【大学入試紙面講義】2020年センター追試験 大問4 A
水曜日は日本史です。今日は本試・施行調査ときたので、今回は追試験を取り上げたいと思います。なお、追試験は2013年、2014年は一部掲載がありません。2020年も掲載がありません。
今回も無料公開で解説は行いたいと思います。よろしくお願いいたします。詳しい問題は、大学入試センターからダウンロード・印刷等をしてください。
■問題
問1 空欄( ア )( イ )に入る語句の組合せとして正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(19)
~特に彼(吉宗)が重用した( ア )は1717年に普請奉行から町奉行に昇進した。~町奉行在職中の( ア )は、繰り返し発生する大火への対応として町方独自の火消を組織させ、~
また、彼らによって抜擢された( イ )は、飢饉に備えて甘藷の栽培と普及に多大な貢献をし、さらにオランダ語習得を命じられて『和蘭話訳』など多くの書物を著した。~
➀ ア 大岡忠相 イ 青木昆陽 ② ア 大岡忠相 イ 田中丘隅
③ ア 田沼意次 イ 青木昆陽 ④ ア 田沼意次 イ 田中丘隅
問2 下線部ⓐ(大名)に関し、全国の大名・藩について述べた文として正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(20)
➀ 岡山藩主池田光政は、『大日本史』編纂を命じた。
② 会津藩主保科正之は、5代将軍徳川綱吉の時代に幕政を補佐した。
③ 対馬藩は、明との間で己酉約定を結び貿易を再開した。
④ 松前藩は、家臣に対し、アイヌとの交易権を知行として与えた。
問3 下線部ⓑ(蘭学)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の➀~⑥のうちから一つ選べ。(21)
Ⅰ 杉田玄白らが、西洋の解剖所を翻訳して『解体新書』を著した。
Ⅱ 高野長英らが、幕府の対外政策を批判したため処罰された。
Ⅲ シーボルトが、長崎郊外に鳴滝塾を開いた。
➀ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
■解説
それでは解説に行きましょう。
問1 空欄( ア )( イ )に入る語句の組合せとして正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(19)
~特に彼(吉宗)が重用した( ア )は1717年に普請奉行から町奉行に昇進した。~町奉行在職中の( ア )は、繰り返し発生する大火への対応として町方独自の火消を組織させ、~
また、彼らによって抜擢された( イ )は、飢饉に備えて甘藷の栽培と普及に多大な貢献をし、さらにオランダ語習得を命じられて『和蘭話訳』など多くの書物を著した。~
➀ ア 大岡忠相 イ 青木昆陽 ② ア 大岡忠相 イ 田中丘隅
③ ア 田沼意次 イ 青木昆陽 ④ ア 田沼意次 イ 田中丘隅
問題としては、このレベルは正解してほしいところです。空欄補充問題は前後の内容で判断するのがセオリーです。
アは町奉行に昇進、火消の組織などから大岡忠相と判断します。もちろん、それが分からなくても、田沼意次が享保の改革よりも後に活躍したことが分かるなら、消去法で大岡忠相にしてもいいです。イは甘藷の栽培、オランダ語習得などから青木昆陽と判断できます。田中丘隅も吉宗に抜擢されたのですが、農政家です。吉宗に献じた『民間省要』は上位校は押さえておくといいでしょう。
よって、正解は➀です。
問2 下線部ⓐ(大名)に関し、全国の大名・藩について述べた文として正しいものを、次の➀~④のうちから一つ選べ。(20)
➀ 岡山藩主池田光政は、『大日本史』編纂を命じた。
② 会津藩主保科正之は、5代将軍徳川綱吉の時代に幕政を補佐した。
③ 対馬藩は、明との間で己酉約定を結び貿易を再開した。
④ 松前藩は、家臣に対し、アイヌとの交易権を知行として与えた。
これもある意味難度は高いですが、正確に読み取る必要があります。内容と内容の整合を正しく分別できるかどうかが大きな分かれ目となります。
