警鐘ではなく、結末から目を背けてはならない「消滅可能性自治体」の問題とは
地元紙を読んで感じることがある。
人口減少の本当の意味はどこにあるのだろうか。
消滅可能性自治体とは、子どもを産めるだろう世代女性がどのくらいいるのか、が重点になっている。つまり、労働者として活動真っただ中の女性が地元に残っているのかどうかがカギになる。
ゆえに、職場が居住に近いか、もしくは職場そのものが得られるかどうか。
ここが全ての問題点の根っこになる。
自治体行政が出来ることは「職場を与える」ことではない。
できることはカネの配分、つまり「子育て支援」しか出来ない。
ゆえに、若い女性は、地元を離れて、人口が密集した「効率的な労働環境」へ移動せざるを得ないのである。
定年退職が曖昧になり、老後も安心して暮らせない現在において、高齢者も含めて「働く場所の奪い合い」が起きているのが現実である。
賃金の低い高齢者に、若い世代の仕事が奪われているという構図である。
田舎においては。
大量に存在する高齢者のために、座席が回ってこないのが若い世代の宿痾と言える。
「子育て支援」と言っても、限界がある。
今ある「家族」に「もっと産め」と言っているだけのやってる感が垣間見える。
50年前と比べて、購買力は変わらないくらい下がってきている。
がしかし、「可処分所得」が当時から比べて激減している。
税負担率は20%から50%へ。
余暇を過ごす予算は、政治家の私腹を肥やすために消えてしまう。
統計を見れば自明であるが、もはや「消滅」は免れない。
入善町に関しては、今年生まれた人数が、今年15歳を迎える人数の半分以下になってしまっている。
人口流出以前の問題になってしまった。
そもそも、人口が少なすぎて無理ゲーとなったのである。
それだけ「子育て支援」しようが、15年後には終わっているのである。
この自明な問題点に関して、自治体は全く議論していないのが不思議である。
がしかし、行政官僚とは「予算と人事の最適化を望む動物(マックス・ウェーバー)」なので、未来のことは請け負わない。
もう分かっているのに、何も手を打たない。
これが、地方自治体の問題である。
何故か。
政治家が長期的に為政出来ないからでもある。
かつ、住民が行政にすべてを「丸投げ」している「空っぽ」なことも問題である。
「任せて文句を垂れるが、引き受けて考えない」のが我々の宿痾だ。
投票率に反映されている。
そう、半数が「空っぽな頓馬」なのである。
結局、カネを配ろうが、住まいを与えようが、合コンしてあげようが、さまざまな手厚い手当を見せようが、すべてが「やってる感」で終わることになる。
全ては「未婚化」がネックであり、将来的な「孤独死」への根源。
しかし、その分かり切った終末を住民は考えることも無く、日々の「安心・安全・便利・快適」に耽溺していることで「不安を埋め合わせて」しまうのである。
どんなに自治体行政が手を打っても、この流れは絶対に止まることはない。
「都会が若い人を吸い上げてしまって、我々には不平等なんだ!」と吠える首長が見受けられますが、頭の悪さが全開です。
「都会」さえも、15年後には山場を迎えてしまいます。
そう、日本全体が2040年を境に、垂直降下することが自明。
しかし、手を打たない。
打てないのではなく、打たない。
それは、自治体の政治家が「自分には関係ない」と高を括ってしまっているからとも言える。
住民も同質。
政治が「対処療法」しかしない以上、もはや「終わり」は確定。
さて、ではどうするか。
全ての「絶望」から、どう始めるのか。
それを問われていることを、「若い世代」はそろそろ気づかなくてはならない。
あゝ無情。
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