巣立ちの時
叩き起こされるようにして昼前にやっとベッドから這い出し、遅い朝食とも早い昼食ともつかぬ飯を食って、そのまま夕方までダラダラ。こんな生活ももう三日目。
「まったく、毎日毎日ゴロゴロと。誰かと会うとか、遊びに行くとかしないの?」
お袋は呆れたようにそんなことを言う。
そりゃ俺だって、こんな夏休みになるとは思っていなかった。
電話で、どこに行って何をしようかなんて浮かれて話す俺に、美沙が言いにくそうにこんなことを言ったのは、帰省ののわずか4日前。
「ごめん、ずっと、言おうと思ってたんだけど……帰ってきてくれてもね、あたしもう、修斗とは会えない」
「え? 会えない、って……」
「本当は直接会ってちゃんと話そうって思ってたんだけど……これ以上、期待させたく無いから」
「お、おい」
「ごめん、あたし、もう一月くらい前から、雅也くんと」
「……は?」
つまり帰省したら真っ先に会いたかった二人、恋人と親友が、いっぺんに「元恋人と元親友」に変わり、一番顔を合わせたく無い二人になってしまったわけで。
その上会うあてといえば全員天文部の仲間、つまり二人と共通の知り合い。どこかから話が伝わっている可能性は極めて高く、「当時の彼女を親友に寝取られた男」として好奇の目を向けられたり腫れ物に触るような扱いをされるのはごめん被る。いや、実際には普通に接してくれるんだろうけどさ、こっちが視線や言葉の裏を深読みしていまいそうで、楽しく遊べる気がしない。
そんなわけで俺はたっぷり三週間もある地元での夏を、ただごろごろして過ごさざるを得ず。北国でいくらか涼しいのがせめてもの救い。だがいっそ、最初からここを離れなければ……夏は暑すぎず、飛行機代もかからず、毎度食事をどうするか考える必要もなく、そして美沙も、俺の元を離れることはなかったのではないか。
「……ん?」
ふと、窓の外にちらちら映る影が目に止まった。鳥の鳴き声……えーっと、すずめ?
興味を惹かれて、窓に近寄り、そっとレースのカーテンの隙間から覗いてみる。ちょうどこっち側の壁と垂直に交わる位置、窓からぎりぎり手が届くかもしれない位置の軒に、雀の巣があった。ちょうど親鳥が餌を運んできたところらしい、高くか細い雛の声が、ひと塊のノイズのようにもつれあって響いてくる。
「へえ」
大学に行くまで何年も暮らしていた部屋だが、こんなところに雀が巣を作っているのをみるのは初めてだ。それとも気が付かなかっただけなのだろうか。
俺はしばらく、巣の様子を眺めていた。
一度気がついてしまうと気にしないでいるのは難しく、俺はその後も暇にあかせてしょっちゅう巣の様子を眺めるようになっていた。
巣の中までは見えなかったが、元気な声と親が忙しく行き来する様子が、雛たちがスクスク元気に育っているらしいことを教えてくれた。時には視線や動きに気づかれて親鳥に警戒されることもあった。俺はできるだけ彼らを脅かさないように、密かに見守るために、小さな双眼鏡をネットで注文し、常時カーテンを開けておくようになった。窓から離れた場所から、双眼鏡をのぞくと、今までよりもむしろ鮮明に巣の様子を観察することができた。最初のうちは小さな嘴の先端が、やがては徐々に色づき親に似たものになってくる雛達の頭や、羽ばたきの練習をする様子が観察できるようになっていった。
一週間ほども立つと、時々歩いて巣の淵まで出てくる雛もあらわれた。その姿はもうほとんど親と変わらず、巣立ちの時が近いことが察せられた。見分けまではつかないものの、どうやら雛の数が四羽であることも分かった。
やがて、その日が来た。
カーテンを開けっぱなしにしたおかげで、俺はここ最近、早朝に目を覚ますようになっていた。その日も眩しい光と上がる気温の中、少々脱水気味なのを感じながら身を起こした俺は、半ば習慣と化した動きで、枕元にあった双眼鏡を手に取り、窓の外に向けた。するとすぐに、巣の端っこにすっくと立つ一羽の雛の姿が見えた。その決然とした様子に、俺は思わず息を飲んだ。と。
飛んだ! 雛はパタパタと羽ばたき、巣から勢いよく飛び立った!
と見えたのも束の間。雛は急速に下降し、ほとんど落下するように見えなくなってしまった。慌てて行方を探すと、こちら側の屋根の上に止まって、キョロキョロしているのが見つかった。どこかで見守っていたらしい親鳥が飛んでくる。
やがて、時間をおいて順番に、雛達は一羽、また一羽と巣から飛び立っていった。まっすぐ飛んでいけるものは一羽もいない。皆最初の雛が落ちたのとそう遠く無いあたりにたどり着き、家族で群れるようにしながらあちこち飛び跳ねている。
俺は双眼鏡を置き、階下へ降りた。
冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いで一気に飲み干す。
巣の観察を始めた頃、雀の巣立ちについてはネットであれこれ調べていた。この後、あの雛達は親の元で飛ぶ練習や、餌の取り方など生きていくための学びを重ね、そうしてやっと自立していくことになるだろう。部屋の中からこっそり覗いているだけの俺が、その過程をつぶさにみることは、きっと叶わない。
これからも色々なことがあるだろう。なかなか飛ぶのが上達しなかったり、カラスや猫に襲われたり。車だって脅威だし、餌だってこれからは自分で苦労して探さなければならなくなっていく。
だが、それでも今日、彼らは巣立ち、俺はこの記念すべき日に立ち会うことができた。
最初の雛が飛び立った姿を思い出しながら、胸の内でつぶやいた。
「おめでとう。これからだな」