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一人きりの世界

「ふう」
 俺は街角の縁石に腰を下ろした。
 今コンビニで調達してきたばかりのペットボトルを開け、ぬるい炭酸飲料をラッパ飲みにする。
 人は、いない。首都東京の、名だたる繁華街だ。かつてはありえなかった光景に、もうすっかり慣れてしまった。
 二週間ほど前だろうか、朝起きた時、漠然とした違和感を感じたのは。
 テレビも家電も一切反応せず、停電かと思ってスマホで調べようとしてもどこにも繋がらない。
 家を出ると、やけに静かだ。いつもは通勤や通学のため行き交う人で賑わっている通りのはずなのに。
 交通機関は一切動いていない。駅も暗い。
 どうやら人が一人もいないらしいと気がつくまでに、それほど時間はかからなかった。
 一体どうしてこんなことになってしまったのか。思い当たる原因は一つもない。
 そろって宇宙人に拉致でもされたと言うのか。
 そもそも、この現象はどこまで広がっているのか。電気やガスが使えないことや、航空機の影も見えないことから考えると、それほど狭い範囲の現象ではないと思われるが、世界規模でどうなのかは知る由もない。
 そして、なぜ俺だけが、一人残っているのか。
 旅に出ようかとも思った。他に残っている人間はいないのかと。しかしあれだけ賑わっていた東京に人っ子一人いないという状況は、そんな意思を砕くだけのインパクトがあった。ここにいないのに、どこならいるっていうんだ、言葉にすればそんな気持ち。
 幸いここにいれば飲食には困らない。冷蔵庫が動いていないため、なまものは壊滅だが、パッケージされた商品ならまだ当分は持つだろう。
 このままでいいのかな、そんな思いが、何ができるっていうんだという諦めに覆われて、まあいっかという怠惰に流されるうちに、だらだらと日が過ぎた。
 孤独よりもスマホもテレビもない退屈が応えたが、読書だけはし放題だし、昼間うろうろしているせいか夜は存外すぐ眠れてしまう。
 もう、なんか、こういうのも悪くないかもな、とまで、俺は思い始めていた。

 ふと、視界の端を何かが横切った気がして、俺は顔を上げた。
 俺は眉を顰める。
 考えてみれば、犬猫やネズミ、小鳥ですら、こうなってからは目にした覚えがない。
 人間だけではない、俺以外のあらゆる生き物が消え去ったのではないか、そう思える状況だった。
 だから「何か動くものがいる」という光景は、それだけで異様に思えた。
 一週間前なら、期待に震えたかも知れない。
 だが、今俺が感じたのは、恐怖だった。
 いるはずのないものがいる、そんな感覚が俺の肌を泡立たせていく。
 そろそろと立ち上がり、そちらに向かって歩き出す。
 そいつに遭遇するのは怖い。だだが確認しないでいるのはもっと恐ろしい。
「たしか、こっちに」
 自分を勇気付けるように出した声が、カサカサに掠れている。
 それが通っていったと思われるビルの角。手前で一回立ち止まり、生唾を飲み込むと、意を決して足を踏み出す。
「じゃじゃーん! ドッキリ大成功!」
 突然大声で言われて、心臓が飛び跳ねた。
「え? え?」
 人? 最初はそう思った。だが。
「……天使?」
 美しく輝く肌、頭上の光輪、そして背中で揺れる大きな白い羽。
 そんな、絵に描いたような天使たちが、俺の目の前に大勢群がり、口々に歓声を上げ、拍手をする。
 真ん中には「ドッキリ大成功」と書かれた派手なプラカードを持った天使。
 そいつは俺に近寄ってきてにこやかに言った。
「どうでしたか。案外冷静だったみたいですが」
「は? いや、あの」
 おれは口ごもる。
「これは、いったい」
「ですから、ドッキリですよ。厳正な抽選の結果あなたが選ばれまして。この数日のあなたの様子は、全天界に配信されていました。有名無名のあらゆる天使や聖人たちがあなたに注目していたんですよ!」
「え、ええっと、なんのために」
「娯楽ですよ」
 天使は言った。
「天界なんて退屈なもんでね。時々こうして悪戯を仕掛けては楽しませてもらってるんです。もちろんタダってわけじゃありません。謝礼ははずみますよ。富、名声、長寿、あるいはあなたくらい善良ならオプションで列聖も……」
「いやいやいやいや、おかしいでしょ、特に信仰があったわけでもないのに」
「今時真剣に信仰を持っている人間がどれほどいるっていうんですか、どこの神様もそんなの大して気にしてませんよ」
「いやいやいやいや」
 いくらなんでも、”真剣じゃない”扱いされて俺なんかと並べられては信者が可哀想ではないか。
「まあまあ、気にしないで。で、実際のとこどうでした、いきなり世界が終末を迎えたご感想は」
「そう言われても……」
 俺は言葉を選ぶ。
 どっちかっていえばこの種明かしの方がドッキリしたし、それに。
 せっかく慣れてきたんだし、一人になることが”ドッキリ”なら、そのままでも良かったのにな。

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