふくしって一見めちゃくちゃボランタリーに聞こえる。けど、本当は自分の精神的な豊かさを持続させて行く上で必要不可欠な気がしていていて、すでに誰もが実践している。大きく見えるけれど、めっちゃ普通の暮らし。
最後に私が思うこと
私は自分の世界、人の世界をそれぞれ球体で捉えているように思う。そして誰かの世界と交わった時に、もう自分の世界にはその人が存在し、私の生命の構成要素の一部となっている。そんな感覚がある。
以前、誰かが「私は福祉を受けるほど、社会に還元していない気がする」と言っていたことを思い出した。だけど、私は重なっているだけでいい、そこにいるだけでいいと思う。ちょっとカッコつけたけれど、自分の世界に存在してくれていることがすでにふくしであるような気がする。
だからこそ、出会いを拡張し、関係を紡いでいくことしか私はできない。
それでいいのだと思う。
うーん、、結局色々書いても何が伝えたいかわからないけれど、何か少しでも感じていただけたらすごく嬉しいです。とにかく私はふたりが大好き!
勝手に宣伝
久保田さんと木村さんは「富士山登山」という更なる挑戦をするらしい。
私もノリで「ついてきま〜す!」と言ったけれど今更自分の足が不安になってきた。今日からイメージ練習をしようと思う(笑)おしまい。