思い出のからあげ
つけ汁から引き上げたところに、片栗粉と小麦粉をまぶす。
ビニール袋でやるのが楽だとは聞くけど、あいにくちょうどいいビニール袋がない。
「こんな面倒な料理、することないしな」
ひとりつぶやいて、油の温度を確かめる。
IHってのは便利なもんで、温度を設定しておけばちゃんとそれに合わせて加熱してくれる。設定温度になっているの見て、俺は小さく頷いて、粉をはたき落とした塊を、一つずつ、静かに油の中に入れていく。ジューっと音がして油が跳ねる。
その音が、幼い日に俺の心を引き戻す。
母の作る唐揚げが大好きだった。
夕方、家に帰って、ジュージューという油の跳ねる音と仄かな醤油の焦げる匂いを嗅ぐと、それだけで口の中に生唾が湧くのを感じた。
カリッとした衣と、柔らかなた歯応え、口の中ではねまわる熱々の唐揚げ。
本当に、おいしかった。
大好きだったんだ。
狐色に上がったものから順に取り出し、都度新しいものを投入。
一人分にしちゃ多かったかな。
そんなことを思いながら、油の中を軽くかき回すように、時々はひっくり返しながら、上がり具合を確かめていく。
そういや、この揚げ油って、このあとどうすりゃいいんだ。
なにせ揚げ物をするなんて初めてのことだ。ほとんどの食材も、なんなら揚げ鍋も、今日のために買ってきた。
「しかたがないだろ、食いたくなっちまったんだから」
俺は言い訳のようにつぶやく。
しかたがないんだ、そう思った。
だって、うちにはお父さんがいないから。
だって、うちには兄弟がいっぱいいるから。
だって、うちは……貧乏なんだから。
仕方がないんだ、頭ではそう思っていた。
朝早くから夕方まで働いて、帰ってくるとすぐご飯の支度をして、食べ終わって後片付けを終えると、遅くまで内職までしていた母。
そう言うことがわかるくらいの年齢に、俺はもうなっていた。
しかたがないんだ。お母さんは、一生懸命、僕らに美味しいものを食べさせようとしてくれてたんだ。
でも、そう思えば思うほど、幼い俺の中で、やりきれない思いは膨らんでいった。
そして、ついに。
顔を隠すように俯く母に、俺はその思いをぶつけてしまった。
「嘘つき」
「さーて、ビールビール」
揚げ油の始末は後で考えることにして、俺は皿を片手にもち、口に箸を咥えて冷蔵庫へと向かう。缶ビールを取り出して、食卓へ。
ぷしゅっ
「いっただっきまーす」
まずはビールを一口飲んで、それからうまそうに揚がったそれを、口に運ぶ。
初めて作った料理だ。ちょっとドキドキする。
カリッとした衣と、柔らかなた歯応え、口の中ではねまわる熱々の……
思わず、笑ってしまう。
「肉じゃねえなあ」
噛み、味わい、また、言う。
「うん、肉じゃねえわ、これは」
こんなものをずっと、鳥の唐揚げだと偽って、子供たちに食わせていたのか。
こんなものを、幼い俺たちは、うまいうまいと食っていたのか。
あの日、外で本当の鳥の唐揚げを食べさせてもらってそのことに気がついた俺に、何一つ言い訳をしなかった母の姿が、脳裏に蘇る。
それからも、母の代用唐揚げは食卓に登り続けた。俺にも兄弟たちにそれを告げない程度の分別はあった。だが、俺は頑なに、それを口にすることを、拒絶するようになっていた。
こんなのニセモノだ。
こんなニセモノ、食べるもんか。
もう騙されるもんか。
そう思ってただご飯と味噌汁だけを食べて食卓を離れる俺を、悲しそうに見守っていた母。
今になって、それが食べたくなるなんてな。
「……まあ、でも……美味い、よな」
つぶやいて、ビールを一口。
失った日々を惜しむように、視界が滲んだ。