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美味しいハンバーグ

「ただいまー」
 玄関を開けると、部屋の奥からいい匂いがただよってきた。
「いい匂い。今日のご飯、なに?」
「おかえり。今日はハンバーグにしたよ」
 マサトの声が届く。あたしは靴を脱ぎながら快哉をあげた。
「ほんと!? やったー!」
 聞きつけたマサトが笑い声を上げる。
「なんだよその子供みたいな反応」
「えー。だって、ごちそうじゃん、昨今、お肉なんて」
「いや、そうだけどさ」
 やりとりしながら台所を覗き込むと、マサトと目が合った。首を伸ばして軽くキスをして、もう一度言う。
「ただいま」
「おかえり。お疲れ様。もうできるよ。着替えといで」
「うん……それにしてもほんと、いい匂いだねえ」
 部屋着に着替えてダイニングへ行くと、すっかり食事の準備が整っていた。
 マサトとタイミングを揃えて手を合わせ「いただきます」をしてじゃがいもとキャベツの味噌汁を一口。さらにキャベツを食べてから、待望のハンバーグに取り掛かる。箸で一口に分けたところに別添えにされたおろしポン酢をのせ、一口。熱々の肉汁のガッツリした旨みを、ポン酢の酸味と大根のほのかな辛味が彩り、口の中で混ざり合う三者が爽やかなハーモニーを形作っていく。いささか温度は下がるがそれすらも心地よい喉越しを保証してくれるアクセント。あたしは感動に打ち震えながら叫んでいた。
「うンンンンまぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「お口にあったなら何より」
 マサトはサラダのトマトに箸を伸ばしながらにっこり笑う。
「いや、お口に合うって言うか、美味しいよマジで! この、おろしポン酢別添えって言うのがまた心憎いよねえ」
 言いながら二口目。流石に一口目のような鮮烈な感動はないが、その分この繊細なバランスと、それぞれの特徴ある味の陰に宇宙背景放射のように偏在する甘みの存在を、しっかり感じ取ることができる。
「うん。うンまい」
 しみじみとつぶやく。
「他のものも、食べてね」
 マサトはちょっと照れたように言って、ふと顔をあげる。
「でも、お肉食べられるようになってよかったね。そんなに楽しめるならさ」
「ああ……今になってみると、なんでそんなに苦手だったのかな。自分でも不思議」
 レタスを口に運ぶ。クリーミーなドレッシングが程よく絡まり、ポン酢とはまた違った爽やかさがシャキシャキした歯応えをともなって肉汁の余韻と響きあう。
「昔は食べてたんでしょ、普通に」
「だと、思うんだよね。実家のご飯や給食で苦労した覚えないし。いつから、どうして食べられなくなったんだったか、今ひとつ思い出せないのよね」
 味噌汁のじゃがいもを食べ、汁を一口飲んで口中とお腹を温め直したら、第二ラウンド。ハンバーグを切り分ける。
「別に、どうしても嫌いだったり、信念があったりするなら無理することはないんだけどさ、食べられるもの多い方が、食事は楽しい気がするよね」
「違いない。こんなに美味しいもの、食べれなかったんだと思うと……ほんと、克服できてよかったよ」
 さっきよりたっぷり目に乗せたおろしポン酢を落とさないようにしながら、慎重に口に運ぶ。
「んんんん…いてっ」
 また異なったバランスの妙に感動の声を上げかけたその時、ガチリ、と硬いものが歯に当たった。
「ん? なんだろ」
「え、なんか入ってた? ごめん」
「えっと……」
 口から取り出したものを繁々と眺める。これって……ピアス? あたしもマサトもピアスなんてしてないのに、どうして……いや、違う、これは、見覚えが……誰かの耳に光っているのを、確かに……
「かあ……さん……?」
 一斉に記憶が蘇ってくる。
 自分や家族の番が来ないことを祈りながら過ごした日々。学生時代バイトに行った公営の食肉加工場で見た風景。無意識にまともに読むことを避けていた父からのメール。
 そうだった、あたしは、現実を……食卓に並ぶ肉の正体を意識から追い出すことで、再び肉が食べられるようになったのだった。
 そして、なんの偶然か、この肉は……
 蘇った吐き気に、あたしは口元を押さえた。
 

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