【大学入試紙面講義】2016年本試 大問2
今日は日本史の紙面講義です。古代史の問題ですが、初見史料に対してどうアプローチしていけばいいか、を話していきたいと思います。
今回も無料公開です。よろしくお願いいたします。
なお、実際の問題は大学入試センター、赤本類(黒本や青本でもよい)、東進の過去問データベースなどから取ってください。ただし、追試験については掲載のないものもありますので、気を付けてください。
■問題
A
問1 空欄( ア )( イ )に入る語句の組合せとして正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(7)
~城門を施した土器や、人間を模した造形の( ア )などとともに、漆製品は縄文時代の文化を代表する。
奈良時代には、漆を用いた乾漆の技法によって多くの仏像がつくられた。( イ )はその一例である。~
➀ ア 土偶 イ 法隆寺救世観音像
② ア 土偶 イ 東大寺法華堂不空羂索観音像
③ ア 埴輪 イ 法隆寺救世観音像
④ ア 埴輪 イ 東大寺法華堂不空羂索観音像
問2 下線部ⓐ(漆液の染みこんだ文章は漆紙文書とよばれ、古代史研究の貴重な史料である)に関連して、多賀城跡から出土した次の史料(漆紙文書)に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(8)
史料 多賀城跡出土の計帳の一部
猿売 年
門長 年廿歳
部百継 年廿ニ歳
根得戸別項
口一人
部 継刀自売 年廿
※猿売:人名、名前の末尾に「売」がつくのは女性
※別項:戸の人数に変動があったことを示す記載
X 「猿売」は女性なので、調・庸を負担しなかった。
Y 計帳を使った支配は、東北地方にまでおよんでいた。
➀ X:正 Y:正 ② X:正 Y:誤 ③ X:誤 Y:正 ④ X:誤 Y:誤
問3 下線部ⓑ(藤原氏の氏長者)に関連して、平安時代の藤原氏について述べた文として正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(9)
➀ 冬嗣は桓武天皇から蔵人頭に任じられ、のちの摂関家の基礎を築いた。
② 良房は他氏を退けるとともに、臣下で初めて摂政の任についた。
③ 忠平は醍醐・村上両天皇の摂政・関白となって実権を握った。
④ 頼長は源義朝と結んで平治の乱をおこしたが、平氏に討たれた。
B
問4 下線部ⓒ(アジアに広がる香の交易)に関連して、奈良時代の貴族らが、来日した新羅の使節団から購入しようとした品目を書き上げた次の史料に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(10)
史料
合わせて23種(中略)
薫陸 15斤 人参 4斤 呵梨勒 200顆(中略)
用意した代価は綿500斤、糸30斤
以上、購入したい新羅物と用意した代価などは、上記のとおりです。謹んで申し上げます。 天平勝宝4(752)年6月23日
※薫陸:薫陸香。インド等原産の香料
※斤:重さの単位
※人参:朝鮮半島原産の薬物
※呵梨勒:東南アジア原産の薬物
※顆:個数を示す単位
※綿:真綿。繭から作られた綿
a 新羅は香の中継貿易を行っていた。
b 新羅とのこの交易の代価は、銭貨であった。
c この文章が作成されたころ、朝鮮半島では新羅・高句麗・百済が分立していた。
d この文章が作成されたころ、東大寺では大仏の開眼供養の儀式が行われていた。
➀ a・c ② a・d ③b・c ④ b・d
問5 下線部ⓓ(仏教)に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組み合わせとして正しいものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(11)
X 唐に渡って密教を学び、帰国後、天台宗の密教化を進めた。
Y 念仏による極楽往生の教えを説いた書で、源信(恵心僧都)が著した。
a 玄昉 b 円珍 c 『往生要集』 d 『日本往生極楽記』
➀ X-a Y-c ② X-a Y-d ③ X-b Y-c
④ X-b Y-d
問6 下線部ⓔ(九州の太宰府)に関連して、大宰府に関わる出来事に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の➀~⑥のうちから一つ選べ。(12)
Ⅰ 刀伊(女真族)が九州北部に来襲したが、大宰権帥の藤原隆家によって撃退された。
Ⅱ 政府は九州北部の要地を防衛するために、水城や大野城を築いた。
Ⅲ 右大臣の菅原道真は失脚し、大宰権帥に左遷されて任地で死去した。
➀ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
■解説
それでは解説に行きましょう。
