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硬券は何故、ボール紙で出来ているのか?
硬券を知らない世代から、良く聞かれる事が有ります。硬券に初めて触ると、何故こんなに立派なボール紙で作られているのですか?との質問を何度も頂きました。券売機や窓口で発行する機械発券の切符は、殆どが裏が真っ黒な磁気券で、通常目にするペラペラの切符と比べたら一目瞭然で有ります。その名の通り硬い券だから硬券なので有りますが、何故ボール紙にする必要が有るのかが疑問に思う様です。
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ボール紙で有る理由は、明治時代の鉄道創業期にイギリスから車両等の、鉄道技術と一緒に輸入されたのが最初だからです。硬券専用印刷機と一緒に、硬券の印刷前の原紙も輸入されました。この時に既に硬券はボール紙製だったのです。
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硬券を発明したのは、イギリスのトーマス・エドモンソン氏です。エドモンソン氏は1836年当時の、イギリスのニューカッスル・アンド・カーライル鉄道のミルトン駅長でした。当時の乗車券は伝票タイプの券で、現在の補充券タイプの券と同様に、乗客一人づつ乗車区間等を記入して作成していたのです。ミルトン駅は最初は乗車券も無かった様で、困り果てた駅長のエドモンソン氏は、ボール紙で乗車券を手製したとの事です。この時の手製する時に選んだ素材がボール紙で、これこそ硬券誕生の瞬間なのでした。
ボール紙を選んだ理由はエドモンソン氏に聞かないと分かりませんが、たまたま近くに有ったのか、それとも費用の掛かる金属やプラスチックを敬遠したのかも知れません。会社で乗車券を用意せず駅長が手作りする事は、現在では想像も付きません。当時の鉄道はまだ緒についたばかりで、乗車券を手作りする事は、悪いことだと言う概念が無かったのでしょう。
手製の硬券には行先と金額が手書きで記入され、日付と券番号は都度記入して発売をしました。後に手書きが木版による印刷へと変化したのは、発券枚数が増えた事だと分かります。硬券を行き先別に常備の券を設備する事で収入管理が出来る仕組みは、後に硬券を印刷する乗車券印刷会社を興すまでに至りました。エドモンソン氏はこの仕組みと硬券印刷の特許を取得して、多くの鉄道会社に供給したのです。現在に至るまでこの基本的な仕組みは変わり有りません。この様な経緯からエドモンソン氏は、硬券の父と呼ばれております。
乗車券はボール紙製の硬券にする事で、偽造防止や発券の素早やさ、失くしにくい等の多くの役割を果たして来ました。ボール紙で無い切符は、偽造に悩まされて来た歴史が有ります。戦時中の資材不足の影響で一時期に軟券なりましたが、硬券に戻ったのも偽造防止の役割が大きかったのです。
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同じ10円でも、窓口別で券が変わる過度期の様子が伺えます。
硬券が廃止になり、軟券の発売に切り替えた駅の出札担当は皆、こう口にしました。軟券は売り難く発券に手間が掛かると。ボール紙とは言え200年近い歴史を刻んだ硬券は、職員にも馴染んだ存在で有ったのです。
時が変わり現在では手売り軟券も貴重になり、乗車券自体を使った事も無い方も増えました。一方、硬券を知る世代からは、旅にお供した硬券は思い出深いと、耳にした事が今でも忘れられません。
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いざ復活の為に残しているのだろうか?