警鐘ではなく、結末から目を背けてはならない「消滅可能性自治体」の問題とは

地元紙を読んで感じることがある。
人口減少の本当の意味はどこにあるのだろうか。

支援拡充 成果見えず

 自己負担を大幅に軽減した不妊治療費助成や、結婚を願う男女を仲立ちする婚活支援…。入善町の笹島春人町長は「どの自治体にも負けない、きめ細かな少子化対策を実施してきた」と自負していた。なのに、不名誉な称号を与えられた。

 「消滅可能性自治体」

 2020~50年の30年間で、子どもを産む中心世代の20~39歳女性が50%以上減る市町村を指す。急激な人口減を引き起こし、いずれは運営が成り立たなくなるとされる。

 4月下旬、国内の経済界有志らでつくる民間組織「人口戦略会議」が、全市区町村の4割に当たる744市町村が該当すると発表した。県内は15市町村のうち、入善のほか、朝日、上市の各町と南砺、氷見両市の計5市町が挙がった。

 そのショッキングな名称が初めて登場したのは14年。有識者らの「日本創成会議」がやはり、若年女性の人口動向に着目してリストアップ。この時は、全自治体の半数の896に上り、各地に激震が走った。

 県内で挙げられた市町は5で、今年と同数だが、入善は含まれていなかった。見込まれた20~39歳女性の減少率は38・5%。デッドラインの50%とは、まだ11・5ポイントの開きがあった。

 笹島町長は、くしくもその年に就任し、この問題と向き合う。「消滅可能性」に至らなかったとはいえ、危機感はあった。

 町職員や町議として町政に関わり、バブル経済期の1980年代末に人口3万人近くまで達し、市とほぼ同レベルになったことへの高揚感が漂った時代を知る。その後、人口減に転じ、歯止めがかかっていなかった。

 「減少を何とか食い止めたい。無理なら、少しでもペースを落とせれば」と考えた。

 町では既に、「子宝支援金」と名付けた4人目以降の子どもへの100万円支給や、全小学校区での学童保育など独自の対策を実施していた。

 加えるべき施策として思い付いたのが婚活支援だ。子育てへのサポートは確かに大事だが、子どもを増やすには婚姻数を確保する必要があるからだ。

 町長選で「結婚相談員の配置」を公約に掲げ、さらに肉付けし、翌15年に課を新設した。婚活支援を業務に加え、その名も「結婚・子育て応援課」。不妊治療費の自己負担分への9割助成、子宝支援金の第1子までの拡充、3歳未満児の保育料軽減など独自メニューを次々と導入し、結婚から出産、子育てまでを切れ目なく支援してきた。

 24年度からは、小学校入学から中学校まで進級するごとに祝い金(商品券)を贈呈。子どもの成長を町挙げて見守る温かな雰囲気の醸成につながっている。

 「少子化対策や子育て支援のトップランナー」。そんな自信を抱いていたところに、「消滅可能性」への転落という事態が待ち受けていた。今後30年間の若年女性の減少率は56・3%。10年前と比べ20ポイント近くも悪化した。心中に戸惑いが渦巻く。「あれだけの施策を実行したのに、なぜ…」

 目の前にあるのは厳しい現実だ。人口は24年5月末現在、約2万2430人で、15年の約2万5900人より約3470人減。1年当たりの減り幅は平均で約385人に上る。

 この間、高齢化も進み、全人口に占める65歳以上の人の割合(高齢化率)は32・5%から38・0%に上昇した。

 国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計によると、この傾向が続けば、人口は50年までに、さらに1万人弱減り、約1万3550人に。高齢化率は52・1%となる。

 これまでの施策が成果に結び付いていない原因は「分析しきれていない」と町長。「だから、有効な対策を見いだせず、歯がゆい」。一自治体の手に余る、問題の大きさが浮かぶ。

 「消滅可能性自治体」として名前が挙がった県内5市町。人口減を止める妙案はなく、対策に手詰まり感が漂う。人口縮小を前提に、地域を持続させる方策も必要になる。生き残りを模索する各地の動きを追う。

北日本新聞 とやま再起動<51>第10章 「消滅」の瀬戸際(1)“先頭走者”の誤算

消滅可能性自治体とは、子どもを産めるだろう世代女性がどのくらいいるのか、が重点になっている。つまり、労働者として活動真っただ中の女性が地元に残っているのかどうかがカギになる。

ゆえに、職場が居住に近いか、もしくは職場そのものが得られるかどうか。
ここが全ての問題点の根っこになる。

自治体行政が出来ることは「職場を与える」ことではない。
できることはカネの配分、つまり「子育て支援」しか出来ない。

ゆえに、若い女性は、地元を離れて、人口が密集した「効率的な労働環境」へ移動せざるを得ないのである。

定年退職が曖昧になり、老後も安心して暮らせない現在において、高齢者も含めて「働く場所の奪い合い」が起きているのが現実である。

賃金の低い高齢者に、若い世代の仕事が奪われているという構図である。
田舎においては。

大量に存在する高齢者のために、座席が回ってこないのが若い世代の宿痾と言える。

「子育て支援」と言っても、限界がある。
今ある「家族」に「もっと産め」と言っているだけのやってる感が垣間見える。

50年前と比べて、購買力は変わらないくらい下がってきている。
がしかし、「可処分所得」が当時から比べて激減している。

税負担率は20%から50%へ。
余暇を過ごす予算は、政治家の私腹を肥やすために消えてしまう。

統計を見れば自明であるが、もはや「消滅」は免れない。
入善町に関しては、今年生まれた人数が、今年15歳を迎える人数の半分以下になってしまっている。

人口流出以前の問題になってしまった。

そもそも、人口が少なすぎて無理ゲーとなったのである。
それだけ「子育て支援」しようが、15年後には終わっているのである。

この自明な問題点に関して、自治体は全く議論していないのが不思議である。
がしかし、行政官僚とは「予算と人事の最適化を望む動物(マックス・ウェーバー)」なので、未来のことは請け負わない。

もう分かっているのに、何も手を打たない。
これが、地方自治体の問題である。

何故か。
政治家が長期的に為政出来ないからでもある。

かつ、住民が行政にすべてを「丸投げ」している「空っぽ」なことも問題である。
「任せて文句を垂れるが、引き受けて考えない」のが我々の宿痾だ。

投票率に反映されている。
そう、半数が「空っぽな頓馬」なのである。

結局、カネを配ろうが、住まいを与えようが、合コンしてあげようが、さまざまな手厚い手当を見せようが、すべてが「やってる感」で終わることになる。

全ては「未婚化」がネックであり、将来的な「孤独死」への根源。
しかし、その分かり切った終末を住民は考えることも無く、日々の「安心・安全・便利・快適」に耽溺していることで「不安を埋め合わせて」しまうのである。

どんなに自治体行政が手を打っても、この流れは絶対に止まることはない。

「都会が若い人を吸い上げてしまって、我々には不平等なんだ!」と吠える首長が見受けられますが、頭の悪さが全開です。

「都会」さえも、15年後には山場を迎えてしまいます。
そう、日本全体が2040年を境に、垂直降下することが自明。

しかし、手を打たない。
打てないのではなく、打たない。

それは、自治体の政治家が「自分には関係ない」と高を括ってしまっているからとも言える。
住民も同質。

政治が「対処療法」しかしない以上、もはや「終わり」は確定。
さて、ではどうするか。

全ての「絶望」から、どう始めるのか。
それを問われていることを、「若い世代」はそろそろ気づかなくてはならない。

あゝ無情。

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