【大学入試紙面講義】2020年明治大・文 大問2A

共通テストが終わり、受験生の皆様はそろそろ近づいてきている私立入試が本格的に始まります。地域によっては2月中旬、3月まで続くところもありますが、日本史に限って言うならば、2月下旬までになると思います(ほとんどの私立大学で後期試験で日本史を課すところは少ないため)。そこで、2月中旬まで、大学入試紙面講義は私立対策の正誤問題を中心に解説をしたいと思います。問題の中心は関関同立・GMARCH、早慶を中心にアップしますが、産近甲龍や日東駒専当たりの中堅大学も問題によってはアップすることになります。
本日は、明治大学の文学部の問題を扱います。全てを扱うわけではないのですが、空欄補充など少し難語も出てくる問題もあります。今回はその話も少しできれば、と思います。
受験生応援企画として、無料公開とします。その大学を受験しないといっても、アプローチ法などで近いものがありましたら、ぜひ参考にして取り入れていただけると幸いです。

問題については、赤本(教学社)、「全国大学入試問題正解」(旺文社)、リセマムサイト(無料会員が必要)、東進過去問データ(無料会員が必要)、などから取っていただけると幸いです。

■問題の概略

A問題のみを扱いますが、今回は鎌倉時代の日中外交史が中心です。それに合わせて土地制度も関係して出題をしています。後半でテーマ史の関連性について話したいと思います(テーマの関連性については代ゼミの土屋文明先生がかなり意識されています)。そして、明治大学の正誤問題の特徴としては、正誤文が非常に長いです。そのため、どこで誤文の根拠になるか、を正確につかまなければいけません。一問一答形式の問題は確実に点数を取りたいところですが、マーク形式の場合は5択がほとんどです。選択肢をきちんと絞ることが大事となります。

■解説

それでは、解説を行いましょう。

1 空欄aに当てはまる語句として正しいものを、次の➀~⑤のうちから一つ選べ。
~遠隔地間の取引には金銭の輸送を手形で代用する( a )が用いられるなどした。
➀割符 ②頼母子 ③過所 ④勘合符 ⑤銭札

この問題は遠隔地間の取引に手形で代用するものが何か、というものがわかれば簡単です。考えられるのは割符か為替ですが、為替は割符を為替手形で決済する制度です(今回は選択肢にない)。よって、➀の割符が正解となります。④は室町時代に日明貿易のときに使われた正式な貿易船に渡される合い札です。⑤は江戸時代の藩札の種類です。②は金融方式です。
恐らく、聞き慣れない言葉が③ですが、わからない場合は保留でいいです(関所通貨のための許可書・免除証のこと)。ここで聞いたことがないから○っぽいな、×っぽいなとするのはよくありません

2 空欄bに当てはまる語句として正しいものを、次の➀~⑤のうちから一つ選べ。
~しかし、名子などの作人から名主へ納める加徴米の一種である( b )については現物納であったと考えられる。
➀年貢 ②兵粮米 ③公事 ④加地子 ⑤夫役

今回の問題は加徴米、現物納をヒントに答えを考えていきましょう。年貢・公事・夫役は官物・臨時雑役のため、削除できます。兵粮米は兵士の食料や軍事費として農民に課された米です。よって、残った④加地子が正解となります。加地子は作人が名主に納める小作料です。名主が荘園領主や国衙に納めるのが地子といいます。厳密にいうと年貢は、荘官や地頭が、名主から年ごとに徴収するものです。

3 下線部ア(各地の港)について、鎌倉時代の湾港の説明として正しいものを、次の➀~⑤のうちから一つ選べ。
➀朝比奈切通で鎌倉と結ばれていた六浦は、自然島のため荷積み荷下ろしに不便であった和賀江島に代わり鎌倉の内港として栄えた。
②音戸瀬戸を前身とする兵庫の港は、平安時代から繁栄しており、この港からの津料は源平合戦により焼失した興福寺復興に充てられ、その復興に尽力した重源が徴税を行った。
③北海道渡島半島の先端にある十三湊は、元々は奥州藤原氏が開港したとも伝えられるが、鎌倉時代には蝦夷管領となった武藤氏が幕府公認の水軍として活躍した。
④中世の東京湾において神奈川と並び重要な位置を占めていた品川の港は、紀伊方面の熊野三山関連の船などが活発に運航し、鎌倉幕府執権北条氏により直接支配され町人地と百姓地に区分されていた。
⑤幕府が置かれている鎌倉の内港には、材木などが陸揚げされていたと考えられ、ここの管理と津料の徴収は慈善救済事業を幅広く行っていた忍性以来、極楽寺の権限であった。

