デンマーク王室に受け継がれたプロイセン王室の血統

プロイセン王国とは

「プロイセン」を名乗る国家が出来たのは、神聖ローマ帝国の諸侯であるブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスの孫にして、ドイツ騎士団長であったアルブレヒトが宗教改革の最中にルター派のプロテスタント国家としてプロイセン公国を建国したことに始まる。

ブランデンブルク選帝侯は代々ホーエンツォレルン家が務めており、初代プロイセン公アルブレヒトの男系子孫が途絶えた後は、ブランデンブルク選帝侯とプロイセン公は同君連合(複数の国家が同一君主を戴くこと)となった。

プロイセン公国は、スペイン継承戦争でハプスブルク家(神聖ローマ帝室)に味方することと引き換えに王を名乗ることを許され、1701年にフリードリヒ3世(プロイセン国王としてはフリードリヒ1世)の時代にプロイセン王国になった。

プロイセン王国は、神聖ローマ帝国のマリア・テレジアとオーストリア継承戦争で争ったフリードリヒ2世、鉄血宰相ビスマルクを首相に任じたヴィルヘルム1世の時代などの躍進を経て、1871年(日本では明治4年)にドイツ帝国となった。

しかし、第一次世界大戦の敗退により1918年にドイツ帝国は消滅した。

プロイセン王国/ドイツ帝国およびホーエンツォレルン家の残した影響

現在のドイツの首都はベルリンであるが、その歴史はホーエンツォレルン家としては初のブランデンブルク選帝侯であるフリードリヒ1世がブランデンブルク辺境伯領の首都をベルリンに定めた1417年にさかのぼる。つまり、500年もの間ホーエンツォレルン家はベルリンの主であり続けたのだ。

また、現在の王室でも、特にプロイセン王室の血脈を濃く受け継ぐのが、デンマーク王室である(リンク参照)。

プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の3人の子供、その3人のうちの1人フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の5人の子供は、現在のデンマーク女王マルグレーテ2世の先祖である。

また、マルグレーテ2世は、「ヨーロッパの義父」クリスチャン9世(妻はヘッセン・カッセル家の出身:リンク参照)、「ヨーロッパの祖母」ヴィクトリア女王の血統も引き継いでおり、現存するヨーロッパ王室の多くが、彼女の親戚である。


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