【大学入試紙面講義】施行調査第1回 大問2

今年最後の紙面講義となりました。今回は施行調査第1回の大問2を扱いたいと思います。いつもはAのみ、Bのみを扱うのですが、今回は大問2すべて行います。史料の内容を読解する、歴史の流れを入れるなど従来では見られなかった問題が散見されました。そういった問題に対してどうアプローチしていけばいいか、を話したいと思います。もちろん、共通テストに変わったと言えども、従来のセンター試験の解き方も必要です。問題は下記のところから見ていただけるといいでしょう。もちろん、赤本などの過去問集でも構いません。

■問題の概略

日本の国号について考える問題です。前半は弥生時代・古墳時代を中心に問題を解きます。問2では「魏志」倭人伝の史料の読解ですが、少し趣向を凝らした問題となっています。後半は8世紀からの日本の国号についての話です。年表を用いる問題、図版を用いる問題等多彩になっています。

■解説

それでは、解説を行います。史料などについては、一部抜粋しますので、全文については、上記のファイルでご覧ください。

問1 鈴木さんは、邪馬台国からヤマト(大和)政権にいたる3世紀から5世紀の歴史の展開を、近畿説の立場から次のようにまとめた。空欄( ア )に入る記述として最も適当なものを、下の➀~④のうちから1つ選べ。
3世紀には、邪馬台国を中心に、30か国ほどが連合して、他の政治連合と対立していた。
4世紀には、( ア )
5世紀には、近畿地方の王権が関東から九州まで勢力をのばし、中国の王朝に朝鮮半島の軍事的支配権の商人を要求した。
➀ 近畿地方の勢力は力を弱めたので、五経博士を招いて統治方法を学んだ。
② 近畿地方の勢力は力を弱めたので、関東の勢力が政治的な中心となった。
③ 近畿地方の勢力が力を強め、仏教の信仰を中心とする政治的統合を進めた。
④ 近畿地方の勢力が力を強め、墳墓や祭祀の形式をともにする政治的統合を進めた。

この問題のキーポイントは、近畿説の立場から見ている、という点です。ここから近畿地方の勢力が力を強めていることが分かります。よって、③か④が正解の選択肢になります。あとは後半部分の正誤判定です。③の仏教の信仰を中心とする政治的統合は4世紀ではなく、6~7世紀の話です。そもそも、仏教が日本に伝わったのが6世紀前半なので、この知識を使えば誤りと判定できます。よって、正解は④となります。
ちなみに、➀の後半についても6世紀のできごとなので、誤りですし、②の後半については明らかな誤りです。その証拠として、前方後円墳の規模が大きいのは近畿を中心にあります。墓の大きさは権力の大きさ、であることはエジプトのピラミッドでも同様です。これは汎用知識として押さえておくといいでしょう。

問2 鈴木さんはさらに、女王が魏へ使者を派遣したときに、人々が考えていそうなことを推測してみた。次の資料の下線部X・Yの人物が考えたと思われることを、下のa~dから選ぶ場合、最も適当な組合せを、➀~④のうちから一つ選べ。
X:下戸、Y:大夫難升米
a「毎日の暮らしのことしか分からない自分には関わりがないことだ」
b「敵国である邪馬台国が魏と結ぶことは大変困ったことだ」
c「無事に中国にわたり、魏の皇帝を上手に交渉をまとめたい」
d「内政に関わる監督官の自分には、職務だけで頭がいっぱいだ」
➀ X-a、Y-c ② X-a、Y-d
③ X-b、Y-c ④ X-b、Y-d

この問題の大きなポイントは、下戸がどの立場なのか、が分からないといけません。下戸は大人と会うと俊巡して草に入っていることがみえるため、この下戸は庶民だということが分かります。そのため、ここではbの選択肢がこの時の状況から矛盾することがわかります。それだけでなく、魏と交渉するのはこの先の文面なので、この時点では邪馬台国と魏が結ぶことはこの時点で判定不能です。その上、魏を敵国と断言しているのも誤りです(邪馬台国と対立していたのは狗奴国)。よって、下戸が思ったことはaであると判定できます。
難升米については、役割が魏との交渉なので、cの方が適切であると言えます。dについては他国との交渉は内政ではなく外交です。内政は国内の政治を行うので、外交に行っている時点で誤りです。内政に関する知識は汎用知識なので、そこから判定できると思います。よって、正解は➀です。

