目にうつる全てのことが……
最初は偶然だろうと思った。
とはいえ、内容ははっきり覚えている。そのくらい衝撃的だったからだ。
「今日は一緒に観に行けて楽しかった~。一作目や『再び』はともかく、『必ず訪れる』のリバイバル上映なんて滅多にないからさ。スケジュール合って本当に良かったよ。晩ごはんの、チュニジア料理だっけ。初めて食べたけど美味しかったな。ほんと、いろんなお店知ってるよね。またどこか連れて行ってね」
そもそもSNSでこんな個人的なメッセージ然としたものを見ること自体珍しい。もちろん、匂わせなのか自分に浸っているのか、こういった類の投稿を見ることが皆無とは言わないが、俺にカスタマイズされたこのタイムラインには、滅多にその手のものは流れてこない。
何より驚いたのは、その内容。
なぜならそこに書かれているのは、前夜の俺の行動そのものだったからだ。
久しぶりに取れたまともな、つまり一瞬たりとも出社しなくていい休日。ゆっくり起き出した後、午後から昔のホラー映画『深夜』シリーズの、全作特別上映を見に行った。二作目が「深夜再び」、三作目が「深夜は必ず訪れる」。そのあと、行きつけのチュニジア料理店に行き、羊肉料理を堪能して家に帰った。
ただし、一人でだ。連れなどいなかった。正直誘うような相手もいない。友人が皆無というわけではないが、ひさしぶりに一人を堪能したかった。晩飯は絶対クスクスと羊を堪能したかった。譲りたくない行き先がある時は一人で行くに限る、というのが俺のポリシーだ。
ストーカー? いやまさか。
知らないアカウントだ。誰かが、何か意図があってリポストしたのかと思ったが、そういうわけではなかった。よく見ると表示設定が「おすすめ」になっている。
念のためアカウントを確認したが、なんの変哲もない学生らしく、接点はなさそうだ。『深夜』を見に行くだけあってホラー映画は好きなようだが、所詮それだけ。件のポストには、彼氏と一緒にデートに行ったという記述があった。少し遡ってみると、俺の行動パターンとは重ならなさそうなデートについてのポストや、学校での出来事、読んだ本の感想、スイーツの写真などが並んでいる。そこまで行ってようやく俺は最初に見たポストが自分のことを書いているように見えたのが偶然だと納得する気になった。
しかしあんなマニアックなイベントが同じ日にあちこちで開催されていたとも思えない。チュニジア料理店だって、一つではないにしろそうそうたくさんあるわけでもない。
ということは、ひょっとして、昨日あの同じ劇場から、あの同じ店へ移動して、半日空間を共有していた見知らぬカップがいたということか。
俺はその不思議さに思いを馳せた。
ところがそれでは終わらなかった。
「仕事が忙しいのはわかるけど、父さんの法事くらい帰ってくればいいのに。別に今更墓を守れなんて言わないけどさ、仏事って、残されて生きていく人たちが縁を確かめるためのものだって言うじゃん。父さんはともかく、母さんだって、言わないけど会いたいはずだし、帰省するには格好の機会なんだけどなあ」
父の七回忌に帰れないと連絡をしたその日にこんな投稿が目に入った時は、弟のアカウントかと思って思わず二度見した。違うと分かってからも裏アカウントじゃないかとの疑いが晴れず、以前と同様に過去のツイートを見てようやく弟でもその関係者でもないらしいと納得した。もちろんプロフィールで嘘をつくことなどいくらでもできるわけだが、親族やリアルでの友人に見られた時バレないようにという用心のためだけに、アイドルのライブに通ったり、週に二、三度ラーメンを食べ歩いたりするとは思ない。それが全て今いるはずの近畿ではなく新潟の話なのだから尚更だ。フェイクにしても手が混み過ぎている。
同様のことが、立て続けに起こった。仕事に失敗した日には上司からの慰めと励ましのメッセージめいたポストが、本を読み終えた日にはそれを読み終わったなら次はこれというおすすめが、一人で外出すればいつかのように同じコースでデートをしたことについての独白が目に止まった。もちろん、それら全ては、違うアカウントからのものだ。共通点もなし。
二度目までは偶然と思えた。三度目で不安になり、四度目で怖くなった。
目に映るすべてのことがメッセージ、なんて歌の歌詞もあったが、実際そんなふうに感じるとなるとこれはある種の精神疾患の兆候ではないのか。いや、だがしかし、そう言った病の場合、関連性の認められない物事を無理やり関連づけることが本質なのではないか。対して俺の場合は、確かに、自分のおかれた具体的な状況と具体的に重なるようなポストが対象なのだ。ただの妄想とは言えない気がする。
では、ある種のカラーバス効果のようなものと考えることは可能だろうか。自分が意識しているのと関連性のある情報が、優先的に目に飛び込んでくるというカラーバス効果。なるほど、法事の件や仕事の失敗程度ならそれで説明がつきそうだ。だが、俺の半日の行動をこまかになぞるかのようなポストはなんなのか。そんな情報が、都合よくそう何度も俺の目の前に転がっているものだろうか。
「考えすぎだろ」
友人は言った。
「そうだろうか」
俺はレモンサワーに口をつける。
学生時代を過ごした街から仕事で上京してくるから会わないかと連絡があったのは1週間ほど前のこと。仕事帰りに落ち合って適当な居酒屋にむかい、しばらく昔話に花を咲かせた後、俺はいつしか、ここひと月ばかり頭を悩ませている問題、SNSの書き込みが自分へのメッセージのように見えるという話を、ぽつりぽつりと打ち明けていた。
「だって他に考えようがないだろ」
友人は言う。
「全ては偶然。そこから踏み出そうとすれば、それこそ妄想じみた話にしかならない」
「いや、それはそうなんだが」
「それに」
友人は豆腐サラダを自分の皿に取り分けながら言った。
「たとえ、それらのポストとお前の行動になんらかの関係があるとしたってさ、お前はなんの実害も受けてないわけだろ」
「そりゃ、まあ」
「だったら考えるだけ無駄ってもんだろ。考え過ぎて、それこそノイローゼにでもなるよりは、無視して忘れてたほうがいいって。そのうち気にならなくなるよ」
「そんなもんかね」
「ああ、そうとも」
俺はレモンサワーにの液面をじっと見つめながら考える。確かに、友人の言う通りかもしれない。なんの影響も受けていない以上、考えるだけ無駄なのかも。
「うん、そうだな。できるだけ気にしないようにするよ。ありがとうな。話してよかったよ」
「いや、なに。なかなか面白い話だったよ」
「だれだよ、担当。何考えてやがる。SNSからランダムに拾い上げたポストを繋ぎあわせて生成したヴァーチャル人格に、大元のSNSのソースそのまま見せてどうするんだよ。手抜きにも程があるだろ。ていうか、もうちょっとでばれるとこだぞ。世界構築は隅々まで手抜いたらダメだって、何度言えば……」