空の器26/おわりに
そういえば、空の器を、この胞状奇胎のレポを締めくくっていなかったと思い立って、書きに来ました。
胞状奇胎、今思えばいろんな人生の転機のはじまりになった出来事だったんだと思います。
そもそも妊娠を考えることもなかった。その前に結婚しようとも思っていなかった。
当時シェアハウスをしていたり、ふわっとした関係のなかでぬるっと生きていた。そこで気が付いて経過を見て見たら胞状奇胎と診断され、そこからは怒涛でした。
赤ちゃんに会えるかもしれないと、ワクワクした。
結婚もすることになった。
私の人生が大きく変わった。
転機のきっかけと表現したのは確かに結婚もあったし、それに加えて引っ越し。そして気分障害の悪化だ。もともと適応障害と診断されて経過を見ながら働いてきたのだったが、気が付いたら悪化していた。
当時の職場の人間関係も問題だったんだろうし、そもそも私のメンタルも限界だったんだろう。
感染症も広がって、部署内でもピリピリした空気があったような気もする。
自分に何ができるか、どう生きるか。
そう言うことを強制的に立ち止まって、自分と向き合って考える機会になったのは間違いなかった。
なので、正直な話をすると私は適応障害からうつに移行し、更に休職を続けている。まとまっているのか、これが伝わっているのか、私には自信がない。
それでも文字にしようと思ったのは、せっかくきっかけをもらったことに気が付いて、
経験したことで知ったことを、私は誰かにお伝えしておきたいと思ったからだ。
胞状奇胎。正直あまり認知度が高い病気ではないのかもしれない。だからこそ、ログにしっかり残る形で、この手記を残したいと思いました。
文章内では感情的になったり、コントロールができなかったり、いきなり詩的になったり、
一貫性がない文章になっていますが、あえて当時書いていた日記のようなものをそのまま表記しております。
読みにくいものかもしれませんが、これは胞状奇胎に出会ってからっぽの命を受け取って、空っぽの子宮になってしまった、私のお話でした。
現在はヒト絨毛性ゴナドトロピンの血中数値も上昇することもなく経過して、一年が経過しました。私は妊娠できるようになったよと診断していただきました。
1事例として参考にしていただけると幸いです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。