【大学入試紙面講義】共通テスト施行調査第2回 大問6 A・B

今日は水曜日なので、日本史の紙面講義を行いたいと思います。今回は共通テスト施行調査第2回の問題を取り上げたいと思います。

■問題

Aさんの発表
問1 発表に備えてAさんは下線部ⓐ(夏目漱石)について調べた。この人物の説明として最も適当なものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(29)
➀ 民権論や国権論の高まりの中で、政治小説を著述した。
② 近代化が進む中で、知識人の内面を国家・社会の関係で捉えた。
③ 都会的感覚と西洋的教養をもとに、人道主義的な文学を確立した。
④ 社会主義運動の高揚に伴って、階級理論に基づいた作品を残した。
問2 Aさんの発表をきっかけに、クラス内で下線部ⓑ(日露戦争後の日本人の意識の変化)の捉え方について再度調べてみることになった。その結果、次の甲・乙の二つがあることがわかった。甲・乙とそれぞれの根拠として考えられる歴史的なできごとア~エの組合せとして最も適当なものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(30)
 甲 戦争に勝利して、明治維新以来の課題が克服され、日本も近代的な国家になったという意識が大きくなった。
 乙 莫大な対外債務を背負い、重税にあえいでいる民衆は、戦争の成果に満足せず、政治への批判的意識が高まった。
 ア 農村では旧暦も併用されるなど、従来と変わらない生活が続いていた。
 イ 八幡製鉄所の経営が安定し、造船技術が世界的水準となるなど重工業が発達した。
 ウ 戊申詔書を発布して、国民に勤労と倹約を奨励し、国民道徳の強化に努めた。
 エ 新聞・雑誌などが激しく政府を批判したので、新聞紙条例を発布して取り締まった。
➀ 甲ーア 乙ーウ ② 甲ーア 乙ーエ ③ 甲ーイ 乙ーウ
④ 甲ーイ 乙ーエ
Bさんの発表
~いわゆる「憲政の常道」を支える基盤を作ったと考えたからです。この時期に( X )ことを背景にして、新聞や総合雑誌の発行部数の急激な増加、円本の発刊など、~
問3 Bさんの発表の空欄( X )に入る文として最も適当なものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(31)
➀ 小学校教育の普及が図られ、就学率が徐々に上昇した
② 啓蒙思想の影響で欧化主義などの傾向が現れた
③ 洋装やカレーライスなどの洋風生活が普及した
④ 中等教育が普及し、高等教育機関が拡充された
問4 Bさんの発表に対して、下線部ⓒ(吉野作造が唱えた民本主義を人々に広げ)を転換の理由とすることに疑問が出された。そこでBさんがさらに調べたところ、吉野の理論について、現在の日本国憲法の基本原理と比較すると時代的な限界があることがわかった。その時代的な限界を示す吉野の言葉の要約を、次の➀~④のうちから一つ選べ。(32)
➀ 民本主義は、国民主権を意味する民主主義とは異なるものである。
② 民本主義は、日本語としては極めて新しい用例である。
③ 民本主義は、政権運用の方針の決定が民衆の意向によるということである。
④ 民本主義は、民衆の利益や幸福を求めるものである。

■解説

では、さっそく解説していきましょう。

問1 発表に備えてAさんは下線部ⓐ(夏目漱石)について調べた。この人物の説明として最も適当なものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(29)
➀ 民権論や国権論の高まりの中で、政治小説を著述した。
② 近代化が進む中で、知識人の内面を国家・社会の関係で捉えた。
③ 都会的感覚と西洋的教養をもとに、人道主義的な文学を確立した。
④ 社会主義運動の高揚に伴って、階級理論に基づいた作品を残した。

この問題ですが、夏目漱石の背景知識が分かれば簡単です。夏目漱石は反自然主義の時期(明治後期)の作家です(細かく分類すると高踏派の作家になります)。となると、説明文が反自然主義の説明であれば正解になります。
➀は政治小説に注目してください。この時期の活躍した作家は矢野竜溪、東海散士などがいます。政治小説は明治初期の作風ですので時期が合いません。②は近代化が進む、から明治後期であることは判定できます。内容が分からない場合は保留してもいいです。③は人道主義的な文学白樺派の説明です。時期的には明治後期から大正初期です。そのため、反自然主義の説明と合致しないので誤りです。④は社会主義運動の高陽から社会主義や共産主義が活発になったのは大正から昭和初期のできごとです。となるとこの説明はプロレタリア文学の説明です。よって、保留にした②は反自然主義の説明です。よって、正解は②です。