この問題は正誤判定が非常に難しいです。こういう正誤判定を行うときに場所・関係人物などが大体正誤判定になることが多いです。
すぐに誤文と判定できるのは、②と③です。②の兵庫の港が音戸瀬戸の前身は、地理的に明らかに矛盾するし、③の十三湊は渡島半島の先端ではなく、青森県にあることが分かれば、すぐに判定できます。⑤ですが、忍性は戒律復興に努めて、鎌倉極楽寺の中興となりました。そして、慈善事業を行い、土木事業にも力を入れていた、とあるので、これは正文となります。よって、正解は⑤です。
「新日本史」(山川)では、「当時の年貢は米だけでなく、東国の絹や絹布、瀬戸内海の塩をはじめ、材木・油・漆などその地の特産物であることが少なくなかった」とあります。
では、気になる残りの➀と④ですが、➀については、「詳説日本史図録」(山川)などに載っています。和賀江島は、遠浅で波が荒かったため、入船に困難を伴った材木座海岸に築造された施設で、物資の搬入を容易にするために築かれました。また、六浦は内港ではなく外港です。以上から誤文となります。なお、和賀江島は管理を極楽寺が行いました(これが⑤を正文にする根拠にもなる)。④については正直正文とも誤文とも判断は難しいです。品川の港は確かに鎌倉時代にはありましたが、正誤文にあることが行われたのは室町時代になってからです。よって、これは時期相違ということで誤文にしないといけません。

この話は明治大学文学部に高橋一樹教授がいらっしゃいます(鎌倉幕府も専攻されています)。つまり、教授陣の専攻に関する問題が出ることも否定はできないので、受験される際は参考にしてください。

4 下線部イ(平氏政権の時代から続く宋との貿易)について、日本へ輸入された宋代の書物のうち、平清盛も手に入れたとされる類書(百科事典)を、次の➀~⑤のうちから一つ選べ。
➀大蔵経 ②唐詩選 ③太平御覧 ④貞観政要 ⑤楽毅論

 これも難問です。この中で辛うじて分かる選択肢は⑤です。これは王羲之の書に倣って書写した天平文化の作品です。④は、北条泰時や時頼が愛読した問答集です。これの消去ができたら、➀と②も何となくですが消去は可能です。なぜなら、唐詩選は唐詩の作品をまとめたもの、大蔵経は仏教聖典の総称のため、残った③が百科事典となります。これは非常に難しく、用語集にも載っていません(ただし、「詳説日本史研究」(山川出版社)には宋との貿易品で太平御覧が書かれています)。その場合は、日本史辞典などで調べる必要がありますが、最低でも④と⑤は消去できれば選択肢を絞ることは可能です。

5 下線部ウ(文永の役・弘安の役)について、文永の役・弘安の駅に関する説明として正しいものを、次の➀~⑤のうちから一つ選べ。
➀元の襲来後、鎌倉幕府によって九州における軍事的御家人統率および訴訟裁断を目的として、筑前国博多に鎮西探題の代わりに新たな統治機構として鎮西奉行を置いた。
②弘安の役後、元のフビライは再度日本へ張良弼を使節として日本へ渡航するが、8代執権北条時宗は使節を鎌倉に連行し、龍ノ口の刑場にて斬首に処した。
③元は日本侵攻前に高麗を服属させたが、高麗王朝の軍事組織の三別抄が珍島や済州島にて抵抗運動を行い、日本へ遠征予定の部隊も投入しなければならなくなり、文永の役へ影響を与えたとされる。
④二度にわたる元の襲来の後、三度目の侵攻に備えるため九州北部の沿岸を中心に異国警固番役を初めて置き、九州の御家人・非御家人を問わず警備につかせた。
⑤元の襲来に際し、後深草上皇は太宰府天満宮へ異国調伏祈禱を命じ、安芸・筑前国の官物をあてるとともに、「敵国降伏」の四字が書かれた宸筆も寄進し、扁額として神門に掲げられた。

