モンブランの栗(小説版)

 昼時を過ぎた学食二階のカフェは、それでもまあまあ混み合っていた。単に空き時間なのかそれともサボっているのか、数人で談笑しているグループや一人で本を読んでいる人、時々何か勉強をしているらしい人などで、席の半数以上が埋まっている。そんな中にまーくんの姿を見つけ、あたしは手を振った。無視。というより全く気がついていないようだ。やれやれ。あたしは肩をすくめ、ゆっくりまーくんの元へ近づいた。やがてまーくんが気が付かなかった理由、つまり俯いていた理由が見えて、あたしは思わず声を上げた。
「あ、ケーキなんか食べてる!」
 ん、という感じでまーくんは顔を上げる。
「おう、お疲れ。まあ座んなよ」
 そう言ってフォークに乗せたケーキを一口。黄色いマロンクリームの乗った、モンブラン。
 ちょっとうっとりして味わう様子を見せてから飲み込み、思い出したように言う。
「演奏会のチラシ、持ってきた?」
「もちろん」
 あたしは紙袋を掲げる。そこには、一月後に迫った、あたし達が属する大学合唱団のチラシの束が入っていた。今日ここで待ち合わせたのは、その宣伝で、他大学に行くため。
「重かったでしょ。悪いね。こっからは俺運ぶから」
 ケーキをつつきながらもそんなことを言うまーくん。
「助かる。ありがと」
 あたしはそう言ってにっこり笑ってから、ふいに自分もちょっぴりお腹が空いているのに気がついた。
 うー。まーくんがあんまりうまそうに食べるからだ。
「あたしもなんか食べちゃおっかな」
「いいんじゃない?」
 屈託なく答えるまーくん。
「でも尚美も来るんだよね? 待たせることになっちゃ悪いし」
 今日一緒に行くことになっているもう一人を理由に思いとどまろうとする。まーくんは、ああ、と言うふうに頷いた。
「授業長引いてるんでしょ。確か阿佐ヶ谷の仏語だし、たぶんもうちょっとかかるよ」
「うーん」
 なんでわざわざ防壁を崩しに来るかなあ。
 あたしは改めて意志を奮い立たせる。
「でも、やめとこっかな」
「なに、ダイエット?」
 デリカシーのかけらもないまーくんの質問に、あたしはため息混じりに答える。
「まあね」
 そしてそういうこと聞くなとかなんとか言ってやるべきかと思った時、あたしは妙なことに気がついた。
「あれっ?」
「なんだよ」
「栗」
 そう。栗だ。
 半分以上食べられ危ういバランスで皿の上に立っているモンブラン。その上に、栗がまだ残っている。
「好きじゃなかったっけ?」
 あたしが聞くと、まーくんは苦笑した。
「いや、好きじゃなかったらモンブラン頼まないって」
「だよねえ。じゃあ、なんで?」
「なんで?」
「なんで、最後までとってあるの?」
「変かよ?」
「変。だって、好きなもの最初に食べちゃうタイプじゃん」
「そうかあ?」
「そうだよ」
 自覚ないのか? 本当に? あたしは畳み掛ける。ダテに一〇年以上見てきてない。
「ショートケーキのイチゴだって先に食べちゃうし、トンカツ定食でキャベツあまりがちだし、目玉焼きまで真ん中から食べるじゃん」
「あー。まあそうかもなあ」
 とぼけるまーくん。あたしはさらに言った。
「だからさ、栗好きなら先に食べるほうが自然じゃん?」
「それは……いいだろ別に」
「今なんか言いかけた?」
「別に。理由なんかないよ。なんとなくだよ」
「ふうん」
 あたしは納得がいかないまま一応頷いておく。そして、ふっと思ったことを口に出した。
「まあなんにせよ、美味しいもの我慢できるなんて、大人になったのね、まーくんも」
 途端にまーくんが眉を顰める。
「その呼びかたやめろって」
「まーくんはまーくんじゃん」
「いつまでも小学生じゃねえんだぞって」
 そうやってこだわるところが逆に子供っぽく見えるんだってわかってない辺り、ほんとにかわいいやつ。あたしはニヤニヤしながら、指摘した。
「そういえばまーくん、最近ウチのこと苗字呼びするよね」
「だって、変だろ、付き合ってるわけでもないのに〝みーちゃん〟とか」
「えー、気にしすぎじゃん」
「井口が気にしなさすぎなんだって」
 うーむ。
 これは少しはあたしのこと意識してるってことなのか、それとも意識してないとはっきりさせたくて言っているのか。
 そんなことを考えているところに、ようやく、尚美が現れた。
「ごめーん、遅くなって」
 あたしは首を振る。
「全然。授業長引いた?」
「うん。阿佐ヶ谷の仏語。いっつもこうなんだよね」
 まーくんがほらな、と言う顔をしているのがなんだか気に障った。何か言ってやろうかと思う間もなく、まーくんは尚美に向き直る。
「お疲れ」
「ありがと」
 尚美はそう言ってからすぐに、机の上のものに気がついた。もはや栗をいただいた円柱上になったモンブラン。尚美の声が一段跳ね上がる。
「あ、ケーキ食べてる! しかもモンブラン! ずるい!」
「ずるいってなんだよ」
「だって、人が授業受けてるのに。栗くれたら、許すけど」
 まーくんは肩をすくめた。
「どうぞ」
「わーい。ありがと」
 躊躇なく指先で栗を摘み上げ、パクリと口に入れる尚美。座りもせずにお行儀悪いことこの上ないが、尚美がやるとどこか可愛らしくさえあるから不思議だ。
「おいしー。やっぱ秋冬はこれだよね」
 そう言いながら、傍にあった紙ナプキンで指先をふく尚美。まーくんは苦笑する……いや、苦笑、なのか、これ?
「お?」
 疑問が思わず口をついて出た。だが聞こえなかったようだ。尚美は片手を上げてまーくんを拝んでみせる。
「悪いね、いつも」
「別に」
 いつも、だと?
「おおお?」
 再び声が出る。流石に二人とも気がついてこっちを見る。
「なに、みいちゃん?」
 天真爛漫に首を傾げる尚美。
「いや、あのさ、尚美って、栗、好きなの?」
「うん! 食べ物で一番好き!」
「で、いつも、こいつから、もらってるわけ?」
 尚美はちょっと思案顔になる。
「うーん。いつもってことないと思うけど、頼むとくれるよね」
 ええっと、つまりまーくんは、いつも尚美に栗をあげていて、尚美が来るはずの日に、本来なら先に食べちゃうはずの栗を、ずーーーーっと取っておいた、ってことか。
「ふーーーーーん」
「なに?」
「なんだよ」
 とぼけた様子の二人相手に、あたしは顔がニヤつくのを止められない。
「べっつにー。あとからの方が、美味しいことだってあるのかなあとか」
「は?」
「なんの話だよ」
 あたしは自分の言ったことにちょっと驚いて、慌てて首を振る。
「なんでもないなんでもない」
 なおも疑問符を浮かべたままの二人を誤魔化そうと、腰を浮かせる。
「さ、まーくんほら、早く食べちゃいなよ。そろそろ行こ」

 だって今更、言えるわけないよね。
「やっぱり好きなものは、残しておくと、とられちゃうのかな」
 なんてさ。

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