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進化の道のり

「えっとね、確かネットに画像が……」
 そう言ってスマホを取り出し検索を始める比呂乃を、あたしはベッドの上に座ってぼんやり見つめていた。
 真剣な表情で画面と睨めっこし、文字列を打ち込んでは「ちがうなー」なんていっている比呂乃。そんなところまでかわいくみえてしまう。だけど、あたしに答えるためとはいえ、あたしの方を見ないのはなんだかちょっと……悔しくもある。
「いいよいいよ、思いつきで聞いてみただけだから」
 あたしは言う。そうだよ、あたしは比呂乃とおしゃべりしたかっただけで、正確な知識が欲しかったわけじゃない。
 だが比呂乃は
「待って、もうちょっとだから」
 なんて言いながら顔を上げずスマホの画面をスワイプしている。やがて、
「あ、あったあった! これ!」
 比呂乃は床から立ち上がってあたしの隣に腰を下ろす。ベッドが沈み、スプリングがお尻に反動を伝える。それは比呂乃から漂う甘い匂いと混じり合い、頭をくらくらさせる。比呂乃が画面を見せようと身を寄せてくる。わずかに触れ合う衣服越しの体。その体温。
 もう、このまま……
 そんな衝動を抑え込む。倫理観や羞恥ではない。少しこらえた方が、後から得られるものが大きいと知っているだけ。
 あたしは平静を装い、比呂乃がこちらへ向ける画面を覗き込んだ。
「あー、この、歪んだスカイツリーみたいなやつね。みたことあるわ、確かに」
「でしょでしょ。こいつがさ、大量にあって」
「それはちょっとキモいかもね」
「ちょっと、だったらよかったんだけどね。その上さあ」
 比呂乃は隣に座ったままおしゃべりを再開する。あたしは相槌を打ちながら、その心地よい声に耳を傾け、横目で笑顔を堪能し、振動と柔らかな感触に内心の興奮を募らせる。
「それにしてもさあ」
 そろそろ我慢できなくなってきて、一区切りつけようと、あたしは口を挟む。そんなになってもなお比呂乃の声が途切れるのはなんだか名残惜しい。けれども小首を傾げて問いかけるようにこちらを見上げる比呂乃の顔は、これまた極上だ。
 抱きしめたくなるのを、ぐっと堪える。
「いや、その……スマホ、さ。ほんとになんでもわかるよね。知識の泉みたい」
「うん、そうだね。ていうか、もう外付けのもうひとつの脳、みたいな感覚」
「あ、それわかる。自分がひろがってるって感じよね。通信だってできるんだし」
「そうそう。あ、そういえばさ、これってちょっと、あれに似てない?」
「あれ?」
「うん、えっと、こないだみた、古い映画の……こう、でっかいスマホみたいなやつに、お猿さんが触って、骨で仲間を……」
「ああ、モノリス? 2001年の?」
「そう、それ!」
「あー、なるほどね……」
 あたしは考え込む。比呂乃はあたしと違ってSFなんてものにあまり馴染みはない。少しでも共通の話題を増やしたくて、時々SF映画を見せているのだが、あまりパッとしない反応のことも多い。しかしあの古典的名作のことは、あたしが勧める前に何処かから聞いてきて自分で「観たい」と言い出した。自分の好きなジャンルのものに興味を持ってくれるのは嬉しかったけど、何せ長いし難解な映画だ。気にいるかどうか不安に思いながらも一緒にあたしの部屋で鑑賞した。結果は上々。前半の、昔のものとは思えない宇宙の映像に目を見張っただけでなく、終盤のスターゲイトの映像にもいたく感銘を受けたようで、「なんか……すごかった」と呆然と呟く比呂乃は……なんというか、とても、色っぽかった。
 その時のことを思い出して思わず生唾を飲み込むあたし。聞かれたかな。誤魔化すように咳払いをして、スマホとモノリスに意識を引き戻す。
「まあ、人類に知恵を与える黒い板、って意味では、確かに。でもさ」
「ん?」
「逆かも」
「逆」
「そう。だって、モノリスはさ、あの猿、っていうか類人猿の中に、知性を芽生えさせたわけでしょ。スマホはそうじゃなくて、知性を肩代わりしちゃってるもの」
「あーそっか」
「その結果、あたし達が知性を身に付けてるかって言ったらさ、むしろ失ってる気がしない? 考えて思い出してた物を、すぐにスマホで確認しちゃうし」
「うーん……」
 こんどは比呂乃が考え込む。あたしは小さくため息をついた。話を打ち切るために言い出した話題が、思いのほか長く続きそうで。しかも半分くらいは自分が長引かせてる。仕方がないか。楽しいんだもの、比呂乃と話をするのは。
「うん」
 比呂乃は顔を上げた。
「そうだね、そうだけど、でもさ、もしも、スマホが……あたし達の一部なんだとしたら」
「一部?」
「うん、だってさ、さっきも言ったでしょ、外付けの脳、って。由利香だって、自分が広がってる、って言ってたじゃん」
「あー……」
「もし、スマホが、あたし達の『外付けデバイス』として機能を拡張してるんだとしたらさ、スマホと人間をワンセットで一つのシステム……一つの生き物って考えたら、知性は増してることにならないかな」
「ワンセット……あんたすごいこと考えるわね」
「由利香に鍛えられたからね」
 比呂乃は得意げにいう。映画視聴を含む度重なるSF布教のことを言っているのだろう。
「あはは。優秀な弟子でよかったわ」
「でしょ? でね、褒められついでに言っておくと、スマホの知性って、インターネットに接続してることで保証されてる部分が大きいわけでしょ。ていうことは、この『ワンセット』って、人一人とスマホ一台だけの話じゃなくてさ……」
「集合知性、ってこと?」
「そうそう。人はスマホとインターネットで世界と繋がって知性を拡大させてさ、孤独な個人から、群体としての完全な生命にまで進化しようとしてるんじゃないかって」
「知性を与え、進化を促す……ますますモノリスだわね」
「そう、そういうこと」
「じゃあさ」
 あたしはいいかげんじれて、比呂乃に手を伸ばす。このまま話を深めたい気持ちもあるが、そろそろ限界だ。
「そんな進化した生き物の比呂乃は、こういう原始的なことはしないのかしら」
「あん……さあ、どうでしょうねえ」
「試してみようかな」
「……どうぞ」
 あたしは比呂乃の唇を塞ぎ、舌を絡ませ、体をまさぐる。
 一旦体を離し、服を脱がそうとした時、ふっと、イタズラ心が沸いた。短い言葉で、音声アシスタントを起動。そして
「録音して」
 比呂乃が驚いて真顔になる。
「ちょ……何よ、やめてよ」
「いいじゃん声くらい。別にネットに放流したりしないからさ」
「当たり前でしょ」
「あたし達の外付けデバイスにもさ、記録しておこうよ。忘れないように」
「えー。だって……」
「嫌? ほんとに嫌なら、やめるけど」
「だって……由利香、後で聞き返したりするんでしょ」
「するよ?」
「うー……」
「いや?」
「いや……じゃ、ない、かも」
 あたしは安心して行為を再開する。比呂乃の目が、声が、汗が、この遊びの成功を教えてくれる。
 熱い肌にくちづけしながら、急に自分が起動したスマホのことが気になった。
 その奥底に、本当に冷徹な知性があって、あたし達の痴態をじっと観察しているのだとしたら……
 ばかな。あたしはあらぬ妄想を振り払い、比呂乃の体に没頭する。

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