問1 空欄( ア )( イ )に入る語句の組合せとして正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(7)
~城門を施した土器や、人間を模した造形の( ア )などとともに、漆製品は縄文時代の文化を代表する。
奈良時代には、漆を用いた乾漆の技法によって多くの仏像がつくられた。( イ )はその一例である。~
➀ ア 土偶 イ 法隆寺救世観音像
② ア 土偶 イ 東大寺法華堂不空羂索観音像
③ ア 埴輪 イ 法隆寺救世観音像
④ ア 埴輪 イ 東大寺法華堂不空羂索観音像
空欄補充問題は基本的には正答率は高い問題です。空欄の前後関係、選択肢にある歴史名辞にも着目すれば正解にたどり着くと思います。
アは縄文時代と書いているため、土偶を選択します。埴輪は古墳時代につくられたものです。イは奈良時代の代表的仏像を選べばいいので、東大寺法華堂不空羂索観音像です。救世観音像は飛鳥時代の仏像です。
よって、正解は②となります。
問2 下線部ⓐ(漆液の染みこんだ文章は漆紙文書とよばれ、古代史研究の貴重な史料である)に関連して、多賀城跡から出土した次の史料(漆紙文書)に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(8)
史料 多賀城跡出土の計帳の一部
猿売 年
門長 年廿歳
部百継 年廿ニ歳
根得戸別項
口一人
部 継刀自売 年廿
※猿売:人名、名前の末尾に「売」がつくのは女性
※別項:戸の人数に変動があったことを示す記載
X 「猿売」は女性なので、調・庸を負担しなかった。
Y 計帳を使った支配は、東北地方にまでおよんでいた。
➀ X:正 Y:正 ② X:正 Y:誤 ③ X:誤 Y:正 ④ X:誤 Y:誤
この問題は初見史料です。その時に攻略する糸口は、注をよく見ることです。あとは年代やリード文にもヒントが隠れていることがあるので、史料だけ見てはいけません。周辺の情報も判定材料になることがあります。
Xは注を読むと判定できます。あとは関連知識として租税制度の知識も必要になります。女性は調・庸の負担はありません。それが分かれば正文と判定できます。Yは多賀城に注目です。多賀城は宮城県にあった鎮守府です。となると、地形的に東北地方と判定できます。ヤマト政権の時代でも支配体制が東北地方にも及んでいる、ということが分かれば正文と判定はできます。
よって、正解は➀です。
問3 下線部ⓑ(藤原氏の氏長者)に関連して、平安時代の藤原氏について述べた文として正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(9)
➀ 冬嗣は桓武天皇から蔵人頭に任じられ、のちの摂関家の基礎を築いた。
② 良房は他氏を退けるとともに、臣下で初めて摂政の任についた。
③ 忠平は醍醐・村上両天皇の摂政・関白となって実権を握った。
④ 頼長は源義朝と結んで平治の乱をおこしたが、平氏に討たれた。
この問題はよく正誤文と学習した知識の照合を行ってください。➀は桓武天皇ではなく嵯峨天皇です。よって、誤りです。②は良房は臣下で初めて摂政についたのも正しい文です。よって、正解は②です。③は醍醐天皇・村上天皇は親政を行った関係で摂政・関白の位を置かなかったので誤りです。忠平は朱雀天皇のときに摂政・関白となり実権を握りました。④は頼長ではなく信頼です。頼長は保元の乱で敗死しています。というわけで、人物をひっくり返すだけでも正誤文は成立しますので、正しく知識をインプットしてください。
問4 下線部ⓒ(アジアに広がる香の交易)に関連して、奈良時代の貴族らが、来日した新羅の使節団から購入しようとした品目を書き上げた次の史料に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(10)
史料
合わせて23種(中略)
薫陸 15斤 人参 4斤 呵梨勒 200顆(中略)
用意した代価は綿500斤、糸30斤
以上、購入したい新羅物と用意した代価などは、上記のとおりです。謹んで申し上げます。 天平勝宝4(752)年6月23日
※薫陸:薫陸香。インド等原産の香料
※斤:重さの単位
※人参:朝鮮半島原産の薬物
※呵梨勒:東南アジア原産の薬物
※顆:個数を示す単位
※綿:真綿。繭から作られた綿
a 新羅は香の中継貿易を行っていた。
b 新羅とのこの交易の代価は、銭貨であった。
c この文章が作成されたころ、朝鮮半島では新羅・高句麗・百済が分立していた。
d この文章が作成されたころ、東大寺では大仏の開眼供養の儀式が行われていた。
➀ a・c ② a・d ③b・c ④ b・d
この問題も初見史料です。さっきと同じようにアプローチしましょう。
