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忘れ物を取りに

こんにちは。高校5年生です。

今朝、家の固定電話に弟から電話がありました。電話に出たのは母です。応答から察するに、「忘れ物をしたから、昼12時半に高校まで届けに来て欲しい」という内容でした。
母は「あー、12時半でいいの?はいはい、また後でね」と二つ返事で了承し、電話を切りました。

「忘れ物」という言葉を聞いて、胸の奥の古傷が久しぶりに痛みました。

私の母は、忘れ物を絶対に届けない人でした。「忘れ物をしたのは自分のせい、だから気づいても絶対に届けない」と言っておりました。私が小学校に向け家を出た後で上靴袋や体操服袋を玄関に置いているのを見つけても、水筒を置いたまま靴を履こうとしているのを知っていても、届けませんでしたし「忘れているよ」と声をかけることもありませんでした。忘れ物をした日、家に帰ってくると母がニヤニヤして「あんた玄関に○○忘れていっただろ。あー、忘れてんな~どうするんだろ~と思って」(方言を標準語に変えております)と嬉しそうにしているのがお決まりでした。リビングにベランダが面していて、ベランダに面した道路が私が通る通学路なので、「気づいているならベランダから言ってくれたら良いのに」と思っておりました。それにしてもなぜ母は、私が忘れ物をすると嬉しそうだったのでしょう。

登校途中に忘れ物に気づけば取りに帰りましたが、そうでなければ自分で対処するしかありません。傘を忘れれば、濡れながら帰りました。親御さんに教科書や給食袋を届けてもらい、忘れ物を回避している周りのクラスメイトを見て、「本当なら彼らも私と同じように先生に叱られに行くはずなのに、私は叱られに行って彼らは何も言われない。いいなぁ」と羨ましがっておりました。
しかし、「忘れ物をしたのは自分のせい、だから気づいても絶対に届けない」という母の方針は、その通りなので納得しておりました。

その気持ちが揺らいだのは、小学6年生のときです。
1年生になり、弟が私と同じ小学校に入学しました。4月のある日、雨が降りました。私は雨が降ると新聞の天気予報欄で見ていたので、傘を持って行きました。しかし弟は持って行きませんでした。すると母が、小学校に弟の傘を届けたのです。

そのときの衝撃は忘れられません。何があっても絶対に私の忘れ物に関与してこなかった母が、傘を届けるためだけに自主的に小学校に来たのです。10年経った今も信じられません。

私は母に理由を尋ねました。なぜ届けたのか、そして私の忘れ物はなぜ届けなかったのか。
「小1だから」「あんたは6年だから自分でやるのが当たり前」と年齢差を理由にされたと思います。「ではなぜ私が1年生だったときは届けなかったのか」とさらに質問したでしょうが、納得のいく答えは返ってこなかったのでしょう。もし納得のいく答えが返ってきたなら、私は大学4年生になった今も忘れ物問題を引きずるようなことはしません。

それから母は相変わらず私の忘れ物には関与しませんでしたが、弟の忘れ物はその都度届けておりました。何度、「上履き忘れてるよ!!」「給食袋持った?!!」「お弁当入れたの?!!」と玄関やベランダで叫ぶ母を見たことでしょう。玄関を飛び出して行った弟を、走って追いかける母も幾度となく見ました。母はいつも通り年齢差を理由にしましたが、弟が小学校を卒業して中学生になっても、中学校を卒業して高校生になっても弟の忘れ物をフォローし続けました。私だったらそんなことをしても無駄だと電話すらかけませんが、弟は忘れ物に気づくとすぐ学校の公衆電話から電話をかけてきます。当たり前のように届けてもらえると分かっているところが余計に憎たらしく思えてきます。

徒歩2分足らずの小学校に通う私の忘れ物は届けず、高校2年生の弟の忘れ物は電車を乗り継いで届けに行く母。もはや年齢差は理由になりません。今更ながら、忘れ物を届けてもらえないことが不満なのではなく、姉弟間で差がついていることが悔しかったのだと感じました。
姉弟間で差がついていることは忘れ物に限らずたくさんあるのですが、忘れ物のことを思い出すと今でも切ない気持ちになります。

以上、「忘れ物を取りに」でした。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。

また、次の投稿でお会いしましょう!