問2 Aさんの発表をきっかけに、クラス内で下線部ⓑ(日露戦争後の日本人の意識の変化)の捉え方について再度調べてみることになった。その結果、次の甲・乙の二つがあることがわかった。甲・乙とそれぞれの根拠として考えられる歴史的なできごとア~エの組合せとして最も適当なものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(30)
 甲 戦争に勝利して、明治維新以来の課題が克服され、日本も近代的な国家になったという意識が大きくなった。
 乙 莫大な対外債務を背負い、重税にあえいでいる民衆は、戦争の成果に満足せず、政治への批判的意識が高まった。
 ア 農村では旧暦も併用されるなど、従来と変わらない生活が続いていた。
 イ 八幡製鉄所の経営が安定し、造船技術が世界的水準となるなど重工業が発達した。
 ウ 戊申詔書を発布して、国民に勤労と倹約を奨励し、国民道徳の強化に努めた。
 エ 新聞・雑誌などが激しく政府を批判したので、新聞紙条例を発布して取り締まった。
➀ 甲ーア 乙ーウ ② 甲ーア 乙ーエ ③ 甲ーイ 乙ーウ
④ 甲ーイ 乙ーエ

次は日露戦争後の日本です。この話は言うほど迷うことはないはずなのですが……
甲の正しい選択肢ですが、アの旧暦の併用ですが、山川の詳説日本史には掲載があります。ただ、これだけだと日露戦争前後の話の論拠としては判定不能です。イは八幡製鉄所の操業が1901年で、その運営が安定したとなるなら日露戦争後と判定できます。日本は日清・日露戦争の勝利で国際的地位を高め、不平等条約の改正につながります。
乙の正しい選択肢ですが、これは歴史名辞で勝負がつきます。エの新聞紙条例が発布されたのは1875年、ウの戊申詔書は1908年です。戊申詔書が発布された背景として、戦争に勝利し酔いしれた国民の引き締めを図ること、個人主義の考えを是正させることなどで国民道徳の強化を行ったのです。
よって、正解は甲ーイ、乙ーウの③になります。

~いわゆる「憲政の常道」を支える基盤を作ったと考えたからです。この時期に( X )ことを背景にして、新聞や総合雑誌の発行部数の急激な増加、円本の発刊など、~
問3 Bさんの発表の空欄( X )に入る文として最も適当なものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(31)
➀ 小学校教育の普及が図られ、就学率が徐々に上昇した
② 啓蒙思想の影響で欧化主義などの傾向が現れた
③ 洋装やカレーライスなどの洋風生活が普及した
④ 中等教育が普及し、高等教育機関が拡充された

これも、時期判定からありえない内容を消去していく方が絞りやすいです。
( X )の前後に「憲政の常道」とあります。これは政党政治を行っていた1925~32年までの様子とわかります。つまり、大正から昭和初期にかけての説明であれば正解です。これは少し迷う選択肢もあります。新聞や雑誌の部数が増えたことと関係しておかないと空欄に入れることはできません。
➀は明治期の話です。1910年には小学校の就学率はほぼ100%に近づいています。②欧化主義は1870年代に井上馨外務卿の行った政策です。ここで、残りの③・④に絞ります。後半部分に関係のある記述は④です。③も確かに大正期と思いますが、それと新聞や雑誌の発行部数が増える話は関係性が薄いです。高等学校などに行った人が増えるなら、文字を読むことができることから新聞や雑誌を購読する人も増えるでしょう。そのため、関係性が③と比べると高いため、これを正答とします。
よって、正解は④です。

問4 Bさんの発表に対して、下線部ⓒ(吉野作造が唱えた民本主義を人々に広げ)を転換の理由とすることに疑問が出された。そこでBさんがさらに調べたところ、吉野の理論について、現在の日本国憲法の基本原理と比較すると時代的な限界があることがわかった。その時代的な限界を示す吉野の言葉の要約を、次の➀~④のうちから一つ選べ。(32)
➀ 民本主義は、国民主権を意味する民主主義とは異なるものである。
② 民本主義は、日本語としては極めて新しい用例である。
③ 民本主義は、政権運用の方針の決定が民衆の意向によるということである。
④ 民本主義は、民衆の利益や幸福を求めるものである。

