地方大学4年生、東京への憧れを思い出す
こんにちは。高校5年生です。
投稿順が合っていれば807回目の更新で、東京に遊びに行ったことを書きました。手帳をわざわざ引っ張り出して数えたくないので回数は出しませんが、新しい地域に出向いても写真を撮らなくなるほど東京に慣れました。
東京は、10年前の私にとっては憧れの地でした。家族が「ここは田舎だね」とよく言っているのを聞いていたからか、「地元は田舎なんだ、東京は首都だからもっと都会なんだ」と認識したのです。当時の私はテレビもラジオも触れる環境になかったので、東京について何も知らないまま、ただただ憧ればかりが強まっていきました。小学校の卒業文集だか寄せ書きだか忘れましたが、どこかで将来の夢を書くときに「東京に行く」と書いた覚えがあります。今となっては何だそれ!ですが。
初めて東京を訪れたのは高校時代の研修です。有名大学のキャンパスと企業訪問が目的だったため、どこへ行っても今では絶対に入れないような建物・部屋に学校の名前を使って入れてもらいました。本当にどこを訪問しても圧倒される場所だったので、私の東京への憧れはますます強まりました。
最初に東京に出られるチャンスは大学受験だと思っておりました。しかし、家族は私を地元外に出すつもりは一切なく、私自身も外に出ることを許されるほど成績優秀ではなかったので、実家から出ることは叶いませんでした。
「次のチャンスは就職、これで決めなければ私は一生地元から出られない」と考えた私は、本社が東京にある企業さんや全国展開している企業さんを中心に就職活動を展開しました。オンライン選考が既に確立されていた時期だったことが、それを後押ししました。
しかしここで、私の憧れが変化するきっかけがありました。それは、選考で東京を訪れたことです。
誰もが名前を知る大企業の本社は大抵アクセスの良い場所にありましたが、中には知名度の高い企業さんでも本社は住宅街の中ということがありました。住宅街といっても、駅から歩いて行ける範囲ですし、大きな道路もあります。
これまで観光客が降りるような駅ばかり降りてきた私は、初めて東京に住む人がメインで利用するような駅で降りる経験をして、その庶民的な街並みにひどく驚きました。
「え、ここ都内だよね?」
道路の大きさも、並ぶお店のラインナップも、ところどころ目が離せなくなるほど古いお家が建っているところも、地元と変わらなかったのです。場所によっては「うちの近所の方が都会じゃない?」と感じることも多々ありました。決して端っこの地域ではなく、よく聞く東京の地名が標識に書かれており、「都会っぽい場所って、ほんのちょっとなんだ」と衝撃を受けました。
今は関東ローカルの番組がリアルタイムで見られることと、東京で行われるイベントに参加しやすいことの2点だけが、東京への憧れポイントです。住んだことがないのに判断して良いものか分かりませんが、少なくとも今の私にはこの2点以外で東京に惹かれる理由はありません。
最近はTVerで配信を観ることができ、1点目の問題は解決しつつあります。となると、イベントに参加するための時間的余裕と金銭的余裕さえクリアすれば、私は東京に住む理由がないといえます。お昼の6時間をイベントに費やせば朝早くから日付が変わりそうな夜まで1日潰れ、費用を抑えても万単位でポンポンお金がとんでいくことだけが、私を“東京に住みたい”という夢に誘うのです。
「今日は午前中で授業終わるから、午後からライブ行っちゃお♪」という大学生のツイートを見て、何度歯を食いしばったことでしょう。「ライブチケット1000円!安い!」という意見を見て、「チケットは安いけど下手すりゃ飛行機は片道5万超えるよ……」と何度肩を落としたことでしょう。この悔しさは、地方に住んでいなければ体感できません。
今の私にとってのベストは、経済的にも時間にも余裕ができる仕事をしながら、地元で暮らすことなのかもしれません。地元に残りたいというこだわりは一切なく、むしろ違う土地に住んでみたい気持ちがあるのですが、何だかんだ言って私の地元は“ちょうど良い都会”で住みやすいです。他県から移り住んできた人達もそう言っている声を聞くので、住みやすさは私だけに限った話ではないはずです。
ふわっと憧れの残る東京。その割に、さほど惹かれる点が多くない東京。私はいつしか、住むことがあるのでしょうか。今は想像もつきません。
以上、「地方大学4年生、東京への憧れを思い出す」でした。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
次の投稿でまた、お会いしましょう!