私が「もういいや夢追いかけよう、自分のために生きよう」と思ったのは27歳くらいだったのよね、っていうお話。
13歳で看護師になるしかないと決めたのは、確か以前書いたはず。
さてそこから、どうしてここまで来てしまったのか。
どこまで書いたか忘れてしまったし、おさらいする余裕もないのでここらで言いたいことを描き殴っていきたいと思う。
高校は普通科を選択。自転車で行きは15分、帰りは30分以上。
それまでの就学過程でよく言われていたことがある。
「あの子の周りにはお花が舞っている」
「マザーテレサのような子です」
「君がいるだけで回りが和む」
腑に落ちなかった評価を頂いておりました。
これはひとえに猫を被っていたから。どれだけ何を思っていても猫を通して接していたからだ。いじられようがなじられようが、へらへらしていたのが原因だろうと今なら思う。
それをひっぺがしてきちんと向き合ってくれたのは、高校の最後の担任だったと思う。多分、一人の人間としてみてくれていた。
授業中に何かを書いているのも、見破られたのは後にも先にも彼だけだ。
(バレてはいたんだろうが板書も取ってるし、授業態度は至って真面目。遅刻魔ではあるが授業は出るし、見た目も大人しい/当時は相当大人しかった)
彼は現代文の先生だった。「小説も書けるかも」という評価を頂けて、私は調子に乗った。そのままここまで来ている。あれが原動力になっていて、本当に素直にここまで来た。
働きながらでも好きなことはできる。そう信じて資格を取って、就職して。さて、ここからがきつかった。今振り返ると。
最初の夏に耳を壊し、一旦治るけど再発した。その時点で突発性難聴ではないと言われたようなもので、この厄介な体質はここで拾った。
就職して5年目、いろいろな環境の変化と、職場の(簡単に言えば多分いじめ的な)空気の悪さに、心身症を伴う適応障害を発症した。
(これは多分完治していない。ストレスと吐き気などが直結していて最悪な気分を持ったまま働くことになる。吐きながら働く、馬鹿みたいでしょ)
(とはいえ、お薬を飲みつつ結構マシになってるよ、安心してね)
吐き気は良い。吐けばマシになる。問題は脱毛だ。最高6割程度脱毛してから、髪が抜けると円形になんてならない。まだらに抜けるのだ。隠しようがない。
余談だが今現在、私はツーブロックという髪型になっている。脱毛すればすぐにわかる。どうして短くしているのか。髪が長いときに抜けると結構衝撃なのだ。悲しくなる。だったら短くして「抜けんすよねえ」なんて言えた方が楽だ。対処も楽だしね。コロコロ。
よくあるでしょ、再現映像とかで「手櫛で髪がごっそり」みたいなの。あれ、結構悲しいんですよねえ。
さて、当時何を考えていたか、
「このまま死んだように生きながら看護師として生きるか、看護師のくせに自死するかだ」
という視野が究極に狭くなっている選択肢しか見えなかった。
高校時代、たくさん見えていた可能性、重荷に感じる位の期待と、大人が叶えられなかった希望、そう言ったものは見えなくなっていた。すぐに潰えたものもあったし、見えなくなるものもあった。それでもすぐそばにあったはずなのに、何も見えなくなっていた。
そこで、やや強引に診療内科に受診し、休職し。全くよくならないので退職する運びになった。
退職すると、割とすんなり軽快した。その分、ゾンビのようになってしまった。心を、使い果たしたような状況だった。
それから少し回復して、「もういいや夢追いかけよう、自分のために生きよう。誰かのためじゃなくて自分のために、生きよう」とやんわり決めた。
じゃあこれからどうしよう。PCでいろいろ探して、ネットのクラウドソーシング等で生活費を稼ぎ、退職金と合わせて何とか食いつないだ。
当時の同居人はいわゆるヒモ状態で、ポンコツだったもので何の足しにもならず、ボロアパートでよく生きていたなあと今は思う。言うて今から数年前だ。たったの。恐ろしい話だし、結婚しなくて本当に良かったと思う。あのとき結婚していたら私は今の私ではなかったし、創作にもう一度向き合おうとは思えなかったと思うからだ。
良く生きてた私。よくちゃんと息してたわ。えらいぞー。
しかし、「生きにくい」のは変わらない。では私はそれを書くしかないと思った。コンビニのバイトを始めた。
最初は三時間から。週三日。それだけでも相当きつかった。半年ゾンビしていたのだ。そりゃあ厳しい。
それからゆっくり増やしていって、パート的な働き方になった。
色々あって、今の職場に至って。そこでも心身症が邪魔して休み休み。それでも一人として、ちょっとポンコツでもなんとかさせてくれている。ありがたい。
現在、20代を過ぎて振り返る。サバゲに返り咲いたり、バイクの免許とったり、創作に全力投球したり、writoneはじめてみたり、動画作ったり、そう言うこと全部。大人になってから始めた。どれもこれも、「当時うらやましかったけどできなかったこと」だ。
出来なくて後悔していたことを、大人になってやり直している。
「やりたいことをやっている明里かっこいい」といってくれる方もいます。ありがとうございます。でも、多分、そういう上手い感じじゃなかったんです。ただ、今我慢ならんと必死に時間を使っている感じです。
大人になって我慢できなくなりましたw
それでもいいやと思ってます。
後悔はいつでもしてしまう。それを肯定できるかどうか、そういう選択をしていきたいと思います。
間違ってても自分で決められたら「自分が悪かったなあ」って思える。反省して次に行ける。前に進める。
だから、自分で考えて勝ち取ってほしいと願う。