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22歳、春の別れの本当の痛みを知る

こんにちは。高校5年生です。

3月最終週、祖父母の家に行って来ました。3月の初めに顔を見せたので、もう春休みには行かないつもりでしたが、私が地元を離れるということで祖母から「もう1回おいで」と連絡がきて、行くことになりました。

通勤ラッシュ真っ只中に家を出て、向かいました。最寄り駅まで祖母が迎えに来てくれました。
家に着くと、恒例のお土産開封タイムがあります。私が抱えてきた鞄を開け、1つ1つお土産が入った袋を出しては開ける時間です。どれも喜んでもらいました。祖父は持ってきたパンを特に珍しがり、一気に5個食べておりました。1個1個、結構大きかったのですが。

紅茶を淹れ、祖母と4月からの生活について話しました。着いてから買った方が良い物、手荷物に入れて行くべき物を教えてもらいました。
その間、「そういえば買ったからあげようか」とスニーカーを履かせてもらったり、「こういうの持って行くとすぐ食べられるから」とフライパンだけで調理できるミールキットをもらったりしました。

続いて近所のスーパーに出掛け、お昼ごはんを買いました。お刺身のパックを2つ買ってもらったのに、お弁当のコーナーでちらし寿司を見かけると、それも追加してもらいました。あまおう(苺)やアイスも一緒に購入し、帰って食べました。お昼から贅沢でした。

その後、家を離れてタクシーで近隣の商業施設に行き、衣料品や化粧品などのお買い物を済ませ、最寄り駅から自宅に戻りました。

印象的だった点は2つあります。
1つ目は、4月からの生活について話しているときに祖母が「いなくなると思ったら悲しくなるね」と言って泣いていたことです。祖母が泣いている姿を見たことがなかったので、びっくりして私も泣いてしまいました。

2ヶ月研修に行くだけで、ある程度の私物と住民票は実家に置いて行きますし、5月末に戻ってくるので、それまではさほど実家を離れることの重みを感じておりませんでした。けれども祖母の涙を見て、私は今から大きなことをやろうとしているんだと気づかされました。

思い返せば生まれ故郷で就職し、何十年も地元を大きく離れたことがない祖母は、私が遠くで就職したがっていることにうっすら反対しておりました。内定をもらっても就活を続けていた私に、「そこそこで(就活を)止めなさい、どこも一緒だから」と電話がきたこともあります。
大学進学の際も「○○ちゃん(私)は地元の女子大ね」と言っておりました(残念ながら地元の女子大は不合格でした)。
祖母にとって、私が選んだ『地元を出て就職する』という選択肢は予想外だったことでしょう。
それでも何かマイナスなことを言うわけでもなく、心配しながら送り出してくれることに、どこか申し訳なく、ありがたく思いました。

2つ目は、帰りの電車に乗るために改札を通った後、いきなりぶわーっと涙が溢れてきたことです。
帰りは祖母が改札を通る前まで送ってくれました。いつもと変わらず、「そろそろ電車が来るから行きな」という言葉を合図に、握手して別れました。改札を通過し、笑顔で手を振ったはずなのに、階段を上がっていたら涙が勢い良く出てきました。自分でもびっくりです。

3月の初めに来たときは「東京に行くまでにここに来るのは最後だな」と別れが名残惜しかったです。けれども、楽しみなイベントが先に控えていたからか、こんな気持ちにはなりませんでした。
今回、こんなに悲しくなるということは私はしばらくここに戻ってこないのかもしれない……と予感めいたものまで感じました。

春は出会いと別れの季節。春の別れは珍しくなく、何度も経験してきたはずなのに、その本当の痛みを知った気がします。
ちょっぴり塩辛く始まった春は、4月を過ぎてどんな色に染まるのでしょうか。

以上、「22歳、春の別れの本当の痛みを知る」でした。
最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
次の投稿でお会いしましょう!