➀は前半部分は○ですが、大日本史編纂が×。『大日本史』を編纂したのは水戸藩の水戸光圀といわれています。よって、岡山藩との整合がとれないため×です。②は前半部分は○ですが、綱吉の時代に幕政を補佐したがわからなければ選択肢の判定は難しいですが、これは×です。綱吉ではなく、家綱(4代将軍)を補佐したのです。ここの内容を混同させてしまうと正解から遠のいてしまいます。③の己酉約定は明との間ではなく、朝鮮との間です。これは容易に判定できると思います。よって、④が正解となります。ちなみに、④は商場知行制の説明ですが、「詳説日本史」ではP182の欄外にこの選択肢の文言が書かれています。蝦夷史のテーマ史では詳しくやる内容なので、併せて押さえておきましょう。
問3 下線部ⓑ(蘭学)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の➀~⑥のうちから一つ選べ。(21)
Ⅰ 杉田玄白らが、西洋の解剖所を翻訳して『解体新書』を著した。
Ⅱ 高野長英らが、幕府の対外政策を批判したため処罰された。
Ⅲ シーボルトが、長崎郊外に鳴滝塾を開いた。
➀ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
今回は時期の近い並び替え問題です。Ⅰは宝暦・天明文化のできごとで18世紀末と判定できます。Ⅱは蛮社の獄なので1839年です。シーボルトが来日したのは19世紀はじめのできごとです。1828年のシーボルト事件が有名なので、蛮社の獄よりも前と判定できます。
よって、Ⅰ-Ⅲ-Ⅱの順番となり、②が正解となります。
■正答率
追試験は基本的に個別の正答率を出しているわけではないです(日本史Aは大体の難度は示してますが、Bは出していません。どなたかわかる方がいましたら情報提供お願いいたします)。そのため、僕なりに難度判定を行いたいと思います。
問1 正答率は70%台だと思います。この問題は政治史の基本的な問題のため、ここでの失点は避けたいところです。
問2 正答率は30~40%台だと思います。選択肢として②と迷った方が多いと思います。追試験特有で、やや細かい知識の判定を求められることがあります。よって、私大マーク対策をするつもりでやってほしいです。私大マークの難問は、早慶以外では龍谷大学、関西学院大学辺りで対策するのはアリだと思います。
問3 40%くらいだと思います。近世以降からは時期の近い並び替え問題が出されますので、時期の正確な把握をしておく必要はあります(年号を必死に覚える必要はあまりないが、重要年号くらいは押さえておくといいです)。
■追試験は難度が高いが……
追試験の問題は、本試験よりも一回り難しく難易度が設定されていることがあります。では、それはなぜでしょうか。正直この理由については受験生の数によると思います。本試験は20万人近い人が受験します。しかし、追試験は10数名くらいしか受験しないため、平均点にも大きなばらつきが出る可能性も否定できません。
実際、1990年代の追試験は私大入試並みに難しい選択肢などが出てくることもちらほらありました。しかし、問題の作られ方・構成は本試験と何ら変わらなかったのです。
では、今回からの共通テストはどうか、というと、おそらく問題の作られ方・構成は本試験と大きく変わることはないと思います。難度もそこまでの差をつけないと思います。しかし、数問は本試験よりも知識の細かい問題が出てくるのも事実です(実際、徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟のところで日本文学報国会という語句が空欄補充で出ています)。
よく、このような学習は二次試験の論述対策を行うように学習しておくといい、という先生もいますが、この考え方は間違っていないと思います。センター試験から共通試験に変わることで、単純な知識を問う問題から知識の考察や活用などにシフトされていきます。そんな中でも、基本的知識の定着は変わらないと思います。いかに使える知識にできるか?そのためには様々な問題にとりかかるのがいいと思います。特に今年は共通テストパック(河合出版・駿台文庫・Z会)は一通りやっておくことを勧めます。