➀は鎮西探題と鎮西奉行が逆です。鎮西奉行が先で、その後鎮西探題が置かれました。②は弘安の役ではなく文永の役の後です。張良弼(ちょうりょうひつ)を知らなくても判定はできますが、内容については教科書には載っています。よって、誤文です。なお、張良弼は文永の役の前の使節で、文永の役のあとに来た使節は杜世忠です。この理由で誤文とできる人はまずいません。しかし、早慶・立命館・同志社を受ける人は、関連知識で加えておくといいでしょう。③は正文で、三別抄の乱の話です(鎮圧は1273年)。その結果、本来はすぐに日本に侵攻する予定が1274年にずれ込んだため、幕府軍に猶予を与えてしまったのです(この記述については「日本史B新訂版」(実教出版)に載っています)。④は異国警固番役が初めて設置されたのは1271年で文永の役の前です。「異国警固番役設置→文永の役→異国警固番役を課す→弘安の役」という順番はしっかりと押さえなければなりません。⑤は保留の選択肢ですが、上皇の即位の話が分かれば、この話は誤文となります。なぜなら、元の襲来時には後深草は上皇になっていないからです(上皇は1287~90年)。もし、元の襲来前後に上皇になっていたとするなら、父の後嵯峨上皇か亀山上皇ではないのか、ということが分かります。
ですが、深大寺を見ると、鎌倉幕府が全国の寺社に異国調伏祈禱を命じた、とあります。となると、天皇が命じた、自体が誤文となります。その簡単な解説は下記のサイトを参照ください。正解は③です。

■GMARCH以上のレベルは教科書レベルだけでは対応不可?

この話の結論は僕はNOといいます。早稲田大学の入試問題でもほとんどが教科書の範囲で巧みに問題を作っています(ここでいう教科書は「詳説日本史B」(山川出版社)をさす)。ですが、今回の明治の問題は問3~5は教科書の範囲を超えていました(といっても、問5は明らかな正文が選べるので、そこまでではないですが)。日本史は8割以上は基本・標準問題で構成されています(残りの2割くらいで難問や奇問が出る)ので、この8割を確実に取れるように練習してください
では、教科書範囲で載っていない問題などが出た場合、どうすればいいのか?
まずは、保留にする選択肢は思い切って保留にすればいいです。残りの選択肢で正文・誤文の判定ができればいいです。そして、誤文は誤りの箇所が1つとは限りません。2つ以上あることもあるので、演習後の復習時にしっかりと正文に直すトレーニングはしておいてください。
次に、教科書以外のものを使って調べる習慣も付けてください。ですが、闇雲に調べるだけでは意味がありませんので、必ず現場の先生に相談することです。用語集や辞書(最近はネット辞書も活用できます)を使うのもいいですし、別の教科書の記述を調べるのもいいと思います。僕は今回それらに加えて、「詳説日本史研究」(山川出版社)などを活用しました。今回の問題では意外と記載があったため、参考にさせていただきました(もちろん、自分のノートやテキストなどに新たに書き加えることもします)。
最後に、過去問で過去に出題されているか、を確認してください。例えば、立命館については別日程などで同じような形で出題されていることもあります(両側町やくにのあゆみなどは繰り返し出題されている)ので、自分の受験校・受験学部の過去問だけでなく、別学部や形式の近い大学の過去問なども演習用として活用してほしいと思います。もちろん、新形式になることも想定されるため、色々な事態には対応できるように土台をしっかりと固めてください。

正誤問題においては、保留にしたとしても、明らかな×は選べます。そのことも意識して残りの期間でしっかりと仕上げてください。

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中学社会・日本史講師吉野@予備校講師
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