aは保留の選択肢です。ここから中継貿易を行っていたという話が分からなくても解答は出せます(もし、無理やり中継貿易を行っていた根拠を示すなら、呵梨勒が東南アジア原産の薬物であることから判断するくらいでしょう)。bは交易の代価は綿と糸とあります。ということは銭貨で交易していません。よって、これが誤りになります。よって、保留にしたaは正しいことが分かり、選択肢も➀か②に絞れます。cはこの交易した時期が752年とあります。つまり、8世紀のできごとです。8世紀には高句麗も百済も滅亡して、688年に新羅が朝鮮半島を統一しています。よって、時期が大きく異なるため、誤りです。dは正文です。この年に孝徳天皇のもとで聖武太上天皇(上皇)らが参列して大仏開眼供養が行われました。
よって、正解は②です。保留にした選択肢をヤマカンで○っぽい、×っぽい、って判断してはいけません。
問5 下線部ⓓ(仏教)に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組み合わせとして正しいものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。(11)
X 唐に渡って密教を学び、帰国後、天台宗の密教化を進めた。
Y 念仏による極楽往生の教えを説いた書で、源信(恵心僧都)が著した。
a 玄昉 b 円珍 c 『往生要集』 d 『日本往生極楽記』
➀ X-a Y-c ② X-a Y-d ③ X-b Y-c
④ X-b Y-d
この問題も時期判定ができればそこまで難しくないです。ただし、Yについては知っていなければ大変になります。
Xは密教・天台宗のキーワードから、平安時代であると判定します。よって円珍の説明だとわかります。玄昉は吉備真備とセットで覚える人物で、奈良時代に橘諸兄と一緒に聖武天皇の政治を行った人物です。Yは源信が著した浄土教の書物ですが、これは『往生要集』です。なお、『日本往生極楽記』は慶滋保胤が著しています。ここは混同しないように気を付けてください。
よって、正解は③です。
問6 下線部ⓔ(九州の太宰府)に関連して、大宰府に関わる出来事に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の➀~⑥のうちから一つ選べ。(12)
Ⅰ 刀伊(女真族)が九州北部に来襲したが、大宰権帥の藤原隆家によって撃退された。
Ⅱ 政府は九州北部の要地を防衛するために、水城や大野城を築いた。
Ⅲ 右大臣の菅原道真は失脚し、大宰権帥に左遷されて任地で死去した。
➀ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
最後は年代並び替えです。古代は比較的世紀での判定がしやすいため、そこまで難しくはないと思います。
Ⅰは11世紀前半(1019)のできごとです。女真族が本格的に大陸で活動するのもこの時期ごろです。Ⅱは水城・大野城から白村江の戦い後のできごとです。よって、7世紀後半です。この時点でⅡ-Ⅰとなっている③・④・⑥が解答になると判定できます。Ⅲは菅原道真の失脚は901年の昌泰の変です。よって、10世紀最初です。平安時代は前期:他氏排斥、中期:摂関政治、後期:院政と大きな時代の流れを掴めばいいでしょう。よって、正解は④です。
■正答率 ~平均点から推察~
2016年は設問別の正答率の情報がほとんどないため、この年の平均点をもとに考えてみようと思います。
2016年度の平均点が65.55点です。ここから見られることは、問題としてはやや易であることが分かります(2017年が59.29点なので、この年は少し難化したといえます)。そして、古代史は総じて正答率が高い傾向も出ています。
そう考えると、少し難問と思われるのは、問3、問6だと思います。しかし、年号並び替えが苦手な人は、時代の流れがつかみ切れていない人なので、その対策をしっかりしておけば、正答率は上がると思います。初見史料については注もしっかり見る、リード文などにも気を付けるなどすれば、そこまで苦にはしなかったと思います。
問3については少し細かい知識を求められています。ここの学習が曖昧だった人は正答率が下がっているのでは、と思います。
■初見史料が出たときでも慌てない
定番史料が出ても、初見史料が出たとしても、基本的なアプローチ法は変わりません。まずは、史料のキーワード・出典・年号(元号)・西暦年・注などに着目することを忘れないようにしましょう。その後、史料内容の把握を行い、大意を掴んでいきましょう(最低限の古文の知識は必要だが、厳密に必要なわけではない)。
共通テストではそれに付け加えて、関連知識・背景知識も必要になります。正しい読解やアプローチができれば、問題ないでしょう。図版の場合でも同様です。どのような様子か、何を表すのかは予め知っておくといいでしょう。最低でも教科書にある図版・グラフなどは注意しておいてください。
共通テストまであと40日余りです。一つでも多く正答率を上げるために、できる学習のベストを尽くしてください。慌ててはいけません。問題を解くときに論拠を示す学習もしてください。
来週は共通テスト施行調査を取り上げたいと思います。