問3 下線部ⓐ(倭)に関連して、先生が次のような図と年表を示してくれた。山本さんは、倭国使と百済使で描かれ方が違うことに気付き、その理由を考えた。理由X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の➀~④のうちから一つ選べ。

倭国使:頭に布を巻いている、布を身にまとっている、はだしである
百済使:頭に冠をかぶっている、中国風の服を着ている、靴を履いている
年表
502年 梁が百済王・倭王に将軍号を与える
512年以降、百済が梁に朝貢する(549年まで続く)
理由
X 百済は、中国から積極的に文化を受け入れているようなので、百済使は中国風の身なりに描かれているのだろう。
Y 当時、倭は梁にひんぱんに朝貢していないようなので、倭国使は古い時代の風俗で描かれているのだろう。
➀ X:正 Y:正 ② X:正 Y:誤
③ X:誤 Y:正 ④ X:誤 Y:誤

この正誤問題の根拠はあくまでも、年表と図から読み取れることを踏まえなければなりません。間違っても、主観で解答を出さないようにしましょう。
Xは、中国から積極的に文化を受け入れている、というのは、年表より百済が梁に朝貢を繰り返していることから判定できます。後半も図から百済使が中国風の服を着ている、というところからも判定ができるので正文と判定できます。
Yは、倭は梁に頻繁に朝貢していないのは年表より判定できます。後半部分も図より布を身にまとっていること、はだしであることなどから古い時代の風俗で描かれているのは正文と判定できます。
よって、正解は➀となります。

問4 次の写真は、下線部ⓑ(藤原道長が埋経した鏡筒)の鏡筒である。この鏡筒に示される仏教信仰を表す文化財として適当でないものを、下の➀~④のうちから一つ選べ(実際の問題は写真で答える)。
鏡筒に記された埋経の趣旨:「この鏡筒に経典を納めて埋める。それは極楽浄土に往生することを願うからである」
➀ 六波羅蜜寺空也上人像 ② 教王護国寺金剛界曼荼羅
③ 平等院鳳凰堂 ④ 高野山聖衆来迎図

この問題は仏教信仰を表すもの、というのは気にする必要はありません。藤原道長が埋納した鏡筒より、国風文化期の内容であることが分かります。実は、この中で一つだけ国風文化の文化財でないものがあります。それが、②の教王護国寺金剛界曼荼羅です。曼荼羅はもともと空海が唐からもたらしたものといわれています。よって、この曼荼羅は国風文化期ではなく、弘仁・貞観文化期のものです。よって、正解は②です。

■正答率

問1 78.7%でした。この問題はヤマト政権の成立過程が分かっていること、時期判断ができていれば容易に解答できていたと思います。数少ない70%超えの正答率でした。

問2 68.6%でした。古代史については基本的に正答率が高くなる傾向があります。そのため、このレベルの問題は落としてしまうと後々大変なことになります。

問3 51.3%でした。年表と図を正確に読み取り、正誤文と正しく照合できていたかどうかを見る問題ですが、苦手な人は知識の活用法も押さえて問題演習を行って下さい。

問4 30.6%でした。文化史は図版もしっかりと見なければなりません。その学習が追い付いていない方は正答に導けなかった可能性があります。私立では、立命館や同志社なども気を付けておかないといけません。

■文化史は図版の学習も行う

私立入試においてもそうですが、最低限でも教科書にある図版はチェックしておきましょう。特に、共通テスト(旧センター試験)でも、図版をそのまま選択肢にしてくるものもあります。これは次の共通テストでも使われる可能性は否定しません。文化史の図版は古代での出題が多いのですが、中世や近世なども出てくる可能性もありますので、図版の学習も油断なく行ってください。

史料については、史料の内容も正誤判定になることがあります(前回の私立入試解説でも触れました)。そのため、史料を使わないといえども史料の学習を疎かにしてはいけません。今回の問題でも、下戸・大人の関係を知っておけば判定もしやすかったかもしれません。
史料の読解については、大意がつかめたら問題ありません。全訳する必要はありません。

日本史で共通テストを受ける方は、正しい知識の身に付け方と活用法、そして問題に対するアプローチなどをしっかり身に付けてほしいです(ですが、この考えは世界史や地理、公民などでも活用できます)。そのために、「周辺知識・関連知識・背景知識」の3つの知識を意識してください

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中学社会・日本史講師吉野@予備校講師
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