山頂に坊主は踊る

「さあ、そろそろ行きましょうか」
 もう、行くのか。
 そんな言葉を飲み込み、俺は荷物を背負い直した。
 周囲を見ると、皆一様に、同じような感情を顔に滲ませている。
「ペースを守らないとかえって疲れる」
 そんな回答は遥か以前に聞き飽きた。というよりもう、文句を言う気力すら残ってはいない。
「もう少しですよ。がんばりましょう」
 そんな言葉も、もう聞くのは何度目か。
 俺は小さくため息をつき、険しい山道を登り始める。

 登山研修、なんて話が持ち上がったのは、三ヶ月ほど前のことだ。
 最近雇ったコンサルタントの発案らしいが、係長~課長、それに一部の部長をいくつかのグループに分け、順次日本アルプスの槍ヶ岳に登るというのがその内容。正直意味がわからない。「厳しい業界を生き残る上で、体力、胆力を身につけるとともに、管理職として求められる高い精神性を」云々という目的を書かれた通達は受け取ったが、控えめに言ってもたわごとだ。健康上の不安のあるものは申し出るようにと言われたが、そんな配慮を必要とするような、目的も曖昧な研修など、最初からやらなければいいだけの話ではないか。
 文房具、事務用品の製造販売と、山登りの間にどんな関係があるというのか。だいたい業務において「高い精神性」なんてことを言い出す奴はろくなもんじゃない。仕事もできないのに一丁前のことを散々述べた挙句退職していった「意識の高い」新卒連中のことを苦々しく思い出す。
 かといって、業務命令として正式に通達されれば従わざるを得ないのが中間管理職の辛いところ。それこそ連中のように気楽に辞められればいいのだが、この年になってしまうと不満よりも再就職への不安が勝る。
 もっとも、
 と、俺は重い足を持ち上げながら考えた。
 こんなにキツい思いをするくらいなら、本気で転職を考えた方が良かったかも知れない。
 中高年なめんな、といいう負の誇りのようなものとともに、俺は息を吐き出した。

「おい、起きろ」
突然起こされ、俺はうめきながら体を伸ばし、薄く目を開けた。小さな明かりが灯されているものの、周囲はまだ暗い。時間を見ると二時すぎだ。
 下山にも時間がかかるため起床が早いと聞いてはいたが、いくらなんでもこれは早朝ではなく深夜だろう。身体中に昨日の疲労が残ってもいる。俺はもう一度軋む体をゆっくりと伸ばした。
「なんだ。まさかもう朝飯なのか?」
「いや」
 先に起きていたらしい同期の男が言う。
「とりあえず防寒着を着て外に出ろって」
「外に? 何をするんだ?」
「さあ。これが本番だ、って言ってたけど」
「本番?」
 俺は眉を顰めた。この上まだ何かさせられると言うのか。
 白い息を吐きながら外へ出る。当たり前だが、暗い。確かに星は美しい。だがまさかそんなことのために起こされたわけではなかろう。目的なんかない、ただの精神鍛錬だとでも言われた方がまだ納得できる。
 と、その時。おもむろに、ガイドが話し出した。
「みなさんは、槍ヶ岳に初めて登ったお方のことをご存知ですか」
 みな、顔を見合わせる。
 初めて? そんなの……
「昔から登られてたわけじゃないんですか?」
 誰かが皆の戸惑いを代弁する。ガイドは小さく笑った。
「はい。もちろん記録に残っていない範囲で誰かが登っていないとは限らないのですが……ただ、皆様も登ってみてお分かりの通り、これほど険しい山ですから。ただの狩だとか、ましてやなんとなくで登るなんてことは、そうそうなかったんではないかと思います」
 なるほど。言われてみればそうだ。
「じゃあ誰が」
 さっきとは別の誰かが言う。ガイドさんはちょっと間をとって、恭しくその名を口にした。
「藩隆上人です」
「しょうにん? お坊さんですか?」
「はい。浄土宗の僧です。一八二八年に初めて登頂し、厨子を作って仏像を安置したと伝えられています。のみならず、他の人々も登れるように何度も登っては難所に綱や鎖を設置したそうです」
「なんでそこまで」
「初登頂時に、阿弥陀如来を見たと言いますね。ブロッケン現象……雲や霧に、拡大された人の影が映ったものだろうと言われています。そんな有難い場所だから、ぜひ多くの人に登れるようにと思ったのでしょうね」
「じゃあひょっとして、このあとそのブロッケン現象が」
「いいえ。深夜に見えるものではありませんし。みなさんに見ていただきたいのは、はいじです」
「ハイジ?」
「はい。ほら、ご覧ください」
 ガイドさんが指差す先を見る。最初は暗くて何も見えなかった。だが、目を凝らすうちに、そこにぼうと光が……
「あれは……?」
「人、なのか?」
 口々につぶやきが漏れる。
 昨日、あそこが頂上だと教えてもらったあたり。謎の光に照らされて、周囲の岩の様子が浮かび上がる。その先端に、一つの人影が……
「踊って……いる?」
 遠く小さな姿にも関わらず、奇妙にはっきりと、その人影が手足を振りまわし踊っていることがわかる。奇妙な踊りだ。盆踊りにも日舞にもにているようで、飛び跳ねるような独自の動きが異質さを感じさせる。
「あれが、はいじのあるへん踊りです」
 ガイドさんが言う。
「拝む、と言う時に慈愛のじをかいて、拝慈。藩隆上人の弟子で、衆集と仏の間を取り持つべく、日夜あの険しい岩の上で踊り続けたと言われています。あるへんとは「或る縁」の転訛したもの。すなわちあるへん踊りとは、縁あるものにしかその意味を見出すことができぬ、神秘な踊りのことです」
 皆は沈黙している。なにか、ただならぬものを見ている、その実感が一同の言葉を奪ったのだ。
 ガイドさんは続けた。
「天を拝し、民には慈愛を。仏と人の間をとりもとうとした拝慈の思想の根幹はそこにあると言われており、そんな彼にとって「縁あるもの」とは、すなわち高きものと低きものの間に立つ存在であると言えましょう。ちょうど今の皆さんのように。だからこそ深夜、このようにみなさんが集うことで、拝慈はあらわれ、その踊る姿を通して、上のものと下のものの間に立つことについて、神秘の教えをさずけてくださっているのです。事実、今までにこのあるへん踊りを見た人たちは皆、大変に優れ、下のものにも慕われる指導者となっているのです」
 上のものを拝し、下のものには慈愛を。
 俺たちは言葉もなく、その不思議な踊りに魅入られていった。
(完)


「アルプスの坊主はいじ」というお題で書きました。

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