![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/99836185/rectangle_large_type_2_0825892881314f9cccb1b5aee2c30a89.png?width=1200)
電車の中で出遭ったいくつかの衝撃
激しい衝撃の後、ギギギーッっと甲高く耳障りな金属音とともに、通常とは異なる凄まじいGが全身を襲った。間をおかず、それに抗しきれなかった人や荷物が倒れ込みあるいは宙を飛んでぶつかってくる。耐えきれず、車両の前の方にいた俺は車両連結部のドアに体を叩きつけられ、そのまま強く押し付けられる。それほど混んでなくて幸いだった。ラッシュ時なら圧死している。
なおも激しい揺れがしばらく続き、車内灯は幾度か明滅を繰り返した後消えてしまった。金属音が低く鈍い余韻を残し小さくなっていくのと呼応し、ようやく振動も治った。
「ふう、なんだったんだ」
「痛い痛い痛い」
「うわああああああん!」
「ちょ、どいてくれよ。どけったら!」
それぞれの状態を反映する様々な声があがる。
「事故ですかね」
しきりに謝りながら俺から体を離した女性に、なにげなく話しかける。
「あっ、はい、いえ、わかりません、けど……」
服の裾をのばしながら、女性は答える。
華奢で、背も低めだが、服装や顔つきにはそれなりの落ち着きがある。おそらく俺と同じ……二十代後半といったところか。
「事故以外に、考えられない、ですよね」
「そうですよねえ、やっぱり」
俺も答えて、何気なく窓の外を見る。
お昼前だが、曇天のもと、風景は薄暗い。ちょうど土手の上を走っているところだったようで、手前には田んぼが、その向こうに住宅街が見える。脱線、転倒でもしようものなら、転げ落ちていたということか。
「大事故ってわけではない、のかな」
独り言のつもりだったが、彼女は会話の続きだと思ったようだ。少し間を置いて、
「どうでしょう」
と返事をしてきた。
「車内放送も入らないなんて。おかしいと思いませんか」
「あかりも消えてるし、電気系統がいかれてるのかもしれないでしょう」
「そうですけど……」
彼女は不安げに前方の車両に目をやる。俺もなんとなくその視線の先を追った。連結部の窓を通して見る隣の車両は、あかりがないためいくぶんぼやけた感じはするが、それでもおおよそこちらと違いがなさそうなことはわかる。立ち上がっているもの、うずくまるもの、座席に座るもの、外の様子を伺うもの。そしてスマホを耳に当てるもの。
「あれっ」
そういえば、と思う。
先ほどまではこちらでもスマホで連絡を取ろうとしていた人たちがいたはずだ。だがその後通話らしい声は聞こえていない。
いや、それだけではない、泣き声や呻き声、不安げな囁き。それら一切の音が、いつの間にか消え去っている。
振り返って、息を呑んだ。
いない。
誰も、いない。
「そんなわけは」
思わず声が漏れる。
そんなわけはない。さっきまで、確かに、この車内にも人がいて、痛みを訴えたり、大声で泣く子供を宥めたり、外に連絡を取ろうとしたりしていたはずだ。サラリーマンが、親子連れが、学生風の若者が、まばらではあれ、社内のあちらこちらに立ち、また座っていたはずだ。
「気がつきましたか」
彼女が言った。
そちらを見て、俺は眉を顰めた。一瞬で、それまでの彼女とはがらりと雰囲気が変わり、頼りなく儚げな様子は消え、芯のある声を発し、大きな目でまっすぐこちらを見据えている。
「え、いったい」
「大丈夫です。これで目的は果たされました。ご協力ありがとうございます」
「ご協力って……俺は何も……」
「いえ、隔離は終了しました。今あなたと私のいるここは、現実から位相をずらした、もうひとつの3号車です」
「何言ってるんだよ」