もう一つはこの問題です。民本主義の解釈ですが、ヒントとして日本国憲法の基本原理とあるので、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義のどれかが大日本帝国憲法期では触れられていないことから判断するのが攻略の近道になります。この問題は史料の内容も判定材料になります。
この話は恐らく「中央公論」にある大正デモクラシーの史料説明にあります。その内容を見ても、かつては民主主義という語を用いていたとあります。しかし、民本主義という新語を用いた(選択肢の②に該当)と冒頭にあります。そして、民主主義というと「国家の主権は人民にあり」という危険な学説と混同されやすい、とあるように民主主義といわずに民本主義としたと説明しています。よって、この説明が限界がある、と判断できるため、正解は➀となります。
③と④については、「憲政の根底と為す所のものは、政治上一般民衆を重んじ、その間に貴賤上下の別を立てず、国体(国家体制)の君主制と共和政を問わず、普く通用するところの主義」とあるところから判定ができます。

■正答率

問1 29.2%でした。予想以上に正答率が低いのは、近代文学史の内容が十分に入っていないのが原因です。つまり、文化史は暗記、という誤った指導を受けている人は正答率が伸びなかった恐れはあります。文化史といっても関連知識は必要です。その証拠として、私立の文化史の入試はテーマとテーマの関連知識が必要となります。特に近現代は関連テーマを一緒に押さえないといけません。

問2 39.7%でした。これは甲のアの判断で迷ったか、新聞紙条例の発布時期が判定できなかったかです。新聞紙条例の発布と同じ年に讒謗律も制定されたことを知っていれば容易に判定できると思います。条例の発布については、時期・内容・目的も合わせて押さえないと、この部分が正誤判定の材料となることがあります

問3 23.1%でした。恐らく③で引っかかったか➀の就学率に引っ張られたのかのどちらかの誤答があったかもしれません。④の大学令を知らなくても消去法で解くことはできますが……内容は知っておいてください。

問4 55.1%でした。これは上位校を受ける予定の人とそうでない人の差が広がると思います。つまり、こういった問題は落とすと点差がついてしまいます。民本主義の史料の内容と日本国憲法の基本原理がどこまで使えるレベルになっているかで大きく正答率が分かれると思います。

■僕が初見問題を解くときは

僕が初見問題を解くときには、使える知識がないかを考えます。そして、考察します。

例えば、2019年の歴史能力検定2級でこんな問題が出ました。
1906年に出版された作品の一部と1929年から連載が始まった作品の一部が資料として出され、➀田山花袋、②島崎藤村、③永井荷風、④谷崎潤一郎の中から選ぶ問題が出てました(実際は②と出せたが、深読みしすぎて➀にして誤答になった)。この作品の一部を知っている人はすぐに出せると思います。しかし、知らない人からするとどうアプローチするといいか、考えないといけません。

この問題を解くヒントは2つあります。1つは出版された時期、もう1つはわざわざ2つの作品を出す、という点です。となると、考えられるのは、時期が異なる2つの作品を出すなら、その作風も変わっている人を探せばいいため、②が正解となります(『若菜集』と『破戒』は作風が異なる)。本来ならこれで正答を出せたのですが、僕は時期に引っ張られすぎてしまい、そこで誤った判断をすることになりました(といっても、この年の検定試験は88/100で合格しています)。
僕でも時にはこういうミスをします。しっかりとした解き方の土台を固められたらこのようなミスはなくなります。微妙な選択肢を入れられると正しいのか誤りなのか、という判断が鈍ることになります。これは未知の問題であるほど正しい判断を微妙に狂わせることもあります。

そこで大事なのが、普段からの学習トレーニング量です。演習も大事ですが、覚えなければならない知識を確実に定着させる方法も大事です。それは正誤問題の正文、解説からでも学ぶことはできます。共通テストやセンター試験の過去問解説ではそういった解説が非常に充実しているため、周辺知識・関連知識・背景知識を十分に身に付けることができます。解説文が長いから読まない、ではもったいないです。

残り2か月後には共通テストが始まり、私立入試に突入します。最後の追い込みです。トレーニングの充実と知識の補完をしっかり行いましょう。解答を出すときには論拠も示す、誤文を正文に直すなど、意識して学習していきましょう。

いいなと思ったら応援しよう!

中学社会・日本史講師吉野@予備校講師
皆様のサポート、よろしくお願いいたします。