「あなたにはご迷惑をおかけして申し訳ないと思っています。けれども必要な処理なんです」
「だから、わかるように説明してくれ」
「いいでしょう。それを聞く権利があなたにはある」
彼女は、一瞬目を伏せた。何かを堪えているような、そんな表情。しかしすぐにふたたび顔を上げ、話し出した。
「私が未来から来た、と言ったら信じますか」
「はあ?」
「信じられないのも無理はありません。でも事実なんです。ひとまず一通り聞いて、それから考えてみていただけますか」
きっぱりと言われるとなんとも返しようがなく、俺は渋々頷いた。
彼女は先を続けた。
「未来、と言ってもそう先のことではありません。現在と地続きで、ちょうど今の子供たちが大人として暮らしている程度の未来。私はそこから来ました」
「いったいなんのために」
「破局を避けるためです」
「破局?」
「はい。その頃、私たちの世界に、恐ろしい破滅をもたらす科学者が現れます。いえ、私たちだけではない。全世界、全宇宙、全時空の、危機です」
「おいおい、いくらなんでも盛りすぎだろ。今時中学生だってそんな壮大なストーリー妄想しないぜ。たかが一人の人間が何をしたらそんな」
「タイムマシンを作ったんです」
「はあ?」
「タイムマシンです。あなた方も概念はよくご存知だと思いますが」
「そりゃ知ってるけどさ」
机の引き出しの中にある不思議空間のイメージが脳裏に浮かぶ。
「つまり、誰かがタイムマシンを悪用したとでも? 自分が世界の支配者になるように歴史を改変……」
「そういう問題じゃありません。問題はもっと根本的なんです。考えてもみてください。自由自在に過去に戻り、干渉できるということは、物事の順序や秩序、因果の糸をかき回すことに等しい。原因と結果は逆転し、無数のそれらが織りなす秩序の網の目はバラバラにほどけてしまう。具体的な干渉がタイムパラドックスを引き起こすのを待つまでもない。タイムマシンは、ただ存在するだけで、時空を崩壊へと導く代物なんです」
真剣な口調がその妄想だか作り話だかに説得力をもたらしていた。俺はつい彼女の話に釣り込まれてしまう。
「じゃあ……俺が、そんな発明を」
「いいえ。タイムマシンを発明するのは、あなたの、娘です」
「娘? そんな、結婚もしていないのに」
「するはずだったんです。この後で会う人と」
「このあと……」
「はい。この事故自体は、単純な架線事故です。が、この事故がきっかけで、あなたは一人の女性と知り合い、付き合いを深め、やがて結婚することになるんです。いや、そのはずでした」
「はず、だった……」
「私が、妨害をしましたから」
彼女は心なしかすまなそうに視線を落とした。
「私が彼女の代わりにあなたにぶつかり、あなたを一時的にここに退避させたことで、あなたは彼女と出会う機会を失いました。これで、タイムマシンの発明も阻止されました」
「それは……新たなパラドックスを引き起こすんじゃないのか? それは宇宙崩壊の危機にはならないのか?」
「そうならないように、私が来たんです。円環を閉じて、タイムマシンに関わる因果を解消するために」
「君は……」
「存在しないあたしが自分の存在を消すことで、全ての矛盾は非存在の輪の中に収束し消滅する。もうじき、あなたも通常空間に戻れます。ここでの記憶も、消えるでしょう」
「待ってくれ、君は」
「さよなら、お父さん。ごめんね」
ざわめきが起き、俺はハッとした。
誰かが非常用コックを引いてドアを開けたようだ。外には救助に来たらしい人の姿も見える。
「やれやれ」
俺はため息をついて、ドアの方に向かう。先に降りていく乗客の一人が目に入った時、俺は電流に打たれたような衝撃を覚えた。
「何考えてやがる、こんな時に」
思わず苦笑してしまう。
まったく、この非常時に考えるようなことか。
ものすごい好みだ、あんな人と付き合いたい、なんて。
全く俺も、どうかしている。